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望んでいるもの

 硬い床に置かれた音がした。

 樽の外から、男達が話をする声が聞こえてくる。

「十にも満たない商品になります。今回はちょいと特別でしてね」

「……何だ、言ってみろ」

 含み笑いが見えるような男の声色に、対する相手の声は苦く低い声だった。

「かの悪名高いアネッロ=ジュダスが、最近引き取った少女なのですよ」

 もったいぶるような言い方をした男に、相手は小さく感嘆の声を発した。

 それに気を良くしたのだろう、男は小さく笑う。

 余計な事を! と歯噛みしながら、カリダは隠された眼に怒りを滲ませる。

 だが、その相手はそれでも少し疑り深いのか、黙り込んでいた。

「手に入れるために、少々無茶な事はしましたがね。ああ、ご安心下さい。足がつくなどありえませんので」

「あの男は、一筋縄ではいかないと聞くが。本当に大丈夫だろうな」

「もちろんですとも! それに、元々その辺に転がっていた者だそうですからね。一人消えた所で、問題にならないでしょう」

 手が足りないのであれば、まだその辺に転がっているのですから。

 そう言って、男は笑った。

 カリダが考えていた事は、誰しもが考える事だ。

 だからこそ、助けなど求めるだけ無駄なのだ。

 そこまで考えて、ふと脳裏に二人の顔が浮かぶ。

 あの話を役立てたなら、今後のためにも事細かに報告しろ。とでも言い出しそうなアネッロ。何で思い出したのか。

 女性を守る事も出来ず、大変申し訳ありません! とか言って、にじり寄ってきそうなモネータ。こなくていい。

 ――本当に、どうして思い出したかな。

 少し頭痛がしてきそうな予感に、誰にも見られていないのにうんざりとした顔をした。

 助けなど来ない。モネータはとやかく言いそうだが、アネッロが切り捨てると告げればそれに従うだろう。

 なんだか、変に二人を思い浮かべてしまったせいか、緊張感が削がれてしまった。

 どうでもいいのだ。自分が生き延びるために、何をするかだけだ。

 樽がこじ開けられる音がして、さすがにカリダは身を竦める。

 覗きこんでくる気配だけは感じられた。

「……細過ぎはしないな」

 ほんの数日だが、きちんと食べさせて貰っていた事が、功を奏しているのだろう。

 孤児を買っていたようだから、骨が浮き出たような子供がいいのかもしれない。

 返品しろ! 許す!

 と口を引き結んでいたが、声をかけてくるとは思っていなかった。

「あのジュダス商会に飼われていたそうだな」

 明らかにカリダへと声をかけてきた男に困惑し、ただ黙っていれば、樽の側面が蹴飛ばされた。

「……そうです」

 だからなんだよ! と言いたかったが、それは確実に怒りを買うだろうと堪えた。

 怖がりもしない態度に、売り手の男は焦ったのか、もう一度樽を蹴飛ばしてくる。

 だが、買い手の男はのどで笑った。

「ただ怯えるでも、反抗するでもない。なるほど、よくしつけられたものだな。面白い、お前達の言い値で買ってやる」

「ありがとうございます!」

 男が他の誰かに樽を運ぶよう指示し、カリダは不安定な揺れに四肢に力を入れる。

 少しして階段を下っているような感覚が続き、どこかの一室で下ろされた。

 樽から引きずり出されても、カリダは身体を硬直させたが抵抗はしなかった。

 そのまま座っているようにと、肩を押さえつけられても、暴れたりはしなかった。

 怖がっている様子も見せず、ただ指示に従うカリダを不審に思ったのだろう。二人の男は、しばらくその場から動かなかったが、お互いが声を発する事なく立ち去った。

 後ろ手に縛られた手を組む。痺れてきていた指同士を擦り合わせるようにして、血の流れを取り戻そうとした。

 安堵ではなく、押し潰されそうな何かから逃れるように、震える息をゆっくりと吐き出した。


 ――死にたくない! こんなクズどもにいいようにされて、死ぬなんて嫌だ!


