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ギブ=ナーレ

 ――金貸しには、痛い目に遭っている。

 もちろん、ギブ=ナーレ本人が借金を負ったわけではない。

 この町ではないが、平民出のギブは、物心ついた頃から小さな店でささやかながらも両親の商売を手伝う子供だった。

 ある時期から、両親の様子がおかしくなり、商品の破壊や嫌がらせが増えていった。

 両親の借金ではない。

 母方の叔父が、金の無心に来ていた事も知っていたが、まさか叔父の借金を両親が肩代わりしなければならない所まで来ている事など、幼いギブには教えられるはずもなかった。

 金貸しの手下共が毎日締め切った戸を叩いたり蹴りつけたりしながら、捏造した両親の悪行を声高に叫ぶ。

 そのせいで店からは客足が遠退き、金が稼げなくなり、返せなくなる悪循環。

 父は意を決して、金貸しの眼を盗んで他の町に出稼ぎに行き金を送ると言い、そのまま蒸発した。

 見つかって、見せしめとして殺された可能性もあるが、五歳になったばかりのギブには何の情報も伝わってはこなかった。

 近所の誰も、助けの手を差し伸べてくれる者はいなかった。

 いよいよ、母の精神が壊れ始め、痺れを切らした金貸し共が家に踏み込んできて――


 ギブは、頭を振った。

 急激に浮上した吐き気と、売られかけた記憶を無理矢理に心の奥底へと沈める。

 モネータの後について階段を下り、小さな扉を潜ると、背後で軽い硬質な音が聞こえた。

 目の前に広がるのは、薄暗く細い通路だった。

 その先に光が差し込んでいる部屋が見える。居住している空間なのだろうとギブは眼を細めた。

「どうぞ、先へ」

 背後にいる男に声をかけられた。

 金貸しの住処だ。何が仕掛けられているかしれない。気を張り詰めながら、足を出す。

 天井に近い所にある窓から光が差し込み、男所帯にしては整っている一室が視界に開ける。

 キッチン近くの扉の向こうに、もう一室ありそうな空間が気にはなるが、誰かが潜んでいる気配はなかった。

 そうして油断なく視線を動かす。華美な物は置いていない。普通の民が暮らすような空間だった。

 思えば、事務所の中も革張りのソファや、事務机は良い物を置いていた事を思い出す。だが、それだけだ。一目見て値の張りそうな絵画や、置物などは一切なく、客の座る場所と作業机、そして上着掛けがひっそりと立つだけだった。

