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尋問

 今まで表情を変えなかった男が、一瞬ではあるが、わずかに眉を動かした。

 捜査官の目の前でカリダを攫われたという大失態は、すでに通達されているのだろう。

 ジーラはアネッロから視線を外し、帳面になにやら書きとめてから、ペンを置いた。

「その件につきましては、大変申し訳ありません。現在、領内への出入りを制限し、総動員で事にあたっております」

 アネッロは、右手で顎を擦りながら、眼を細めて座っている男と立っている男を観察した。

 表情は変わらないように見える。

 だがカリダの名を出した時、扉の前に立つリベナの肩が小さく上下した。

 ほんのわずかなものだ。

 二人の捜査官がしでかした失態に、訓練を積んだであろう彼らが動揺したのだ。

「失礼を承知で、伺いますが。孤児の数が著しく減少した、もしくは保護した者を連れ歩いている時に攫われた事が、以前にもありましたか?」

 その言葉に、ジーラは表情を変える事はなかったが、後ろの男の頬がわずかに動く。

 奥歯を噛みしめたのだろう。人が見逃しやすいサインを、アネッロの眼はどんな些細な物でも拾う。

 優秀なのだろうが、素直すぎる。

 目の前で何が起こったとしても――たとえ誰を、殺されたとしても。感情を動かさない。

 これにかんしては、経験を積むしかない。

 扉の前から動かないリベナへと少しだけ視線をやって、何故この迂闊な男がこの場にいるのかを知る。

 ――この場にいる事にも、理由がある。

 アネッロはジーラへと眼を戻し、一切表情を動かす事なく、心の中で苦笑した。

 冷えた室内に、奇妙な緊張が生まれていた。

 目の前の男は、微笑を浮かべるわけでもなく、あくまで何もないと装う。

「……そのような報告は聞いておりません」

「そうですか。これはおかしな事を、申し訳ありません」

 そのわずかな間と、聞いていないという彼の言葉に、アネッロは肯定であると判断を下した。

 報告を『受けていない』とは言わなかった。

 人身売買。

 孤児、それも浮浪児が数人いなくなったとしても、誰も気がつかない。

 アネッロは、分かるように苦笑して見せた。

「それはそれとして。現時点で、私の罪状は殺人なのですね」

「そうです。ですが、まだ容疑がかかっているというだけの状況です。最近、あなたがお持ちの鞭を振るった事は?」

「ありますとも。攫われたカリダのしつけに用いていましたよ」

「あのサイズの、鞭で、ですか」

 さすがに怪訝な表情を浮かべたジーラに、笑みを向け、うなずいてやる。

「何か問題でもありますかね?」

「問題……今回は特に追及はしませんが、他にもいるのではありませんか?」

 ゆっくりと手を机の上で組み、もったいぶっているジーラに、小さく首をかしげ、眼を細めてやる。

 彼は楽しげに口を歪め、ペンを取り上げた。

「最近、警邏隊がある男達を捕縛しましてね。彼らにはある痕跡が」

 アネッロは、裏路地で痛めつけた男達だろうと見当がついたが、知らぬ顔で話の先を促す。

「皮膚は裂けてはいませんでしたが、打撲痕がはっきりと残っていました。打身と骨折、そして今回ジュダスさんから押収した鞭の太さと、そのあざが一致しました」

 今の話をして、どう返してくるのか。それがジーラの楽しみでもあるのだろう。

 アネッロは、まだ話の先があるのかと少し待つ。

 だが彼は、アネッロへと笑みを浮かべ、見つめたままだった。仕方なく、アネッロは口を開く。

「グイズ警邏長は、殺害の凶器に鞭が使われたと仰っていましたね。という事は、今言われた男達に残された痕と、フィダート氏になんらかの形で残された痕が鞭で打たれたもの、という事になりますね」