 クズ野郎どもめ! などと心の中で罵りながら、カリダは奥歯を噛みしめ、少しでも気を抜くと込み上げてくる嗚咽を殺す。

 泣いてはダメだ。今は、泣くべき時じゃない。食いしばった歯の隙間から、出来る限り肺に空気を送り、すぐさま熱い息を吐く。

 黒く臭い泥に全身沈み込む感覚を振り払うように、擦る指に力を込める。

 誰か――と、つい声を上げそうになる。頼る者など、存在しないのに。

 一人で、どうにかするしかない。そんなもの、当然だと思っていたのに。

 カリダは自虐的に笑おうとしたが、顔を歪める事しか出来なかった。

 泣きそうで、悲痛にも見えるそれは、カリダが一番認めたくないものだった。

 だから、そんな顔をしたとは思いもしていなかった。

 何度も酷い目に遭ってきた。

 それでも、今までも一人で何とか生きてきたのだ。


 もし失敗して死ぬ事になるのなら、その前に――殺してやる。


 そこに気持ちが戻ってくる。

 怯えるだけで何も知らない、何も出来ないただのガキじゃない。

 どこのお貴族様か知らないが、自分自身に傷がつく事なんて気にならないし、生きる事に貪欲なのは自分の方だ。


 それでも、ノブの回す音に背筋が凍りつく。

 入ってきた誰かに殴られるかもしれないと、カリダは咄嗟に歯を食いしばった。

 目隠しをされ、見えないながらも全身で音がした前方を警戒する。

 だが、あからさまなその態度に、入ってきた男は楽しげにのどを鳴らした。

 相手が不機嫌になるかと思っていたカリダは、内心冷や汗を流しながらも心の中だけで首をかしげる。

「今から目隠しを外してやる。動くな」

「……はい」

 とりあえず色々と思う事はあったが、素直にうなずいてやった。

 視界が開けると、そこには意外と精悍な顔をした男が目の前にいた。

 もっとデブで禿げで、気色悪い男が買ったのかと思っていたが、それでも変態には変わりないだろう。

 『十歳に満たない』と思われているカリダを、まだそういった雰囲気はないものの、恐らくアレな事をするために買ったのだから。

 カリダからしてみれば、体型は多少鍛えているのか服の上からでも腹が出ているようには見えない。

 だが見目としては良いわけでも悪いわけでもなく、普通のおっさんだった。

 男を買えば、孕む危険性もないだろうに。

 などと思わないでもないが、だからこそ使い捨て出来る孤児を狙うのも、分からないではない。

 分からないではないが、当事者ともなると悪口雑言しか思い浮かばない。

「ジュダスの娘というのは、本当の事か?」

「……そういう話にはなっていましたね」

「なっていた?」

 眉間にしわが寄ったのを見て、カリダは肩を竦めて見せる。

 なぜ、普通に会話をしているのかが分からない。

 誘拐犯と手を組んでいて、人身売買をおそらく長年続けていて、今まで買ってきたガキを平気で殺して打ち捨てる殺人鬼。

 殴り、犯し、飽きたら殺す。それが、カリダの印象であったのに。

 目の前にいる男は、なんというか、気位の高いそこら辺を歩いている貴族どもと変わらなかった。

 という事は、外を歩いている連中も、建物の中に入れば変態か。

 世の中、気持ちの悪い連中で上を取り仕切っているのか。だから自分達のような者が溢れるんだな。

 そう結論付け、カリダはひとつうなずいた。

「はい。攫われたんで、もう無関係だと思うけど」

「無関係、か。孤児にしては、言葉遣いも悪くない。教育はジュダスの男が?」

「そうです」

「他に、何を学んだ」

 男の瞳が、なぜか少し揺れるのを見逃さなかった。

 そして、カリダが路地裏で見た事のある表情に、近づいた気がした。

 肌が粟立ち始め、縛られた場所が痛みを訴える。

 何を。と、おっさんは聞いてきた。

 何を? 望んでいる言葉を返せばいいのは分かっている。

 料理や文字の練習。身体を鍛える事などは確実に違うだろう。

 聞いても仕方ない事だ。


 ――望んでいる事。

 ――カリダが、連れてこられた理由は?


 腕の毛穴が閉じるような気持ちの悪い感覚に、カリダは顔を歪めた。

 それを男は『学んでいる』と判断したように、欲を滲ませて、獣のようにのどを鳴らして笑った。

 カリダは自分の失態に、頭の中で盛大に自分を罵る。

「……聞きかじりだけど、学びました」

「ほう」

 じわりと近づいてくる男に、カリダは後ずさるわけにもいかず、睨みつける。

 だが、それすらも男を喜ばせる事にしかならないようだ。

「やってやるよ」

 カリダが敢えて言葉を変えたのに気付いたのか、男は足を止める。

 その表情は多少の驚きと、期待が混ざっていた。

 そうか、これは、あれか。

 カリダはうんざりした気持ちのまま、顔だけは心と正反対の動きをして、嘲るように笑う。

「手の紐を、ほどいてくれよ。あんたが満足するような事、してやるからさ」

 そう言って、挑発するように視線を上げれば、喉仏が上下に動くのを見た。

 だが、躊躇する男にカリダは眼を細める。

「今まで買ってきたガキどもや、貴族のお嬢様連中には出来ない事、してやるって言ってるんだ。はずせよ」

 自分が傷つけられる可能性もあるが、目の前の男の潤み始めた眼に、そうとはならないだろうと踏んだ。

 踏みたくはなかったが、覚悟を決めるしかなかった。



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