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やらざるを得ない事は

 一週間後、カリダの顔の腫れは収まり、痣もよく見なければわからないほどになった。

 そして彼女が劇的に変わったのは、たった一週間で見違えるように子供らしい肉つきになった事だ。

 当然、まだ痩せている感じは否めないが、痛々しい見た目からは脱却している。

「アネッロ様、おはようございます」

 居間に顔を出したアネッロに、モネータが声をかけた。

 それに小さくうなずいてから、アネッロはテーブルに眼をやる。

 紅茶の入った三つのカップ。三枚の皿には殻がついたままの卵が二つずつ置かれている。

「……なんとかの一つ覚えですね」

「そうだろ! ゆで卵は、完璧になった!」

 カリダは良い笑顔で胸を張っているが、モネータはそれが褒めてなどいない事に気がついた。

 横目でアネッロを見やるが、彼はゆっくりと椅子に座る。

 二人も倣うように、席についた。

「ただのゆで卵ごときに、三度失敗しましたがね」

「だって、あれだけ砂時計があったら、試してみたくなるじゃないか」

 唇をとがらせ悪びれないカリダに、アネッロは片方の眉を上げ、にやりと笑う。

「分からなくはありませんがね。好奇心に負け続ければ、いずれ痛い目に遭いますよ」

「……ゆで卵ぐらいで?」

 カリダは自分の皿に乗った卵を一つ持ち上げて、眉間にしわを寄せた。

 しばらくそれを無言で眺め――彼らが見つめる中、長く考える事もなくカリダは卵にフォークをこつんと軽く叩きつける。

 あっさりと食欲に負けた少女に、男達は呆れた顔をしながらもそれに続いた。

 食べ終わった頃を見計らい、アネッロが口を開いた。

「二人とも片付けて身支度を整えたら、上へ来なさい」

 返事をしながら、モネータはわずかに眼を見開いた。

 そしてカリダを見れば、殻を乗せた皿を持って少女はつまらなそうな顔で立ち上がる。

「これ以上、どうやって身支度整えるんだよ」

 たしかに膝丈のズボンに、きちんとシャツが入れられている。背中側の一部が外に出ている事も、今ではない。

 まだ十分肉がついていないため、胴回りは緩く、サスペンダーで吊っている。

 殻をストーブに投げ込み、皿を水に浸けたカリダに、モネータは苦笑まじりに声をかけた。

「顔を洗い、口をゆすいでおくといい。後は……髪のはねをどうにかする事」

「はあ? 別にそこまでしなくてもいいだろ? 外に出るわけでもないのに。というか、髪がはねてるくらいで、外に出られない奴なんかいないだろ」

 モネータは、女の言葉とは思えない内容が、どうしても受け入れがたかった。

 そのような事など、カリダが来てから頻繁ではあったのだが諭そうにも、彼女はそれ自体が疑問で、わけが分からないようだった。

 女だから。だけでは、同じ人間だろうなどと一蹴されるのも眼に見えている。

モネータはまた、言葉を探すために口を閉ざした。

「身綺麗にしろ。と、私はお前が来た当初に言いましたね」

 アネッロが振り向きもせず、静かに声をかけると、カリダは思い出したかのように複雑な表情で彼の後ろ頭を見た。

「そう、だった気もする」

「そうですか、覚えていませんでしたか」

 アネッロは、少女を見る事をせず、カップに手を伸ばす。

 モネータが硬い顔をして、カリダに視線を送った事にも気付いていたが、あえて止める事もしない。

「カリダ」

 モネータは眼を細め低い声で彼女の名を呼べば、アネッロは背後で少女が脱力する気配を察する。

「……わかりましたよ」

 やればいいんだろ、やれば。と口の中で文句を言うカリダに、モネータが疲れた顔で息を吐いた。

 アネッロが立ち上がると、カリダが小さく身構えるが、それに構わず皿を水に浸け先に上へと向かう。

 小さい扉が閉じられたのを見届けて、カリダは安堵の息を吐いた。

「なにやらされるんだろ。どうせろくでもない事なんだろうけどさ」

 外に出るのであろう事は、モネータにも想像がついた。

「急ぎますよ」

「なに、洗い物してくれるんだ?」

「今回だけは。まずはその髪の毛をどうにかしてきて下さい」

 やったねと呟いて、カリダは機嫌良さそうに風呂場に向かう。

「楽しそうですね」

 そう言ってモネータが笑えば、カリダは振り向いて、口を横に広げて歯を見せた。

「まあな! 家事から離れるって、それだけで嬉しいだろ」

「そんなに苦手ですか?」

「それはそうだろ。こんな面倒な事、よく皆やってると思うよ」

「分からなくはないですが、知らないよりは知っていたほうがいいでしょう」

 モネータの言葉に、カリダはくるりと瞳を回し、肩をすくめた。

「そうだろうけど。当然のように押しつけられたままってのと、手伝って貰えるってのは気持ち的に違うだろ」

「たった一週間ですが……」

「兄ちゃんが言ったんだろ? おれ……わたしは家事が苦手だって」

「嫌々やっているからでは?」

「好きでやってる奴なんて、少ないんじゃないか? 面倒だと思ってても、必要にかられてやってるだけだろ。それをやらせてるほうは、やって当然だと思い込んでるだけだ」

 モネータが眼を丸くするが、返す言葉が見つからなかった。

 城や料理屋などで働いている者達は別にしても、モネータ自身そんな風に考えた事はなかった。

 衣食住を提供されている身として、当然の事だと思っていたからだ。

 だが、カリダが来て、自分の時間が少しではあるが出来た事も確かだった。

「……そうか」

「なんだ、言い返さないんだ。わたしだって全部否定してるわけじゃないよ。家族いる奴は喜んでくれるだろうと思って料理とか作ってるだろうし、ほめられたら嬉しいし。ただ、やって当然だと思って欲しくないよな」

 感謝が足りないんだよ、感謝が。と言いながら、カリダは風呂場へと消えた。

 残されたモネータは、呆然と見送っていたが、すぐに気を取り直して皿を洗い始める。

 洗いながら、小さくそうかと呟いた。

 苦にならないのは、一人で生きていくために叩き込まれたと思っていたからで。

 ガトに合格と言われた時は、確かに嬉しかった事を思い出す。

 たった一週間だが、カリダはわけの分からない事をやらされて、追い詰められていたのかもしれない。

 自分の教え方は、知っている者の言い方で、分からない者には不親切だったのかもしれない。

 感謝が足りない。そう言ったカリダは、不遇だった生活の中で認められる事などなかったのだろう。

 教えた以外の方法に手を出そうとする事を除いては、カリダも馴染もうと必死だったのではないか。

 モネータは手を動かしながら、そう考える。

「そうか」

 今度は、はっきりと声に出してうなずいた。



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