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捜査官の訪れ1

 ――昼を過ぎた頃、事務所にいたアネッロは階段の軋む音を聞いた。

 軽やかな足音と、重さの違う足音が二つ。

 羽ペンをペン立てに挿し、書類を木箱に入れ横に避けた所で、同じ間で三度扉を打つ音がした。

 声をかければ、遠慮なく男女が踏み込んでくる。

「おや、ザイエティ捜査官とコレット捜査官ではないですか。質入れですか? それともいくらか用立てましょうか」

 にこやかにそう言ってやれば、彼女は少しばかり眉を寄せ、コレットは無表情で彼女の斜め後ろで、ただ姿勢良く控えていた。

「私には、どちらも関係ありません」

 アネッロは、もちろん本心で言ったわけではなかったが、アンシャは生真面目に返してくる。

「そうですか。でしたら私共には何の対応も出来かねますので、お引取りいただけますかね。これでも、忙しい身ですので」

 狭い部屋を見渡し、アンシャはアネッロの右後ろに取り付けられている扉へ眼を向けた。

「ガト=オッキオを探しています」

「最近は、顔を見せる事もありませんよ」

「その扉は? あらためさせて頂いても?」

 いぶかしむように眼を細めた彼女へ、アネッロは穏やかに笑みを浮かべる。

「お断りしましょう」

「……我々に見られて困る物でも、あるのかしら?」

「お客様からお預かりしている質草を保管している場所になりますので。私以外、誰も入れないようにしているのですよ」

「私が、捜査官として命令したとしても、ですか?」

 少しばかり低い声になったアンシャに、アネッロは動じるでもなく椅子を鳴らして立ち上がる。

 眼を細め、苦笑の形に口を歪めれば、アルトが彼女の後ろで警棒をさりげなく確認するのが眼に映った。

 その仕草に眼をやり、ゆっくりと彼に視線を合わせれば、機先を制されたのが分かったのだろう。アルトの顔に厳しさが浮かぶ。

「捜査官としてと言うのであれば、これは何の捜査ですかな? アレがここに入っているという証拠でも? ここには、誰も入る事を許していない。そう私は言ったつもりですよ。それは、元働き手のガトであっても、変わらない」

「本日のまだ暗い内、内勤の者に言いつけた後から彼の姿が見えないのです。昼まで何の連絡もないだなんて、今までなかったものですから。もちろん『頼まれ仕事』を任されている事は知っています。

