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指輪の持ち主

「どうも」

 コートのポケットに指輪を放り込むと、目でそれを追っていたアルコが、掠れた声を出した。

「ガト……お前、それをどこで……?」

「あ? どこだったかな、忘れちまったけど。なんだよ、ひょっとして知り合いのもんだとか言ったりするのか?」

「……いや、見た事ある気がしただけだ」

「そうか? まあ一応、遺失物として役所に出すけどな。引取りにこなければ俺様の物ってやつ? んで、女行き? 気の長い話になっちまうな」

 じゃあなと笑って、ガトはアルコに背中を向け、外に出る。

 硬貨と一緒に指輪を転がしたのは、もちろんわざとだった。

 この指輪の持ち主を、ガトは知っている。

 そして、アルコが分からないはずがなかった。

 冷たい空気が無防備な頭を包む。階段を駆け上がり、顔だけで振り向くが扉が開く気配はない。

 アルコが指輪を取り戻すために、追いかけてくるかと思っていた。

 店を閉めてから、とでも思っているのだろうか。

 階段上で、ガトは壁に背を預けて舌打ちをした。

「……分からないはずが、ないだろうが」

 その指輪は、一度だけ見た事があった。酒場にいた頃のオリカが革紐に通して、首から提げていた物だ。

 遠く離れた場所で暮らす母親に、お守り代わりに貰った物だと、彼女ははにかみながら教えてくれた。

 いつもは服の中に入れているため、気付く者も少ない。

 たまたま首に紐がかかっているのが見えて、聞いた事があったのだ。

 それが、ダニーが倒れていた場所から、少し離れた垣根の奥に転がっていた。

 誰の物か理解した時、思わず隠してしまっていた。

「馬鹿だな、俺様も」

 クビになるだろうが、そんな事は些細で、ガトにとってはどうでも良かった。

 たいした仕事を任されているわけではない。だが、細かい仕事がいらないものだとは考えてはいない。

 しかし、それでも自分の代わりなどいくらでもいるだろう。それに、アネッロの影から出たわけではなかった。

 風の冷たさに、コートの襟をたてる。

 何度か冷えた手に息を吐きつけて、革の手袋をはめた。

 指輪を見つけて以来、アネッロにも内緒で彼女の動向を密に探っていた。

 母親の元にもその姿は見えず、父親であるアルコの元にもいないのであれば、婚約者とやらとすでに一緒になっているのだろう。

 どこの馬の骨だ。と、腹の中で黒いものがかき回される。

 だが、それでもガトよりは裕福で、危険も何もない場所で暮らしていけるのだろう。

 そう思ったが、コートのポケットにある指輪は、確かに存在していた。

「……馬鹿だな」

 下へ降りる階段を塞ぐようにしゃがみこむと、背中をつけている白壁に、指で触れる。

 手袋越しに、冷たく硬質な感触が伝わってきた。

 指輪を手の平で温めるようにつかむと、ズボンのポケットへと移動させる。

 二重になっていて、外から触れば何かあるのは分かるが、普通に探られたぐらいでは分からない造りになっていた。

 薄明るくなってきた空を見上げ、息を吐く。白く染まり、消えていくそれをただ眺めた。

 犯人が誰であれ、野放しにする気はない。

 それは、ガトの中で確固たるものであった。決して、揺るがないもののはずだった。

「まったく、情けねえ」

 軽く笑うが、乾いたものになった事に気付かない振りをした。

 その時、酒場の扉が開き、大柄の男が黒いコートに身を包み顔を出す。

 アルコを確認したガトは、冷えた指先を何度か動かして、立ち上がった。

 不躾に投げつけられた視線に気付いたのだろう、アルコはガトを見上げ、はっきりと顔を強張らせた。

「何か、俺様に言う事はないか」

「ガト……少し、待ってはもらえないか」

 アルコは、否定しなかった。

 酷く重そうな口調で話す男に、ガトは笑いもせず、白い息を吐き出した。

「人死にが出てる上、町も破壊されてる。これ以上、待てると思うのかよ」

「……分かってるさ」

「いいや、分かってないな」

 壁から背中を離し、ガトは彼と対峙する。

 証拠品を隠匿した事はさておいて、シェーンの事件で犯人を見たにもかかわらず、見逃した自分を許せなかった。

 あの時、誰に見られようとも飛び出して追えば、今のこの状況はなかったはずだ。

 すべては自分のせいだ。それならば、やるべき事は分かりきっている。

 だからこそ、犯人が誰であっても捕まえると誓った。

