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囚われた者達2

 ノーチェフの部隊は、山向こうのネダーソン領でそれぞれ下働きをしていたり、店を持っていた。

 ラクルスィを狙った領主は、決して近い過去の人物ではないが、それでもまだくすぶっているものがあるのだろう。


 山越えをする商隊は、必ずといっていいほどラクルスィで足を止める。

 そのため、山向こうのネダーソンに金を落とす頻度が少ないため、狙う理由は分からないではない。

 だがそれで返り討ちに遭った事を逆恨みした、当時のネダーソン公は、多少の真実と自らの保身で都合の良いように捻じ曲げた文言を、さも真実のように語った。

 一方的にラクルスィを悪者にしたそれは、当時を生きた者が遠い過去となった世では、薄れゆくものであった。

 しかし、そのいさかいを知らない現代に生きながら、何かを作り出す事すらせず、自らの苦境を他者に転嫁して怒りをくすぶらせている者にとっては、言い伝えとなっている文言を事実と信じて疑わなかった。


 ネダーソンには、ノーチェフ達のような者が他国からも入り込んでいるが、おそらくラクルスィにもノーチェフ達のような者は、少なからず入り込んでいるだろう。

 この吊るされた状況で、ノーチェフの脳裏に真っ先に浮かんだ疑惑は、ネダーソンの策略ではないかというものだった。

 だが現ネダーソン領主は、どちらかというと穏健派である。

 ラクルスィ側もその諍いがあってから、ネダーソンにも物資や金が落ちるよう配慮しているからだ。

 そんな男が、ラクルスィの人間を使い、事件を起こさせるだろうか。

 万が一そうであったとしても、雑な感じが拭えない。

 アネッロの恋人を酷い目に遭わせた時のように、犯人が長く姿を隠してしまえば探す事は困難だ。

 だが、立て続けに悪事を働けば足がつきやすい。人目に触れるような派手な事件を起こせば、なおさらだ。

 暗い一室で息を吐き出せば、それは白く空気を染める。

 上半身の服を剥ぎ取られているノーチェフは、震えを極力抑えるよう気をつけていたが、近づいてくる声を耳にした。

 眼を閉じ、脱力するが堪えていた震えは、鎖を鳴らすほどではなかった。

 壁の向こう側で女が誰かに声をかけると、見張りをしていたのだろう男が不服そうに応え、鍵を開けた。

 床が小さく軋む音を聞きながら、ノーチェフはガトのように呼吸を浅くし、ただうな垂れる。

 自分の前で、気配が止まった。

「ノーチェフ殿、起きてますよね?」

 聞いた声だった。ネダーソンから連れて来た、ロザートだ。

 ナイフで敵の手を薙いだ時から、気付いていた事だ。

 信じていた部下が、どうして。などという甘い泣き言は、一切ない。

 彼女の右手が、ノーチェフの身体に触れた。ノーチェフの首から肩を優しく撫で、鎖骨を通って心臓の辺りで止まる。

 全体重は両手首にかかっているため、蹴り上げる事は可能であったが、ノーチェフは身じろぎひとつしなかった。

 ロザートは、小さく笑った。

 意識が戻ってはいないと判断したのか、それとも戻っていると分かっていて悪戯をしているのか。

「……ノーチェフ殿」

 胸から手を離したが、控えめな息遣いがノーチェフの髪にかかった。

 近い。そう感じるほど、ロザートの気配は至近距離にあった。

 彼女の手が、腹筋の溝を辿るようにゆっくりと撫で上げる。冷え切った身体に手の熱がうつり、じわりと溶けていく感覚がした。

「このまま意識を取り戻さないと、隣の男と一緒に死にますよ」

 温もりが名残惜しそうに腹から離れていく。

「……ロザート」

 ゆっくりと眼を開き顔を上げると、彼女は後ろに飛び退り、壁に背を当てた。

 鎖に吊るされたまま足を蹴り出しても届かない位置である事は、計算済みで吊るしているのだろう。

 その左手には包帯が巻かれ、少し血が滲んでいた。

 小さな明かり取りの窓からは、日差しが入り、多少薄暗くはあるが暗闇ではない。

 彼女の白い顔が、多少の焦りを浮かべながら笑う形に動く。

「起きてましたか」

 その言葉には応えず、ノーチェフはまだ薬の残っているぼんやりとした瞳を彼女に向けた。

 それを見て、ロザートはのどを鳴らすように小さく笑った。

「反射的に動く事はまだ叶いませんか?」

