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喧騒の市2

 出店や金を貸している店、ひとつひとつに顔を出して歩く。

 顔を強張らせ、慌てて伺いを立てにくる店主には目もくれず、アネッロは人の入り具合や、商品の品質、無駄に配置されていないかを確認しながら、次の店へと移る。

 花売りの店で、アネッロは足を止めた。

 二年前に、南から来たというふくよかな体つきの男が金を借り、花売りを始めていた。最初は南の方で咲くといわれる花々に、この辺りの婦人達は飛びついていたが、ここ最近の様子がおかしい。

 モネータからの婦女子情報でも、こうして店の前で見ても、その異変がはっきりと分かるほどに。

「こ、これはアネッロさん!」

 他の店と同様、奥から慌てて出てきた店主のダニーを一瞥し、店内に目を向け、眉をひそめた。

 かなりの人出であるというのに、色合いで目を引くはずの花屋は閑散としている。アネッロの様子に気がついたダニーが、汗をかきながら首をすくめた。

「その、前回の市ではかなりの客が入ったんですけどねぇ。どういうわけか、その、分からない次第でして」

「本当に、分からないのですか?」

 はっきりと区切るように声をかければ、ダニーは丸々とした大きな身体を、精一杯小さくして頷いた。仕方ないとばかりに、アネッロが店の前面に置いてある白い花を指差す。

「前回の市では、色合いの強い花が前面に置かれていました。白も悪くはないと思いますが、淡い色ばかりを表に出しては、白基調の店壁が多い中で、目を引くわけもないでしょう」

「し、しかしですな。花は生物で、売り切らなきゃいけないわけでして。こちらとしても商売ですからね」

「商売だと言うのならば、少し考えれば分かるはずでは?」

 腕を組み、長身を生かして、少し語彙を強めてきたダニーを見下した。

 ダニーの歯軋りが聞こえてきそうな顔を、アネッロは平然と見返している。静かな応酬は、行き交う人々から見れば、値段の交渉とでも思う程度だろう。隣近所の人間が顔をのぞかせたが、アネッロの姿を見て、隠れるように引き返していく。

「少し、提案を」

 お互い引かない両者に代わり、肩に荷を担いだモネータが助け舟を出す。

 ダニーは燃えるような眼を二人に向けたが、彼はいつも事と意に介さず、話を先へと進めた。

「ご婦人達が、小さなブーケのような物が多くあれば良いのに、と言う話をよく聞かれました。余った品があるなら、そういう物をたくさん作っておいても問題ないのではないでしょうか」

「ブーケか、しかしだな。それをすると、やれこの色が気に入らん。違う花に入れ替えてくれ、だの……」

 モネータの言葉に、アネッロは右手をアゴにあて、少し思案してから口の端を持ち上げた。

「ならばバラ売りで、好みのブーケを作るという看板を出しなさい。本数と値段を決め、その辺にあるリボンでも使えば良いではないですか。売り切りたい品があるのなら、口八丁で多めに入れてやるとか、どうとでもなる。もちろん、色味の強い花も表にある花と入れ替える事」

「し、しかしですね……」

「奥で尻を冷やす時間があるのなら、入れ替えくらい出来るのでは? それとも、私から借りた金を、人が入らなかったからと踏み倒すつもりでしたか?」

「そ、そのような事は……」

 冷たく光る眼に、ダニーは小さく肩を震わせ、うなだれた。

「一回りしたら、確認に来ます。働く事です」

 言うべき事は言ったとばかりに店を後にした。

 そろそろ潮時だと、アネッロは決断した。品揃えが、目に見えて悪過ぎる。仕入れをおざなりにし、働く意欲すらあの店主には感じられない。

「モネータ、見張れ」

「分かりました」

 アネッロの口調が変わった際、その表情を覗き見たが、張り付けた笑顔は揺るがない。

 その後も何件か回り、最後に焼きたてパンの良い香りを漂わせている店をのぞく。並ぶ人まで出ている店から、老婆が若い女性に後を任せ、にこやかに出迎えた。

「おや、アネッロさん。景気は良くなさそうだねえ」

「困りましたね。そう見えますか?」

「そうねえ、ここ一月はそんな顔に見えるけど。ちゃんと食べてるのかい?」

「メリッシュさんには、かないませんね」

 作り物ではない顔で苦笑して見せたアネッロは、他では決して見られない。

 白髪頭でしわだらけの顔を、さらに深く刻みながら楽しそうに笑う彼女に子供扱いされても、嫌な気持ちはしないのだろう。

「メリッシュさんの店は、変わらず繁盛していますね」

「商売だから、色々あるけれど。好きで続けてる事で、こんなにも人が来てくれて。ありがたい事よねえ」

「そうですね。羨ましいです」

「何言ってるの! アネッロさんだって、好きで続けてるんでしょう。うちは次で借金も終わるけど、いつでもきなさいよ。このババが生きてる間なら、話くらい聞いてやれるからね。お金は貸せないけどさ」

