西の金貸し
町の中心にある広場から、工事は始まっていた。町からも人手を募集し、さらに出稼ぎに来た人数も相当なものだった。
騒々しい大掛かりな事業を横目に、三人は何を言うでもなく通り過ぎる。
「……あ!」
細い路地へとアネッロが曲がると、カリダは思わずといった調子で声を上げた。
「どうした」
足を止めたカリダを不審に思ったのか、背後からモネータが肩に手を置く。
それを邪険に振り払い、振り返る事なくゆっくりと遠ざかっていく背中を見て、カリダは唇をとがらせた。
「先に場所、教えるんじゃなかったな」
「……近道だからですか」
それには答えず、カリダは小走りで前を行く彼の後を追った。
歩きながら一番食べ物を盗りに入った店を教えておいたのだが、ずっと大通りを行ってくれれば、もう少し長く心の準備がとれたはずだった。
だが、長かろうが短かろうが、結局は辿る道なのである。
追いついたカリダは、アネッロの背中に向かって、もう一度声をかけた。
「あのさ! さっきも言ったけど、店の中に売れないような野菜があって、それ盗っただけなんだよ。まあ、盗んだ事に変わりないけどさ」
「分かっているなら、言い訳などいりません」
「言い訳って……! 言い訳、だけどさ」
呟いて、口をつぐむ。
横道に入る事で、工事による砂煙はだいぶマシになっていた。話をしても口に砂が入る事はなかったが、三人とも黙々と歩みを進める。
西側に建つ青果店は、道を抜けた先にあった。
道を抜ける手前で足を止めたアネッロを、怪訝な顔でカリダが見上げてくるが、賢明にも彼女は声を出す事をしなかった。
酒場が多く集まる西通りは、朝を少し過ぎたこの時間では、人通りも少ない。
昼近くなれば酒を飲みにくる人がまた集まってくるが、ちょうど空白の時間帯なのだろう。
仕込みのため、買出しに来る者の姿も見えない。
だが、小さな影が二つ、こちらに向かってくる姿が見え、アネッロは身を潜めた。
薄汚れた子供が二人。
辺りをうかがいながら青果店の前まで来ると、中を覗き、一人が素早く駆け込んでいく。
店からは何の反応もない事から、店主はいないのだろう。
入っていった時と同様に走って出てきた少年は、見て分かるくらい潰れ、割れたリンゴを四つ抱えていた。
二つを見張りに立っていたもう一人の少年に手渡し、嬉しそうな顔をすると、アネッロの方に背を向け、来た道を走って戻っていった。
「カリダ、いつも潰れたようなリンゴでしたか?」
「なんか真ん中のとこがないキャベツが多かったかな。今回、リンゴだったの? ごちそうだな」
うらやましそうな声を出し、アネッロ越しに覗こうとして押し戻される。
「店主は、いない時が多かったのか?」
「多分。前に出てる野菜も、中央通りのと比べると水分足らない感じだし。買いに来る人も少ないんじゃないかな」
あごに手をやって、カリダが首を小さく傾げながら、アネッロにうなずいて見せた。
そこで気付いたように眼を見開く。アネッロがあごで先をうながせば、カリダは少しうろたえながら彼らから眼を逸らす。
「棚に出てる物は、盗ってないからな! その、一回くらいしか」
彼女の言葉に、アネッロは何を言うでもなく、視線を店に戻した。
背後では、モネータがカリダを小声でたしなめ、少女が分かってるよと腹立たしげに言い返している。
少しして、アネッロは西通りに出る。
店を覗くが、確かに誰の姿もない。
店頭に置かれている野菜の種類は少なく、カリダの言うようにしなびている物が多かった。
物を見るふりをしながら中へ入って行くと、表からは見えない所に木箱が置かれ、傷んだリンゴが詰め込まれていた。
数にして、三箱。
売り物にする際、落としたり悪くして処分に回す物は、大通りの繁盛している店であっても出る物だ。
だが、大きな木箱三箱ともなると、商売では到底ありえない量だった。
仕入れた分、そのままダメになったとしか思えない。
少しリンゴをかき分けてみたが、下の方のリンゴも似たような状態だった。割れたり、芯の部分がくり抜かれたりしている。
「申し訳ない、どなたかいませんか。野菜を見せて貰えますかね」
その箱が見えない場所へと戻り、アネッロは奥の扉に声をかけた。
少しして、寝起きなのだろう目つきの悪い男が、片手で顔をこすりながら店へと顔を出す。
「……何を入用で?」
店に少し入り込んでいるアネッロを、人見知りするように見やりながら、それでも声をかけてくる。
「葉物を見たいのですがね。キャベツは置いていないのですか?」
「ないね。見ての通りだ、ここに出てる物以外はない」