「……そのようだ」

「ノーチェフ殿のそういう格好は、滅多に見られませんから。目に焼きつけさせて貰いますよ」

 含み笑いをしながら、ロザートは不躾にノーチェフを眺めた。

 扉の外にいる見張りまで響かない程度の声音で話す二人は、お互いの腹を探るように眼を合わせる。

「俺を殺さなかった事に、意味はあるのか」

 怒りの色もなく、失望ににじんだ声音でもなく。ただ無感情で問えば、ロザートは柔らかく微笑した。

 冷えた空気をゆっくりと吸い、ロザートは腕を組む。

「知りたい事は、それだけですか?」

「……何を聞く事がある」

 敵側についているのだ。その事実だけで十分だった。

 彼女は黒い瞳をくるりと回し、小さく肩をすくめた。

 ノーチェフは、捕らえられた側だ。尋問なり拷問なりするのは、吊るされていない者の側だろう。

「簡単に口を割ると思うな」

「そんな事は、重々承知してますよ。ですが……こっちの男はどうですかね?」

「アネッロ殿に近しい者だ」

「それでも、あなたよりは簡単だと思いますよ」

 ロザートが横目でノーチェフを見ながら、回復する兆しの見えないガトの前まで来る。

 ガトも上半身の服を剥ぎ取られていた。

 力なくうな垂れた男のあごを持ち上げ、間近でしげしげと眺めると、ロザートは小さく笑う。

「ああ、これはもう駄目かもしれないかな? ノーチェフ殿のように、少しでも血抜きしていれば違ったかもしれないけど。もうベルトも意味を成していないわね。残念」

 あごから手を離し、再び頭を垂れたガトを冷たく見下ろした。

 もう一度、右手を伸ばす。

 硬く短い髪に指を埋め、閉じられたままのまぶたの上に親指を置く。

 少しずつ、ゆっくりと押し込むように力を加え――ガトの浅い呼吸が変わらない事を見て取ると、手を離した。

 ロザートは興味をなくしたように、また肩をすくめる。

「これは、使えないわね。ノーチェフ殿の名を伝えさせても動きはないようだし。この男を痛めつけてどこかに転がせば、アネッロ=ジュダスは動くのかしら。」

 唇をとがらせて息を吐いたロザートは、ノーチェフに声をかけるでもなく干草の向こうへと消える。

 ロザートが中から声をかけると、鍵が開けられ、扉がまた閉まる音がした。

 一言二言交わし、足音が離れていく。

 砂利を踏む音からすると、倉庫に使われているこの場所は、母屋からは離れた場所にあるのだろう。

 声を上げれば、見張りには聞こえるだろうが、他の誰かには届かない。

 他に音はない。ノーチェフは、遠ざかるロザートの足音を聞いていた。

 聞こえなくなり、しばらくすると、ガトが小さく身じろいだ。

「――ああ、痛え……眼をえぐられるかと思った」

 頭を上げず、ガトが小さく呻く。

「鎖が鳴る、動くなよ」

「そんなヘマしねえよ。俺様だぞ」

 ノーチェフの言葉に、そう返事をしながら弱々しく笑うガトを横目に見る。

 動こうにも、動けないのだろう。だが、意識が戻った事に光が見えた。

 それはただ、意識が戻れば死なない、という判断が出来るだけだ。

 現状から、意識を取り戻せば拷問対象として扱われるだろう。

 どちらが幸せだったのかなど、生き延びさえすれば、その時に考えればいい。

「生きていたか」

「ああ、ついさっきからな」

 口もうまく動かないのだろう、それでもわずかに開き苦しげに叩いた軽口に、ノーチェフは小さく口の端を持ち上げた。

「起きて早々だが、どれだけ動けるのか把握してくれ」

 そう言われたガトは、出来るだけゆっくりと深く息を吸い込み、吐き出した。

「分かっている事と、出来る事を教えてくれ。それまでに、なんとかする」



削除させていただいた、番外編『モネータとカリダのお手伝い』に関しまして。

新たに番外編用に連載短編として掲載する事にいたしました。


金貸しアネッロ番外編~ジュダス商会の面々~

http://ncode.syosetu.com/n9120cz/


それに伴い、本編・番外編をシリーズとしてまとめる事にしました。

シリーズタイトル『ラクルスィの金貸し』

http://ncode.syosetu.com/s7679c/


お手数おかけしてしまい、申し訳ありません。

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