 それを聞いて、アネッロは声をあげて笑った。モネータも、担いでいる少年に顔を向け、咳払いしてごまかす。

「では、長生きしていただかないと」

 笑顔でその場を後にしようとすると、メリッシュが呼び止めてくる。

 大きな丸パンを三つ、紙袋に入れ差し出してきた。

「持っていきなさいよ。ちゃんと食べて、よく寝るのよ」

「ありがとうございます」

 モネータに受け取らせ、金袋から十ソルディ硬貨を三枚取り出し、メリッシュに握らせる。

「あげるって言っても、いつも聞かないわねえ」

「もちろんです。パンは後でモネータに買いに走らせる所でしたし。ちゃんとお代を受けて頂かなくては、返済に響いても困りますので」

「仕事熱心ですこと」

 細い肩をすくめて見せながら、それでもメリッシュは柔らかく笑った。

 軽く手を上げて別れると、もう一度花売りの店へと足を向ける。

 太陽は頂点を越え、人混みは更に増しているようだった。むせ返るような熱気、そして土煙が落ち着く気配はない。

 戻る道で買い物を済ませながら進むアネッロに、モネータは口を開いた。

「金貸しと聞いて、悪道者のする事だと思っていましたが、実際はそうでもないのですね」

 突然の言葉に、アネッロは自分と同じくらいの位置にある青い瞳を、横目で見る。

「悪道者ですよ」

「しかし、これまでを見ていると、どうしてもそうは思えません」

「本には載っていなかったか? 金を貸して、余分に金を徴収する。金を戻す為ならば、どんな事でもする。それのどこが悪道ではないと?」

「しかしアネッロ様の取る方法は、悪道とは呼べません。商売の事ですし、お互いに利益となるように働きかけているではないですか」

「決して踏み倒される事もない。という事実は、どう説明を?」

「それは。だから普段の働きかけのおかげでしょう」

 吸い込まれそうなほど、純粋な色を湛えた瞳に、アネッロは居心地が悪そうに肩をすくめた。

 純粋培養を地でいく彼に、何を言っても否定するだろう。

 モネータと知り合う前の話をしてやるのも面白い、という思いがないわけではない。しかし、今この時が、その機会であるとも思えない。

 アネッロは、苦笑するにとどまった。

 それを照れ隠しだと思ったのか、モネータは確信に満ちた顔つきで、後をついてくる。

 気絶したままの少年を担ぎなおそうと動かせば、小さな呻き声とともに、目を開けた。

「眼が覚めたか」

 モネータが、そう声をかけたが、少年はぼんやりと地面を眺めている。

 しかし、次第に頭がはっきりしてきたのだろう、今ある状況を把握して、モネータの頑丈な肩の上で暴れ始めた。

「放せっ! 放せよ、この変態野郎!」

 声変わりもしていないのだろう、女のように甲高い声でわめき、暴れ続ける少年に顔を歪めながらも、彼の言葉を聞きとがめた。

「変態、だと?」

「ああ、そうさ! 拉致なんて、姑息な真似しやがって。おれをどうにかするつもりなんだろ! 大人のくせに、これを変態でなくて、何て言うんだよ!」

 興味本位で、人々が振り返ってくる。

 ただでさえ目立つ容姿をしたモネータは、あっという間に注目の的になってしまった。

「拉致でも、変態でもない。お前は悪事を働いた、だから捕獲した」

「……しくった。私兵かよ」

「違いますよ。お前は私の金袋に手を出したのです」

 ゆったりとした動作で、少年の髪をつかみ、顔を上げさせる。

 苦痛に顔を歪めながら、少年は両手でモネータの肩口と腕をつかみ、出来るだけ痛みのない体勢をとった。そして、アネッロを認め、息を呑む。

「まさか……」

「まだ私に手出しをするような、度胸のある人間がこの町にいるとはね。油断していたつもりはありませんでしたが、いい腕をしていますね」

 はっきりと見てとれるほど、血の気が引いてしまっていたが、それでも少年は必死に虚勢を張った。

「私兵にでもなんでも、突き出せばいいだろ!」

「口が悪いですね」

「うるせえな! 関係ないだろ」

 パニックになったのか、咬みつかんばかりに食ってかかる少年に、モネータは眉間にしわを寄せた。

 だが、上着を握りしめてくるその小さな手が震えている事に気付き、アネッロに目線を送り、少年が逃げられないように押さえなおす。

 平然とした顔をしていたアネッロだったが、ふいに口の端を持ち上げて見せた。