ですが、長くかかる時には、誰からか言伝があるのですが、それもありませんでしたので。こちらに寄らせて頂いたのですが」

 滔々と語りだした彼女に、右手の平を向け黙らせると、アネッロは柔らかく笑んだ。

「アレは、かくまってくれなどと言いはしませんよ」

「彼は、ここの働き手だったのです。あり得ない話ではないでしょう」

 当然のように言い切る彼女に、アネッロは軽やかに笑う。

「私に蹴り出される事が分かりきっていて、そんな話を持ちかけてなどきませんよ。何か酷い状況に陥ったとしても、です。それは、アレのほうが良く分かっている事です」

 もう私の持ち物ではなくなったのでね。と付け加えれば、アンシャは唇を震わせて黙した。

 言葉を紡ぎ出せない彼女の変わりに、アルトが口を挟む。

「捜査官見習いとはいえ、公務ですから。ガト=オッキオをアレだとか、持ち物呼ばわりするのは、やめて頂きたい」

「それは大変失礼な事を申し上げました、アルト=コレット捜査官殿」

 仰々しく腰を折り、媚びるように顔を向ければ、彼は苦虫を噛み潰したような顔で押し黙る。

 背筋を伸ばし、あらためて笑顔を彼らに向ければ、彼女は小さく息を吐いた。

「個人的に伺っただけですのに、失礼を申し上げたのは私の方です。お詫び致しますが、本当に彼がどこにいるのか……分かっては、いないようですね」

 表情を変えずにいるアネッロに、彼女は諦めた顔で身を翻した。

 無表情に戻ったアルトが、アネッロから眼を離さずに口を開く。

「もし、顔を出すような事があれば……」

「即刻、通報致しますとも」

 アネッロは当然とでも言うべく、にこやかにうなずいた。

 その胡散臭い笑みに、アルトの表情がわずかに動いたが、すぐに無表情へと戻る。

「行きますわよ」

「……はい」

 彼女が扉に手をかけた時、アネッロは静かに呼び止めた。

 彼らの眼が、自らに戻ってくる。だが、声をかけたにもかかわらず、彼らが眉をひそめるだけの時を、アネッロは口を閉ざしていた。

 部屋の中の時が止まったような感覚に二人は陥ったが、アネッロの眼に獰猛な光が浮かんでいた事で、彼らは何も言わず先程いた位置まで戻る。

「ザイエティ捜査官に、頼みがあります」

「それは、民としてですか?」

「……他に、何かあるとでも?」

 貫くような眼差しに、アンシャは眼を瞬かせ、直立した。

「いえ、何でもありません。私に頼みとはなんです?」

「カリダを。新しく養子にした少女を、獣から立派な淑女にまで至急成長させたいのですが、協力頂けませんかね」

 その言葉に眼をみはったアンシャは、少しばかり顔を歪めた。

 今回は、アルトも我関せずを決め込む事にしたのか、微動だにしない。

「……それは、私にその少女を引き取れと仰っているのですか」

「引き取れだなどと、そんな滅相もない。ただ、一時預かって欲しいだけですよ。ここではきちんとした教育も難しいのでね」

「アネッロ=ジュダス」

 笑みを浮かべたアネッロに、彼女は眉間のしわを伸ばすように指を当て、呻いた。

「ザイエティ捜査官がカリダを引きずって、ラクルスィ様の館に放り込んで頂いても構いませんよ」

「そ! ……そんな事、出来るはずがないでしょう」

 金切り声を上げかけた彼女は、それでもすぐに感情をコントロールした。

 一息吐いて、顔を上げる。

「民の頼みでも、出来る事と出来ない事があります」

「ならば、誰の頼みならば聞いて頂けるのですかね。直接ライアンから声をかけて貰うとか」

「それはおやめ下さい、隊長! あの方がかかわると、全てにおいて厄介な事態になるだけです!」

「この地の領主に対して、ずいぶんな物言いですね」

 悲鳴を上げた彼女に、アネッロが腕を組んで笑う。

 ゆっくりと表情をなくしていった彼女は、苦虫を噛み潰したような顔をした。

「至急、と言われましたね」

「理由は、貴族として礼儀作法を学んできたあなたが、一目見て耐えられないほどだ。とでも言いましょうか」

「私が、耐えられない? あなたの過酷な訓練を乗り切った私を? それはあまりにも侮辱ではありませんか! 女だからと、差別される方ではなかったはずです」

「差別、だと思っているのですか?」

 アネッロは、かかとで床を一度だけ強く打ち鳴らす。

「……何を?」

「すぐに分かりますよ」

 階下の扉が閉まる音がして、二人分の足音が近づいてくる。

 扉の方へと振り返り、二人は開閉の邪魔にならない位置へ身体を寄せた。

 小さく言い合いする声がして、乱暴に三度、扉が叩かれた。

「入れ」

 そう声をかければ、もう一度向こう側で言い合う声が聞こえてくる。

 扉を開けたのはモネータで、憮然とした顔で後ろについて歩きながら、カリダは事務所に足を踏み入れた。

「お呼びでしょうか」

 姿勢良く立つモネータに、アネッロは少しうなずく。

 カリダへと眼を向ければ、少女はすぐさま顔ごと逸らす。

「カリダ、こちらへ」

 机の前へとアネッロが移動すると、カリダは怯えたように一歩後ずさった。

「なんでっ!」

 短髪を振り回して、アネッロに驚愕の顔を向けた。

 素っ頓狂な声を上げ、それでも慌てて両手で口を塞ぐ。

 そのまま少女を見続ければ、根負けしたように唇を噛んで、カリダは恐る恐るアネッロの傍に寄る。

「……なんですか」

「こちらは第一級犯罪捜査班、班長のアンシャ=ザイエティ捜査官。後ろの男は補佐官」

 アネッロが二人を紹介すると、ぎこちなく背を伸ばして立っていたカリダは、わずかに背を丸め、表情を強張らせた。

「……なん、だよ。淑女教育だなんだって、やっぱりただの憂さ晴らしなんじゃねえか!」

 低く唸り声を上げ、カリダは奥歯を鳴らして、眉を吊り上げる。

「少しくらい寄せてやるかって……ほんの少しでも思ったおれがバカだったな」

 カリダの眼が扉を見るが、その前には困惑した顔でアネッロを見る金髪男が立ち塞がっている。

 同じように息を呑んでいる捜査官だという女と、何を考えているのか分からない男へと視線を流し、カリダはアネッロの傍を通る事にはなるが、窓に向かって走り出し――たが、アネッロがすぐさま少女の首根っこを捕まえた。

「離せよっ!」

 大暴れする少女を意に介さず、アネッロは左手で少女の首をつかんだまま、二人に向かって笑顔を向ける。

「分かっていただけますかな?」

「……女の子、なのですよ、ね?」

「ええ、十四だそうです」

 さすがに閉口気味のアンシャは、それでも弱々しく頭を振った。

 去来する何かを、振り払うように。



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