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取引

 一息吐くとすぐに、裏路地に続く扉に小石が当たった音が一度した。

「何か御用はありますか」

 少年の声に、アネッロは扉を開ける。

 薄汚れた茶色の帽子をかぶった少年は、彼を見て薄笑いを浮かべた。

「毎度! タッシェの御用聞きだよ」

「相変わらず、鼻が利くようですね」

 そう言って、タッシェと言った少年を頭からつま先まで値踏みをするように見やると、タッシェは居心地が悪そうに苦笑した。

「ジュダスの旦那?」

「お前くらいのサイズで、衣装一式集めて貰えませんか」

「いいよ。男物? 女物? 靴もいるかい?」

「男物で構いませんし、全部頼みます」

「ツケ届けでいいね」

「ええ」

 毎度! と片手で少し帽子を持ち上げた少年は、スキップでもするように小道を抜けていった。

 風呂場のドアが激しく叩かれる。扉に二つ鍵をかけ近づけば、怒りに満ちた声が中から聞こえてくる。

「開けろよ! くそっ、身売りもやってんのかよ! 大人しく売られるおれじゃねえぞ!」

「うるさい子供ですね。ちゃんと洗ったんですか?」

「洗ったよ!」

「指の間から、足の裏までですか?」

「……足の、裏?」

「耳の裏は?」

「……細かいな」

 風呂場の嵐は、沈黙した。

 ペタペタと音がする事から、もう一度洗い直す事にしたのだろう。

「ああ、風呂場の掃除もしておいて下さいね」

「……ったく、世話焼きババアかよ」

 壊れない程度に扉を蹴れば、中で飛び跳ねる水音がした。

 湯が沸き、茶を入れていると、またコツンと小さな音がする。

「タッシェの御用聞きだよ」

 鍵を開ければ、両手一杯の衣服を抱えた少年が、満足気に笑っていた。

「どうだい? 良品ばかりだよ。貰い物だからね、これで全部タダさ」

「さすがですね。任せた甲斐がありました」

「椅子の上でいいかい?」

 アネッロが横に避ければ、彼は椅子の上に衣装を置き、三足ほどの靴は床に置く。

 パンパンと手を叩き、タッシェは楽しそうに笑った。

「あと、こういう紙はいるかい?」

 そう言って、胸元から折りたたんだ紙切れを取り出す。

 アネッロがそれを受け取ると、彼は満足そうに胸を張って見せた。

 養子にするための書類である。あまりの手際の良さに、アネッロは苦笑した。

「相変わらず、気が回る」

「子供を引き込むから欲しいって奴もいるもんで」

 へへっと笑い、茶色の目をくるりと回して見せた。

「あいつ、これから旦那の手伝いするんですか?」

「そうですよ。何が仕込めるか、今から楽しみでね」

 口の端を持ち上げて見せれば、タッシェは困った顔をしながらも、それでも笑った。

「同情するね」

「そんな感情、ありもしない癖にですか」

 少年は無言で肩を持ち上げ、手を出してくる。

 十ソルディ硬貨を十枚握らせてやれば、驚いた顔で自分の手とアネッロの顔を何度も往復させた。

「衣装代が浮いた分です。百を一枚よりは、使いやすいでしょう」

「さすが分かってるね、助かるよ」

 これからも御贔屓ごひいきに! と声をかけ、タッシェは飛び出していった。

 もう一度、鍵をかけ直す。

 衣装の山をそのままカゴに入れ、浴布と共に風呂場の扉横に置いておく。

 水音が聞こえているという事は、まだまだ時間はかかるのだろう。そう考えて、足音も立てずにその場を離れれば、外から派手に扉を叩く音がした。

 路地に続く扉ではなく、表通りにある店に通じる扉のほうだ。

 パンをストーブから離し、風呂場の鍵がかかっている事を横目で確認しながら、その右手側の、人一人が通れるくらいの細い廊下を抜ける。

 正面にある、先程と同じくらいの小さな木の扉にぶつかると、別の鍵を取り出して開けた。左手には事務所に繋がる階段があり、正面には通りに面した彫り物のある立派な扉が、大人しく人の到来を待ち構えている。