面倒くさそうに返答する彼に、アネッロは残念な表情を作れば、店主は苦々しげに口を開いた。
「どうしても欲しければ、大通りの店に行きな。そこなら大抵の物なら揃うだろうよ」
「残念ですね。では、リンゴも置いてませんかね?」
「……見ての通りだ」
「そうですか、申し訳ありませんでしたね」
頭を下げて暇を告げれば、店主も小さく手を上げてそれに答えた。
「行きますよ」
そう二人に声をかけ、振り向きもせずリンゴを抱えた少年達が去った方向へと足を向ける。
カリダは何か言いたげな顔で、店主とアネッロを交互に見た。
モネータがそんな彼女の頭をつかみ、店主に向かって下げさせる。
「ああ、ご丁寧に」
そっけなく言う彼は、明らかにさっさと帰ってくれという雰囲気を隠す事はなかった。
アネッロは少し離れた所で足を止め、彼らに眼をやる。
モネータが複雑な表情を浮かべていたが、小さくうなずくように頭を下げ、カリダとともに駆けて来た。
「アネッロ様、何かおかしくはありませんか」
「よく分かりましたね。お前達が口を開かなかった事は、褒めておきましょう」
「ありがとうございます」
モネータが素直にうなずいて見せるが、カリダはアネッロから顔を背け、唇をとがらせる。
「なんかさ、お……わたしが謝りに回るとかっての、利用された気がするんだけど」
その言葉に、アネッロが笑顔を向けた。
「その通りですよ、あの青果店は少し眼をつけていましてね。良いきっかけになりました」
「はあ? じゃあなにか、おれが緊張してたってのに、全部無駄だったのかよ!」
少女の燃える瞳が、もう一度アネッロへと向けられた。
だが、モネータに肩を強くつかまれ、カリダはすぐに標的を金髪に変える。
精一杯の怒りを込めてにらみつけたが、眼を細めたモネータは微動だにしない。
「なんだよ!」
「どんな時でも、言葉遣いを……」
「気をつけるよ!」
噛みつかんばかりにモネータに怒鳴れば、アネッロがくつくつと笑った。
幾人かの砂を踏む音が聞こえ、アネッロは笑いを引っ込め、その方向に顔を向ける。
「珍しい事もあるもんだ。お前さんの笑い声が聞けるなんてな」
老齢の身なりの良い男が、しゃがれた声で笑った。
アネッロの背後で黙り込んだ二人は、彼の後ろから怪訝な顔で声をかけてきた男を窺った。
三人ほど若い男を引き連れて、男も値踏みするようにモネータとカリダを見る。
「こんな稼業に子供を引き入れるとはな」
「あなたも同じようなものだと思いますがね」
二人の笑顔の応酬に、モネータは困惑し、カリダは似た者同士のにおいに心底嫌そうな顔をした。
男の後ろにくっついている三人は、多少顔を見合わせた程度で、無表情を決め込んでいる。
「それはそうと、ジュダスの。おれの縄張りに何の用だ」
表情は穏やかに微笑しているのに、その声は突き刺すような冷たさが込められていた。
「私がこの道を歩く事で、何か問題でもあるんですかね? フィダート氏」
年齢としては倍以上はあるだろう彼に動じる事なく、アネッロは笑顔で返す。
町の西側でアネッロと同じ生業をしている、金貸しナンス=フィダート。
その後ろにいる三人がその口調に殺気立ち、それを感じとったモネータがアネッロの横に並ぶ。
フィダートが片手を上げて三人を止め、アネッロはただ悠然と立つ。
「場を荒らしてくれるなよ、お前さんは前科があるからな」
苦々しげにフィダートが口にしたのは、アネッロが中央の金貸しを潰した事を指していた。
「そんな事はしませんよ。ただ、向こうから援助してくれと言われれば、断りませんがね」
「貴様、大人しく聞いていれば!」
「よさんか!」
三人組の中の一人が前に出ようとし、フィダートが一喝する。
「すまんな、若い者は血の気が多い。商売の事だ、客は好きな店を選ぶ権利が当然ある。だがな邪魔だけはしてくれるな」
「分かっておりますとも。私が店を出してから数年、あなたの客に手を出した事などありましたか?」
「ない。今の所はな」
「ええ。では、失礼しますよ」
そう言って、アネッロは彼らの横を平然と通り過ぎた。
モネータは彼らとカリダの間に入る形で、アネッロの後をついて歩く。
「いいんですか、放っておいて」
そんな声が背後から聞こえてきたが、追ってくる気配はない。
アネッロは確信を持って口の端を持ち上げ、また守られたと感じたカリダは、モネータの横腹をこぶしで殴る。
「何ですか?」
呼ばれたと思ったのだろうモネータが疑問を口にすれば、カリダは眉をつり上げ、耳まで赤くなった。
「何でもねえよ!」
金切り声を上げなかった事は、成果だった。
ただ肩を怒らせて、困惑したモネータを視界から排除した。