表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
61/97

噂話

 三件目の店に、顔を出した。

 アネッロを見るなり、店主の男は店内を慌てて見回し、足元に寄せていた木箱を片付けるよう妻に指示を出す――前に、恰幅の良い女は素早く箱をつかむと奥へと駆け込んだ。

 そのあまりにも見事な彼女の動きに、口を半分開けたままの店主が、そのままアネッロへと振り返ってくる。

 二人で思わず苦笑を交わし、アネッロは店内を見回した。

「ここは、奥様に感謝するとしましょうか」

「はあ、なんとも面目ない」

 少し照れ臭そうに笑う男に、アネッロも柔らかく笑んだ。

 店の外から、アネッロの名を呼ぶ切羽詰った声がした。

 アネッロが半身、店の外へと身体を向けると、血相を変えたアンシャが、人ごみを掻き分けて走ってくる。

 尋常ではない顔色に、アネッロは店主への挨拶もそこそこに、外に出た。

「申し訳、ございません!」

 人の眼も気にせず、勢い良く頭を下げたアンシャへと、眉を顰める。

「ザイエティ捜査官、どうされました」

 声をかけてやれば、ぱっと顔を上げた。

 隊長と呼ばなかっただけでも、及第点だろうか。それだけ彼女の表情は、余裕などなく必死なものが浮かんでいる。

「少し、話をよろしいでしょうか」

 興味津々な様子で、店主が顔を覗かせ、周囲にいた人々も眼を向けていた。

 アネッロが見回すと、彼らは何でもない顔をして、そそくさとその場から立ち去っていく。

「歩きましょう」

「……はい」

 ゆったりと歩き出しながらアンシャを見れば、彼女は息を整えながらも、周囲に眼を走らせながら硬い顔をしている。

「カリダが、どうかしましたか」

 雑踏に紛れるように、静かに声を発すれば、アンシャは唇を噛みしめた。

「申し訳ございません」

「謝罪はすでに聞きましたよ」

 先程出て行ったばかりで、隣にカリダの姿がなく、アンシャが思い詰めた顔をしている事から、あの獣少女に何かあったのだと思うのは必然だった。

 決然と顔を上げたアンシャは、口早に語り出す。

「カリダが、さらわれました。二人で追ったのですが、仲間と思われる者達にはばまれまして――見失いました」

 悔しそうに低く声を絞り出すアンシャに、アネッロはいつものように笑顔を作ったままだ。

「アルトに命じて捜査班を出動させ、外に出る者への検問を敷きました。カリダの保護を優先に、犯人確保致します」

「頼みますよ」

「はい、失礼致します」

 穏やかに返答するアネッロに、彼女はしっかりとうなずいて一礼し、駆け出していった。

 アンシャの背が、人混みに消える。

 彼女の跡をつけるような動きや気配は、周囲には感じられない。

 アネッロはそのまま歩き続け、普段と変わらず、店に顔を出しては小さな所に口を挟み、そして次の店に行く。

「ああ、ジュダスさん。今日はだいぶ人が入りましてね」

 頭を掻きながら首をすくめ、それでも少し安堵したようにも見える店主に眼をやってから、店内を見回す。

「そのようですね。何が良かったのか把握して、更に次へと繋げられるようにして下さい」

「商売というものは、難しいですな」

「人相手ですからね。今は売れても、次同じように売れるとは限りません」

 さもあらんとうなずく丸顔の男は、それでも笑顔が見えていた。

 草木の蔓で編んだ小さなカゴを、アネッロは一つ手に取る。

「そういえば新しく仕入れたモノが、つい先程、紛失しましてね」

「……おや、それはお困りでしょうな。入用の物がありましたら、手をかけさせて頂きますよ。ジュダスさんには世話になってますからね」

「そうですか」

 眼だけを意味あり気に店主に向ければ、彼は少しだけ眉を動かして微笑する。

「かしこまりました。少しだけ時間を頂けますかな?」

「ええ、もちろんです」

 言って、アネッロは金袋からいくらかを手にしていたカゴに入れる。

 それを店主に差し出せば、彼は慣れた様子でそれに布をかぶせ、受け取った。

 黒く塗られた別のカゴを一つ手にし、アネッロはその店から出た。

 アネッロが持って行ったカゴの代金以上の金を、店主は妻である女にカゴごと渡す。

 新しいカゴを奥から出してくると、黒いカゴが置いてあった場所に乗せた。

 オレンジ色に塗られたそれは、先程のカゴとは対照的に、存在を主張している。

 この店は、アネッロと同じく市井に紛れて網を張る者達の一角だった。

 鮮やかな色のカゴを置いたのも、合図の一つだ。

 それは、もちろん通りを歩く通常の客の眼も惹く。