 訝しい思いで立っていると、モネータ=ジュダスがテーブルを囲んでいる椅子の一つを引く。

「こちらへどうぞ」

 たかが金貸しであるはずの男の、さり気なくも優雅な振る舞いに、ギブは少々面食らう。

 一瞬、貴族階級の執事ではないかと思えるほどの、立ち居振る舞いに見えたのだ。

 平民出とはいえ、ギブは第一級犯罪捜査班に配属されている。

 相手が貴族様の場合も往々にしてある為、マナーに関しては叩き込まれていた。

 平民出の人材は、ギブの他にも数人だがいる。昔、浮浪児だった者が採用された例もある。

 それについては、よほど能力の高い人材だったのだろうとは思うが。

 抵抗するわけではなく、椅子に座る直前で、モネータ=ジュダスが椅子の位置を調整してくるのには、さすがに苦笑を隠しえなかった。

「何か?」

「いや、何でもない」

 そう言って、ギブが誤魔化すように咳払いすると、気にしない事にしたのか、モネータ=ジュダスは、机を挟んで正面にある椅子を引いた。

「それで、私はどうしていたらいいのでしょうか」

 腰を据えてすぐに、真摯な眼差しを向けてくる彼に、ギブは眉を顰めた。

「私は、モネータ=ジュダスの見張りです。外出などは極力控えて頂きます。逃亡したと判断した場合、即日の極刑となる事もあります」

「……犯人ではないと分かるまで、ナーレ殿の眼の届く範囲にいる事。という考えで間違いはありませんか?」

「そうして下さい」

 ギブの言葉に、分かりましたと素直に返答する男とて、金貸しの手下だ。

 偽りの姿を見せる事など、お手の物だろう。この姿が本物だと思ってはいけない。

 少しだけ視線を下げたが、男はすぐにギブへと戻す。

「分かりました。では、これから中庭にて棒を振ろうと思うのですが、よろしければ手合わせなどして頂けませんか?」

「棒を?」

 あわよくば、自分を打ち伏せようとでもいうのか。

 そう考えると、期待するような青い眼差しに、苛立ちが増した。

 ギブは、ゆっくりと息を吸い、それ以上に時間をかけて吐き出した。

 どこかで駄目だ。と警告する声が聞こえた気がする。

 自分は、第一級犯罪捜査班に配属されるだけの訓練を受けてきた。それこそ文字通り血の滲む努力をしてきた。

 こんなちっぽけなトラウマに負けるわけにはいかないのだ。今では、どんな者をも捩じ伏せられる立場にある。

 昔のような、何の力も考えもないような子供ではない。

 ふと、笑みを浮かべる事が出来た。大丈夫だと、自分に言い聞かせる。

「お断りします。私の仕事は、ジュダス商会で働く者の見張りですから」

「そうですね。わがままを言ってしまい、申し訳ありませんでした」

 丁寧に頭を下げられ、そして立ち上がる。

 それと分からないように、ギブが身構えると、モネータ=ジュダスは人好きのするような顔で微笑した。

「では、家の事をしておりますので、御用がありましたら声をかけて下さい」

 そう言って長袖のシャツを腕捲りしながら、ギブの背後にあるキッチンに向かう。

 背後で包丁でも振り上げられては敵わないため、席を立ち、狭い部屋を見渡せるよう壁に背を預けた。

「ナーレ殿、お寛ぎ頂いて構いませんので」

 突然立ち上がったギブに、眼を丸くしながらモネータ=ジュダスが椅子を勧めてくるが、右手の平を彼に向けた。

「お気遣いなく。私は仕事でこの場におりますので」

 神妙な顔でうなずき、食器を洗い出すモネータ=ジュダスは、それでも客人への気遣いのような雰囲気が垣間見える。

 次いでストーブの灰を掻き出し、新しい薪をくべ、床掃除を手際良く終わらせた。

 そして、ギブへと一礼する。

「庭で修練を行いたいと思いますので、移動します」

「……外出でないのなら、別に声をかけなくとも」

 そう言ってやると、もう一度礼をしてから歩き出したため、ギブは彼の後をついていく。

 左手側に扉が二つ、壁に取り付けてある。寝室だろうと思われたが、一つずつ確認をしてみたい気持ちを抑える。仕事の範囲外だからだ。

 通路の正面の扉を、モネータ=ジュダスは躊躇なく開く。

 思ったよりも広いその中庭は、四方が壁に囲まれており、密談するにも事欠かないだろうと見回す。

 出てきた扉の横に立ち、奥の角に立てかけてあった棒を持ち出した彼を警戒しながら、様子を見守った。

 腕ほどもある太い棍棒を素振りし始めた男を見て、少しばかり息を呑んだ。

 確かに、モネータ=ジュダスの体格は、眼を瞠るものがあった。

 だが、見せかけの筋肉だと思っていたそれは、十分に機能性のあるつき方をしていた。

 腕力の強さもさる事ながら、俊敏さも見て取れる。

 かなり長時間、ギブはそれを見つめていた。

「金貸しごときに、こんな調練が必要なのか」

 思わず、言葉が口から漏れ出た。それほどの事を、目の前の男はしている。

 他人を脅し、腕力に物を言わせるのであれば、間違いないものだろうが、今まで見てきた金貸しとは明らかに逸脱している。

 訓練などというには、生温い。

 これは、騎士が行うような過酷な調練に酷似している。

 モネータ=ジュダスが、手を止めて袖で汗を拭った。

「こういった仕事だからこそ、様々な者に恨まれ妬まれる。何が起こるか分からないからこそ、自分の身くらい守れるようになれと言われております」

 真剣な双眸がギブを貫き、ギブの中で黒く燃え盛る何かが沸き起こった。


 この土に、目の前の男を這いつくばらせたい。

 呻き声すら出ないほど、徹底的に貶めてやりたい。

 こんな言われた事を鵜呑みにして、人を傷つける力を鍛える金貸しの子分など――殺してやりたい。


 降ろしていた手が、いつの間にか握りしめられ、手の平に爪が食い込んでいるのに気がついた。

 緩める努力をするが、上手くいかない。

 『それ』は、今の自分の仕事ではないと、自らに言い聞かせる。

 『それ』を行うのであれば、目の前にいる純粋さを装う男が、ボロを出すのを待つしかない。

「……そうか」

 それだけを、言葉として捻り出す。

 手を出さないよう、きつく腕を組み、暗い瞳で一つ一つの動きを見つめていた。

 陽が少し傾いた頃、慌しくアネッロ=ジュダスとキーダが戻ってくるまで――



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