 スリガラスに映る見知った背格好の姿に目をやり、ゆっくりと今出てきた潜り戸に鍵をかけた。

「どなたですか」

 ことさらゆっくりと鍵を探しながら声をかければ、スリガラスに映った人間は、腰に手を当てた形をとる。

 勝ち誇ったように、甲高い女の声が高らかに宣言してくる。

「第一級犯罪捜査班です。アネッロ=ジュダス、ここを開けなさい!」

 装飾を施した立派な扉の鍵穴に、変わった形の鍵を差し込み、回す。

 待ち構えていたようにドアノブが回され、女が男二人を後ろに従えて踏み込んできた。

「アネッロ=ジュダス、とうとう尻尾を出したわね。幼児虐待の容疑で、逮捕するわ!」

 捕縛の為の縄を握りしめ、嬉々として鳶色の瞳を輝かせるハニーブラウンの髪を高く結い上げた女、アンシャ=ザイエティ。動きやすそうなパンツスーツの制服に身を包んでいるが、ただ突っ立っている男二人よりも迫力に欠ける。

 アネッロは柔らかい笑みを浮かべ、突き出してきた細い手を、両手で包み込むようにして、やんわりと押しとどめた。

 至近距離で眼鏡越しに、鳶色の瞳をまっすぐ覗き込んでやると、彼女の白い肌は耳まで赤く染まった。

 しかし、背後に控えている男二人の視線に気がついたのだろう。慌てて手を振り払い、髪型が崩れるのも気にかけず、頭を数度振って雑念を払いながら、背の高い男と猫目の男を前に押し出してくる。

「よ、幼児虐待と、聞こえなかったのかしら。残念ながら、今回は言い訳も通用しないわ。目撃者が多数いますから」

「そうですか、どなたです?」

「観光の者から、地元民までです。皆さん、快く証言してくれましたわ」

 熱くなった耳を押さえながらも、二人の後ろで強気を表すように、あごを上げて見せた。

 制服を着た男達には目もくれず、わざとまっすぐ彼女に視線を注いでやれば、アンシャは目を泳がせた。

「証拠は?」

「証人の多さが証拠です。それに、暴力を振るわれたという子供が出てきたら、その子こそが証拠ですわ」

「ほう、それで。その子供とやらは、どこにいるのでしょうね。貴女の後ろには見えませんが」

 アンシャは言葉を詰まらせた。

 その子供はアネッロの手中にある。いるわけがないのだ。

「それに、あれはしつけの一環ですよ」

「しつけですって? 見ず知らずの子供を羽交い絞めにしてまでも?」

「見ず知らずの子供に、そんな事をするはずがないでしょう。あれは私の娘です」

「そう。娘さん……むす、め?」

 あんぐりと口を開け、アンシャは驚愕に満ちた顔で息を呑んで固まった。

 彼女の沈黙という職務放棄に、彼女の部下である男二人は目だけで語り合い、背の高い方――アルト=コレットが小さく帽子を持ち上げ、苦笑した。

「ええと、失礼ながら。昨日まではいませんでしたよね。その、娘というのは?」

「先程、そこいらで拾ってきましてね。書類はこれからになりますがね。手続きを取りたいので、書類をお持ちではありませんか?」

「それは役所に行っていただかないと。それと、しつけと称して手を上げるのは、虐待にあたるケースが多いので慎んでください。続くようでしたら、親権の剥奪。および、保護という流れになりますので」

 事務的に語るアルトに、アネッロは微笑し頷いて見せた。

「わかりました、気をつけましょう」

 硬直から少しだけ回復したアンシャが、二人の間から震える声でアネッロに問いかける。

「手続きという事は、血は繋がってないのですよね?」

 周囲の雑踏に消されそうなほど小さなものであったが、それでも聞き取れなくもない。

 しかし、あえてアネッロは聞こえなかった振りをして、前列に配置された男二人に笑顔を向けた。

「さて、他に何か問題でもありましたか?」

「いえ、本日は注意勧告というところで。これで失礼します」

 もの言いたげなアンシャを、背の高い彼がやんわりと、だが有無を言わさぬ様子で肩をつかんでいる。

 表通りへと出て行く彼らを、猫目の彼がつまらなそうな顔でついていく。

「ご苦労様でした。ああ、そこのつり目の君。人手が足りなくて困っているのですが。少し手伝って貰えませんか?」

「いや、公務がありますんで」

「毎度のこと人を犯罪者扱いした挙句、謝罪もない。立場が上ならば、民を踏みにじっても構わない、と。そういう事ですか」

 少しばかり声を大きくすれば、通りを歩く人々が振り返る。女と押さえつけている男の動きが止まり、紫色の瞳をした猫目の彼は小さく呻き声を上げた。

「少しならいいっすか、コレットさん」

「民の役に立つ事も仕事の一つだ。少しだけなら構わないだろう」

 猫目の男は、わずかに不敵に笑みを張り付けたアネッロへと眼を向けてから、ゆっくりと離れていく二人に手を上げた。

 私も残ります――そんな声が聞こえてきたが、関係者達はなかった事にした。



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