 だからこそ、店の前での動きが少し乱れた事に気付いた仲間が、気付きやすくもなる。

 そのカゴに眼をやりはするが、通り過ぎていく者達が多い中、一人の女性がカゴ屋に声をかけた。

「良い色のカゴがあるじゃないの」

「おや、奥さん。さすがチェックが早いね」

「当たり前じゃないの! 良い物を見逃してるようじゃ、私じゃないだろ?」

 そう言って二人で笑い、女は無造作にオレンジ色のカゴを手にし、裏に返したりなどして物の良さを確認している。

「さっき、ジュダスさんが来てたろ? また小うるさい事、言われたんじゃないのかい?」

「いやいや、今回は珍しく儲けがあったからね。なんとか乗り切れたもんさ」

 店主は明るい色のカゴと代金を受け取ると、妻に渡した。

「包みますんでね」

「ああ、ありがとうね」

 明るくうなずいた女に、店主の妻が包んだカゴを持ってくるまで、他愛ない雑談を交わす。

「そうそう、聞いた? なんでもモガリさんとこの横道で、捕り物があったそうよ! 結局、男に逃げられたとか。怖いわねえ」

「へえ! なんだか物騒な事が続くねえ」

「本当よね! それでね? 話によると、東の方に逃げたらしいんだけど、なんでもその内の一人が子供を抱えてたみたいよ? 孤児、なのかしらね。嫌よねえ、孤児院であんな事があった後だし、なんとかならないものかしらねえ」

 すぐに戻ってきた奥さんから商品を受け取って、女は礼を言った。

「遅くなりまして」

「いいえ! 丁寧にありがとうございます」

「良い色でしょう? この人が新しい染料を見つけてね、こんなに素敵な色が出せたんですよ」

 店主の妻が穏やかにうなずいて、軽やかに笑う。

 女は包みを抱き、嬉しそうに歯を見せた。

「こんなに素敵な色合いの物ってないものね! すごいわあ、そりゃ儲けも出るわよ。旦那さんが熱心だと、やっぱり違ってくるものね」

「いやいや、褒めても何もでやしませんよ!」

「ええ? そうなの? 残念だわあ」

 照れ臭そうに笑う店主に、女はくるりと眼を回して店主の妻と共に笑った。

「じゃあ、また寄らせてもらうわね!」

「また、新しい物を作りますんで! その時はよろしく願いますよ」

「楽しみに待ってるわ」

 女は、満足気な顔で店から出る。

 その女も、仲間の一人だ。住民の一人として、店を構えるでもなく、少しだけ余裕のある家の女主人だった。

 旦那を殺され、未亡人になった彼女は、今の店主から声をかけられた。


 この町をより良くするために、誰にも知られず、眼を光らせて欲しい。

 犯人が逃げおおせるなどという可能性を、根絶するためにも。


 正義などという、大層な考えなどではなかった。

 恨むべき相手を、確実に自らの手で制裁出来るように。

 話に乗った時、多くの者が裏で動いている事を知った。

 女は、間違いなく高揚した。犯人を、狩りをするように静かに、だが的確に追い詰めていく様に。

 ゆっくりと染み渡るような感覚が、愛する旦那を失った空虚な胸の内を埋めていく。

 他の誰もが、大切な誰かを失っていたり、生きる事を理不尽に踏みにじられていた。

 何かを崇拝したり、誰かに、ただ甘えて寄りかかる事はやめた。

 だからといって、誰にも頼らないわけではない。

 すでに大勢にかかわり、頼ってはいるがお互いに馴れ合ってなどいなかった。

 女のように、訓練など受けていない者達も大勢いる。

 普通に生活をし、周囲に気を配り、ただの噂であっても手に入れた情報は、細かい物まで全て世間話に織り交ぜた。

 出来る事といえば、ほんの小さな事でしかないのは分かっている。

 わずかな世間話で、何がどのように繋がっているのかなど分からない。

 だが、それぞれが見聞きした違和感が積み重なれば、犯人像が割れる事は多々あった。

 危険な事など、ありはしなかった。今言った話を聞いた者は、自分以外にもいる。

 良い物を購入して、ただ話をするだけ。

 小さく息を吐き出して、腕の中の包まれたカゴを見下ろす。

 ふと笑みを浮かべ、顔を上げた。他の店から声をかけられ、そちらへと顔を向ける。

 復讐に心を暗く燃やす事ばかりではなくなった。

 いなくなってしまった旦那を、ただ泣き暮らすだけの日々でもない。

 旦那を忘れたわけではない。それはずっと心を占めて、彼と共に過ごした日々は、眼を閉じればすぐそこに浮かび上がる。

 楽しかった思い出を、思い出せるようにもなっていた。

 声をかけてくれた店の奥さんへと笑顔を向け、女はいつものように井戸端会議に花を咲かせた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