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動き出した影

 契約が終わってからというもの、静かな生活が戻ってきていた。

 階下で毎日のように起こっていた、派手な破壊音やけたたましい怒声奇声も聞こえてはこない。

 書類をめくりながら、アネッロは仕事がはかどる実感を覚えていた。

 階段の軋む音を聞いて、それから眼を上げる。

 モネータやカリダ、ガトのものではないそのリズムに、アネッロは書類を引き出しにしまった。

 いつでも立ち上がれるよう、常に椅子には浅く腰掛けている。

 扉を軽くノックした誰かに、どうぞと声をかけた。

 ゆっくりとドアノブが回され、神経質そうな痩せた男が、狭い部屋をぐるりと見渡した後、足を踏み入れてくる。

 アネッロの一目にも触れた事のない男だ。

 だが、相手の勝手知ったる様子に違和感を覚えながら、それを隠してにこやかに促した。

「どうぞ、遠慮なく」

「ああ、はい」

 音を立てないように、きっちりと扉を閉めた男はアネッロへと二歩近づいた後、頭を下げた。

「ノーチェフ殿の部下で、セドと申します」

「そうですか。そういえば、彼に預けている梟はどうしていますか? 長らく見ていないのですが」

 笑顔のままに聞けば、男はゆっくりと頭を上げ、眼が一瞬だが動くのを見る。

 すぐにアネッロへと視線を合わせると、男は表情を動かす事なく口を開いた。

「……おれは下っ端で、見た事ないんで。申し訳ありません」

「いえ、構いませんよ。あれは極端に怖がりですからね、慣れていない人間の前に姿など現さないでしょうし」

「はあ」

 男の肩が、わずかだが上下する。

 アネッロはそれに気付かない振りをして、ひとつうなずき先を促せば、男の表情が安堵したように弛む。

「ネダーソンで重要な発見があったとの事で、一時戻るという事です」

 淀みなく言う男に、アネッロは分かったと一言返せば、彼はまた頭を下げた。

「随時、報告を。と伝えて下さい」

「承知致しました」

 男はきっちりと扉を閉め、軋む階段を降りていく。

 アネッロは舌打ちしたい気持ちを、奥歯を噛みしめる事でごまかし、机の横にある窓を小さく開けた。

 冷えた空気が、部屋へと流れ込んでくる。そのわずかな空気の流れを感じながら、頭をフル回転させた。


――ノーチェフが、何者かに捕まっている。


 あの警戒心の強い男が、そんな事がありえるのだろうか。という考えも浮かんだが、すぐさま排除した。

 今の男は、明らかなる間違いを犯していた。

 『梟』の話をした時、見た事がないと言い切ったのだ。

 ノーチェフに限らず、何隊かに分かれている中で、アネッロに面識のない人間が報告に来る場合には、敵味方を区別するために返答として決まった文言がある。


『あなたに似て、誰彼構わず爪を立て、くちばしでえぐってくるものですから。皆、困っております』


 それしきの事を、アネッロに面と向かって言う勇気のないノーチェフの――いや、どの隊もだが――そんな部下達のせいなのか、気を使った隊の方針なのか、報告はいつもノーチェフなどの隊長が訪れる事になっていたという事実もある。

 その上で、ノーチェフという名前を持ち出しているとすれば、生死問わず、何かしらの事態が起こっている事は明白だった。

 すでに殺されている可能性もあるが、男をそのまま帰した事で、多少の変化はあるのかもしれない。

 駆け上がってくるわけではないが、早足で階段をのぼってくる音がして、ノックされる。

「どうした」

 思っていた通りの人物、モネータが扉を開け、硬い顔で来客を告げてくる。

 窓を閉め、扉を支えている彼の横をすり抜けながら発したアネッロの言葉が、彼をその場に縛りつけた。

「留守番を」

「はい」

 アネッロは大扉に鍵をかける事をせず、居住スペースへの扉をくぐると、そこには鍵をかけた。

 キッチンの半分より上に造られている中庭の様子が見えるよう、細い横窓が高い位置に取り付けられている。

 そこから来客者をモネータとカリダが見つけたのだろう。

 モネータに言われたのか、複雑な顔をして大人しくテーブルについているカリダを一瞥し、通り過ぎる。

 中庭に続く扉を開けば、男が一人、四方を塀に囲まれた庭に立っていた。

 今開けた扉以外に、静かに立つ男の通ってきた抜け道は当然あるが、それは幾重にも上手に隠されている。

 急に湧いて出たように見えた男に、モネータとカリダのどちらが先に気がついたにしろ、 何も聞かされていなかったカリダが下手に声を上げる事をしなかったのは、多少感情のコントロールがうまく出来るようになったのかもしれない。

 モネータとて、アネッロから聞いていなければ、侵入者として武器を取っていただろう。

 室内に入ってくる事もなく、見覚えのある薄汚れた男は、アネッロを前に静かに片膝をついた。

「どうかされましたか」

「今出て行った男の追跡と、ノーチェフを探せ。特定出来ればこちらで対処するが、状況を見て判断しろ」

 男は、顔を強張らせてうなずいた。

 消えたのが他でもないノーチェフなのだという事実が、彼に重圧を与えたのだろう。

 だがすぐにその緊張を押し込めて立ち上がる。

 アネッロが身を翻し、中庭の地面から少し上にある窓に気がつく。

 窓に張りついて、こっそりとのぞいていたカリダと眼が合うと、彼女はしまったとばかりに眼をみはる。

 アネッロがガラス窓を軽く蹴ってやると、カリダは素早く下へと消えた。

 彼女の身長を考えると、椅子に乗らなければ見えないだろう。

 子供の好奇心がどれだけのものかは分かっているつもりだが、さっきの今での契約だ。

 アネッロは眉間に指をあてると、背後で男が静かに声をかけてくる。

「では、失礼します」

 アネッロが小さく後ろ手に合図を送れば、小動物が穴からのぞくように、もう一度カリダがおそるおそる窓からのぞいた時には、不審者の姿はもうそこにはなかった。

 室内に戻ったアネッロは、自分の定位置になった椅子に座るカリダに向かって、嘆息した。

 カリダは、小さく唇をとがらせて見せる。

「……急に知らない男が、頭の上に立ってるし。ボスも一人で出て行くし。なにかされないか、心配してのぞくのは仕方ないんじゃないかな?」

 ぎこちなく笑って見せた彼女は、卵を二つ、その手で弄んでいる。

 おそらく生卵だろう。そう踏んで、カリダの手にした武器の微妙さに、アネッロはもう一度分かるようにため息を吐いた。

「私の心配など無用です。とりあえず、のぞき見は今回に限り見逃しますが、次はありませんよ」

「……はい」

 返事をして、ふうと息を吐いた彼女に苦笑すると、それに気付いたカリダが眉をつり上げ、唇をへの字に曲げた。

「……なん、ですか」

「いえ、その調子で頼みますよ」

 そう言って笑えば、少女は顔を真っ赤にして勢いに任せて口を開き――ゆっくりと閉じる。

「……はい」

「ああ、卵は元の場所に戻しておくように」

 怒りだか屈辱だかが溢れ出んばかりに渦巻いている少女の顔から眼を離し、事務所に続く小扉に足を向ける。

 網は、張った。

 普段は身を隠し、周囲に溶け込む事を徹底している彼が、敵に名を示している。

 そんなノーチェフが、仲間から見つからないようにする真似はしないだろう。

 身を隠す術を追求している人間は、他の人間が眼を向ける術も心得ている。

 近い内にノーチェフは見つかるだろう。

 それが、どんな形であれ。



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