「な、なんだよ。気持ち悪い」

「男の振りはしているが、やはり女だな。口数が多い」

 思わず口をつぐんだ少年――のように見えた少女。言葉を失ったという事は、事実なのだろう。

 だが一番言葉を失っていたのは、モネータだった。

 まさか女だとは思っていなかった。痩せ細っていて、まったく柔らかい所もなく。男だと思っていたからこそ、適当に肩に担いでいた。

 尋常ではなく汗をかき始めたモネータを、面白そうに眺めていると、先に口を開いたのは少女の方だった。

「女だから、なんだって言うんだよ! バカにするな!」

「バカになどしていませんよ。女だからこそ、役に立つのではありませんか」

「……役に、立つだと?」

「ええ。お前は私が預かりました」

「いらねえよ! おれは一人で生きてくんだ」

 少女が目を逸らせば、汚れた短髪をもう一度強く引っ張り、アネッロは顔を寄せる。

 痩せて大きく見える薄茶色の瞳が、冷酷な表情へと豹変した彼を映し、恐怖におののいた。

「ならば、慰謝料をもらいましょうか」

「……なんのだよ」

「金袋を盗られた時の、心の痛みの分ですよ」

「そんな見えないようなもんに出す金なんてねえよ。第一、金持ってるなら、スリなんてしてねえだろ」

「払う気は、ないと?」

「ないね。さあ、私兵にでも突き出せばいいだろ」

 切れ長の目を細め、アネッロは汚れた頭から手を離した。

 少女が痛みから逃れられた安堵感に、モネータの上着を握る手を緩めれば、小さな顔に平手が飛ぶ。

 辺りから女性の悲鳴が聞こえたが、それでも口答えしかけた少女へ、容赦なく繰り返し、もう一度髪をつかんで引き上げた。

「お前に、選択肢はない」

 泣く事もせず、少女は血の混じったツバを、アネッロに向かって吐く。

 野次馬がまた声をあげたが、モネータはとっさにパンの袋を持ち上げ遮った。

 袋が下げられた時、アネッロの表情に怒りはなく、満足気に見えた。

「名前は?」

 低い声に、自由にならない頭のせいで顔は背けられないが、それでも目の前の男から瞳を逸らす。

 反抗は許さないと、髪を強く引っ張られ、悔しそうに顔を歪めた彼女は、吐き捨てるように声を出した。

「カリダ」

 彼女の頭から手を離したアネッロは、笑顔の仮面をかぶりなおす。

「カリダ。私への慰謝料は、貸しにしておこう。踏み倒す事は、命を捨てる事だと思いなさい」

「……返すあてなんてないぞ。それに、殴られた分の借りは、どう返してくれんだよ」

「私は口の悪い子供のしつけをしただけですよ。それについて、貸し借りは発生するとは思えませんね」

「殴られて、おれは傷ついた。その分の慰謝料寄こせよ。なんなら、お前への慰謝料でチャラにしてやってもいいんだぜ」

 カリダの言葉を、アネッロは一笑に付す。

「ならば、私の金袋を返していただきましょうか」

「……取り返したんじゃないのかよ」

「誰がそんな事を言いました? 私は、スリに遭った。それによって受けた実害と精神的苦痛を、慰謝料と共に返してもらう。と言ったのですよ」

「捕まったんだから、取り返したんだろ」

「誰が、そんな話を信じるのでしょうね」

 細められた目は、表情とは違い柔らかいものは見えない。

 少女は自分のやってきた事を思い返し、歯噛みする。

「金がないのならば、返す手助けはしましょう」

「……手助け?」

「ええ、私の手足となって働いてもらいますよ」

 反論の声をあげようとした彼女の背中を、モネータが右手で押さえつけた。

 腹が肩に圧迫され、くぐもった声しか出せなかったカリダは、金髪男をにらみつけたが、真剣な色を帯びた青い瞳に、言葉を詰まらせる。

 小さく首を横に振って見せた彼に、少しだけ顔を赤くして、顔を逸らした。

「……どうせ、やるしかねえんだろ」

「交渉成立ですね。物分りが良くて、助かります」

 色々と言いたい事が脳裏に押し寄せたが、奥歯を噛みしめて耐える。

 身を翻し、アネッロはゆったりと歩き始める。緊張した面持ちの野次馬達は、一様に安堵の表情を浮かべた。静まり返っていた市は、すぐに喧騒を取り戻す。

 先ほどよりも騒がしく聞こえてくる人声の渦に紛れ、カリダは降ろしてくれと声をあげ、小さく身をよじらせた。



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