捜査官の訪れ3
「さて、他に何か御用はございましたか?」
アネッロは笑顔であったが、この場にいる者は皆、その言葉の影に隠れている意味合いを、はっきりと感じ取った。
暗に、帰れ。と言ったのだ。
「では、カリダと言いましたね。ついていらっしゃい」
「孤児院に、戻される。とか? ないよな?」
「孤児院……」
真剣な顔で見上げてくるカリダに、アンシャは少し眉をひそめた。
孤児院と聞いて思い出したのだろう。
領主お抱えの騎士が直々に任務を負ったため、犯罪捜査班は出動しなかったが、真夜中の大捕り物があったばかりだ。
後始末を任されたため、状況は把握している。
まっすぐ見つめてくる大きな茶色の瞳には、嫌悪が見え隠れしていた。
他の者は分かっていて黙っていたが、アンシャは片膝をつき、カリダと視線を合わせる。
「どうして、孤児院に? カリダは、ジュダスさんの養女になったのでしょう? 孤児院はこれから全面的に改革されますが、あなたにはもう関係のない場所でしょう」
「関係、なくなる?」
「ええ。たとえ子供達が成長して、ここから出たくない! と、柱にしがみついてでも居続けたい。そう願うような孤児院にしていくつもりだそうですが、カリダには関係のない場所ですわ」
微笑し、少女の瞳を覗きこむように眼を向ければ、カリダは眼を伏せ、ふと唇を笑う形に動かした。
「そっか。でも、どんなになってもあそこには戻りたくない」
「そうね。戻れないと思うわよ? きっと、こちらのジュダスさんが手放してくれないだろうから」
「……それも、どうかな。とは、思うけど」
カリダが、少しだけアネッロを見やるが、眼が合うと慌てて逸らす。
それを見て、アンシャが小さく笑った。
楽しげに、だが優しく。
立ち上がると、アネッロに似た作り笑顔で、少女を見下ろした。
「時間がありません。今から特訓です」
「今、から?」
「当たり前でしょう。十日しかないのですよ? 長くても、という事ですから、七日で仕込ませて頂くわ。頑張っていきましょう」
はっきりと嫌だと顔に書いたカリダだったが、アンシャは少女の背中に手を回し、容赦なく扉へと押していく。
「ちょっ……! ちょっと! え、もう?」
「やるからには、泣き言は一切聞きませんので。ああ、それと、ジュダスさん達に暇のご挨拶をなさい」
「い、いとま? って、なんだよ」
思わず口から出た言葉に、アンシャは表情を消し、肩関節を強く握る。
肩が外れたと思うような痛みに、小さく悲鳴を上げたカリダは、怒りのまま彼女を見上げ――硬直した。
女版のアネッロを、見た気がしたのだ。
「なん、ですか?」
「今までお世話になりましたが、しばらく留守にするご挨拶を。という意味です」
「……はい」
返事はした。
振り返ってアネッロを見たものの、何を言っていいのか分からず、口をつぐむ。
とりあえず、困った時はモネータを見る。
その習性が、この何日かで染み付いてしまったが、彼は苦笑しながらも、うなずいて見せた。
カリダに教えたのは、人の話をよく聞く事。
そして知らない事は、恥ではない。はっきりと知らないと言うべきだという事。
最後に、自分の知り得る事は変に隠す事なく、すべて公にしてもいい。という三つだった。
人の話の中に、答えが含まれている事は多い。
無闇に緊張などせず、心を落ち着けてきちんと聞き、知らない事を恥と思う事もなければ、それによって分からないままで終わらせたり、暴れたり悪態を吐いて誤魔化す事もない。
しかし、その時に自分が何を言ったのか、しっかり把握する事だった。
カリダは、もう一度アンシャへと眼を向け、少し考える素振りをしてからアネッロへと向き直った。
「えっと、今までお世話になりましたが、しばらく留守にします」
アンシャの言葉を、そのまま言うしかなかったが、あながち間違いではなかったようで、肩への圧迫感が消えた。
口元を押さえて顔を逸らしたアンシャだったが、すぐに呼吸を整え、アネッロに向かい優雅に一礼する。
「では、失礼致します」
「ガトの件、くれぐれもお願いします」
それぞれがアネッロに声をかけ、退室していく。
階段を降りていく足音が遠ざかり、大扉が閉められる音を聞いてから、アネッロは眼鏡を外した。
机の片隅に眼鏡を置き、扉近くにかけてあった丈の長い緑色のベストを羽織る。
短鞭と長鞭をベルトに取り付け、それで隠すと、静かに命令を待つモネータに声をかけた。
「留守を頼みますよ」
「はい」
彼を事務所に置いて、大扉から外に出ると、そこかしこから視線を感じた。
見張られている。それは、眼にしているかもしれないが、はっきりと認識出来ていない敵だろう。
ひょっとしたら西の金貸しが殺された事にも、関連しているかもしれない。
気付かないふりをして、アネッロはゆったりと歩き始める。
いつものように、店に顔を出し、品揃えを確認していく。
ノーチェフが、誰にも知られずに消えた。
いや。報告では、駐屯所近くの壁に新しくついた深い傷が残っていた。
一見、壁の表面や地面はその傷以外綺麗なものだったが、壁についた傷の奥には血痕が付着しており、地面も多少掘れば何があったのか歴然である状況が浮かび上がっていた。
アンシャが、ガト失踪という内情を話したのは、彼女を騎士として育てたのは、他でもないアネッロだったからだろう。
自分に戻って来て欲しいと願っている事は、知っている。
アネッロは、一瞬だけ息を吐いた。
全て、過ぎた事だ。
ライアンは当然の事、アネッロ自身も後戻り出来ない事は明白なる事実だった。
今、考えるべき事は、そんな考える事すら無駄である過去ではない。
アンシャが言った事を重ね合わせれば、ノーチェフとガトが同時期に何かあったとしか思えない。
核心に迫る何かを見たのだ。そして、負傷した。
削られ、新しい土をかぶせてあったとはいえ、その量から考えても血液の量は多いものではなかったと聞いている。
二人が同じ場所にいたのであれば、足を引っ張ったのは、どちらなのか。という事に関しては、迷うべくもなかった。
――まだ、早いのだがな。
周りに聞こえない程度に、口の中で独り言ちる。だが、すでに事態は動いている。
敵が味方の振りをして、事務所にまで乗り込んできた。
そして、ノーチェフとガトが同時期に消えた。