 それが万一にもアネッロだったとしても――愛していた女であったとしても。

 冷たい空気が、ガトの肺を冷やす。紫の瞳を暗く光らせ、低く声を発した。

「オリカは、どこだ」

「それは、母親の……」

 あくまで白を切るアルコに、ガトは警棒を取り出し、斜め下に振り下ろす。

 その風を切る音に、アルコは眉間にしわを寄せた。

「冗談、だろ?」

「冗談に見えるか? もう一度だけ聞く。オリカはどこだ」

「……犯人は、あいつじゃない」

 燃えるような眼で見上げてくるアルコが、遠くで低く轟いている雷鳴のように呻く。

 固く握りしめた岩のような手に、ガトはそれを制するように視線をやると、警戒された事に気付いたのだろう彼はそれを緩めて、肩を落とした。

「俺だ。俺が、やった」

 抵抗を見せないアルコに、警棒をベルトに挿す。

 階段前から身体を半分捻り、上がって来いと促せば、彼は静かに階段を踏んだ。

 アルコに並び歩きながら、ガトは紫の瞳を暗く細める。

「あんたが、こんな事をする奴だとはな」

 小さな虫さえ殺す事が出来なさそうな顔をした人間が、平気で他人を傷つけるのを何度も見てきた。

 アルコが、まさか。とは思うが、だからといって絶対にあり得ないとは言えない。

 ダニーを木に吊るした人物だと言われれば、考えうる腕力が彼にはあるからだ。

「……あの花屋に、俺は金を貸していたんだ。少しずつではあるが、ことあるごとにな」

 ゆっくりと歩きながら、低い声でアルコは言った。

「あの日、さすがにでかくなってた借金を少しでも返して貰おうと出かけた先で、金貸しの……あの金髪の坊ちゃんに追いかけられている奴を見かけてな」

 見慣れた光景が、ガトの頭に過ぎる。

 アネッロから金を奪われたその後に、アルコが話をつけに行ったとしても、金などないと開き直るダニーの姿すら浮かんでくる。

 アルコは、軽く笑った。楽しげではない、自嘲したのだと感じた。

「北の裏手まで引っ張ったが……後は、お前達の見た通りだ」

 ガトは何も言わず、視線を向ければ、アルコも眼を伏せて声を絞り出す。

「あの指輪は、俺が預かっていた物だ。オリカは、母親と暮らす事になる。母さんのお守りはいらなくなるから、母さんと私のお守りだ。と言ってな、置いていった物だ」

「それが、本当の事だったとして」

「嘘じゃない」

 ガトの呻きに、アルコはたたみかけるように話を切るように歩みを止めた。

 数歩先で、ガトも足を止め、半身下げた状態でアルコを冷たく見やる。

「そうか。なら、家屋破壊の数時間前にオリカが走り回ってた理由はなんだ」

 その言葉に、アルコが眼を見開き、顔色を変えてつばを飲み込んだ。

 図星か。と、ガトが口の端を持ち上げて見せれば、アルコは必死に頭を振った。

「ち、違う。あいつが……オリカが、いるわけがない! あいつは、母親の元で……」

「悪いが、見た奴がいてな。違うと言い張るなら、オリカを連れて来いよ。そいつに目通しして違うなら釈放だ」

 この町に、いるんだろ? と言えば、熊のような男は青ざめて、小刻みに震える大きな手を握りしめた。

「……何度も言うが、俺が一人でやったんだ。オリカは母親の元にいる」

「そうか。あんたが知らないなら、それでもいいさ。こっちの捜査官も馬鹿じゃない、誰がターゲットなのか分かれば、居場所などすぐに割れる」

 ガトが笑えば、彼は何かに耐えるように眼を閉じ、息を吐き出した。

 眼を開け、怒りに滾らせた視線を向けるが、ガトはそれを受け流す。

 アルコは、それでも特に何をしてくるわけでもなく、ガトの隣に並んだ。

「ガト、お前が直接オリカに向かわなかったのは、どうしてだ」

「……あいつだけじゃ、ダニーを吊るすのは不可能だからな」

「それだけか?」

 歩きながら、ガトは苦笑する。

 捜査官に囲まれた場合、抵抗されて被害が大きくなるのはアルコだと思った。

 だから彼には大人しく自分から出頭する形にしたかったため、ガトがそれとなく促した。

 オリカを捕まえるのは、捜索する時間だけで済むだろうから。

 ――言い訳だ。

 それは、分かっていた。

 彼女は、逃がさない。だが――

 駐屯所の近くまで来た時。前方に黒い影が揺らめいて現れ、ガトは紫色の瞳を暗く光らせ、足を止めた。

 隣に並ぶアルコが、息を呑む。

 その反応から、オリカであるとガトは確信した。

「……オリカ」



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