「……グイズ警邏長が、言っていたのですか?」

「ええ、はっきりと仰いましたよ。これは大通りの者達も大勢が耳にしています」

 アネッロの言葉に、ジーラは手を口元で組んだ。表情を読ませないためだろうと判断したが、そのまま話を続ける。

「そうですか。それで、あの男は他に何を口走りましたか?」

「……そうですね。まずは殺人容疑で捕縛する、と叫んだ後、部下に私の鞭を取り上げさせ、私を犯罪者扱いするだけの確たる証拠がある、と。あれが凶器と認定していました」

 正面に座る男は眼を細め、笑むような形に暗く歪められる。

「そして、お前こそが犯罪者だからだと決めつけましてね。私が西通りの金貸しに恨みを抱いている者で、鞭を所有している者がどれだけいるのかと言いましたら、くだらん作り話を! と恫喝されました。これは西通りで金を借りた者達について、まったく調べていないという事ですかね?」

 言えば言うほど。

 という言葉がしっくりくるほど、アネッロが事実を話すほど、ジーラとリベナの表情が歪んでいく。

 当然だろう、まだ町に流れていない情報を、大声でのたまったのだ。

 凶器は、鞭である、と。

 ジーラは、そこで初めてリベナへと振り返る。

 特に言葉を発したわけでもないが、扉の前で待機していた男は、部屋から滑るように出て行った。

 アネッロは、二人の様子など気にせず、それでと告げる。

「すべてをうやむやにしてまで、私の仕業だと仰るつもりなのですね」

 ジーラは眉間に浮かんだ青筋もそのままに、それでも気持ちを無理矢理押さえつけたのだろう、声だけは穏やかさを装っていた。

「……そうではないのですか?」

「身に覚えがありませんね」

「痕跡の一致は、どうお考えになります?」

 ジーラに焦った様子は見られない。

 叩きのめした男達はこの町のごろつきで、知った顔だった。

 アネッロにやられたなどと、自分達がやっていた行いも含め、彼らは口が裂けても言わないだろう。

 彼らにとって何も盗れず、痛い目に遭った。強盗未遂ではあるが、現実には暴行罪。ただそれだけなのだ。

 アネッロに眼をつけられるより、捕縛された方がまだマシだと考える事など手に取るように分かる。

 だが――だからこそ目の前にいる男は、アネッロから少しでも情報を引き出そうと、身動ぎすら見逃さないよう観察し続けていた。

 アネッロは、穏やかに笑みを浮かべる。

「それを私に……金貸しに聞くのですか? そちらの領分でしょうな、私にはさっぱり分かりません」

「凶器が、あなたの鞭だと断定されてもですか」

 それについては、アネッロは小さく肩をすくめて見せる。

「断定するという事は、それを裏付ける確実な何かがあったからでしょう。ならば何も分からないとはいえ、私がどうと言える立場にありますか?」

「……言葉が足りませんでしたね。最有力ではありますが、断定されたわけではありません。本格的な鞭ではありますが、流通されている物でもありますので」

「でしょうな。私としては、本物の凶器とやらがグイズ警邏長の言葉で、早々に処分されない事を祈るのみですがね」

 帳面に何やら書いていたジーラは手を止めた。アネッロはそれとはなしに眼をやった。

 すぐに解放されるとは思えないが、リベナを使う事はなさそうだった。。

 目の前のジーラよりも一回り大きな体躯をした彼の、見て分かるほど頑強な拳は、あからさまな態度をとる容疑者への取調べに有効なのだろう。

 アネッロは、確かに素直に答えてはいない。

 だが、彼を使わないという事は、まだその段階ではないのだろう。

 彼らはまだ、アネッロの鞭が強盗に使われたという事実に行き着いてはいない。

 それは、彼らを見れば一目瞭然だった。

「私は勾留されるのですか?」

「それについて、意見は出ましたが。容疑者とはいえ、確実な証拠があるとは言えません。ご自宅から極力外出しない。生活用品など、必要最低限の外出のみ。そして、こちらの捜査官を二名つけさせて頂きます。アネッロ=ジュダスさんと、モネータ=ジュダスさんに一名ずつ」

「見張り、という事ですね」

「そう取って頂いて構いません。交代制ですので、その者達の食事などは必要ありません」

 アネッロは、うなずいた。

「分かりました。ですが、私服でお願いしますよ。こちらとしても捜査官が事務所にいると分かるような状況は、特殊な商売上、信用にかかわりますのでね」

「ええ、もちろんです。その点は、当然考慮させて頂きます」

 ジーラは、音を立てて帳面を閉じた。



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