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責任は誰にある

 雑踏を抜け、ジュダス商会の大扉前で、リュアトではない本職の御者が馬を止めた。

 少しの金を握らせると無口な御者は軽く会釈をして手綱を振るい、ゆっくりと動き出した時、降りてすぐにモネータが眉をひそめた。

「……アネッロ様」

「ああ」

 地に足をつけた時から、気付いてはいた。

 表通りにいるというのにもかかわらず、焦げ臭いにおいが漂ってきている。

 二人は足早に路地へと入り、アネッロは素早く鍵を差込み、扉を開けた。

 強いにおいと煙が、小さな扉から溢れ出てくる。アネッロとモネータは、即座に袖で鼻と口を押さえ、部屋の中へ飛び込んだ。

「お、帰って来た」

 鼻と口を布で巻いたカリダが振り返るが、彼らは見向きもせず、窓という窓を開け放つ。

「ああ、そっか。窓開ければよかったのか」

「良かったのかではない! 死んだらどうするんですか!」

 さすがにモネータが怒りを露にしたが、カリダは顔に巻いていた布を取り払うと、意味が分からないという表情をして彼を見た。

「ベーコン焦げたくらいで、人が死ぬかよ」

「肉の問題ではない。煙に巻かれたら危険だと覚えておくべきです」

「ああ、はいはい。今後気をつけるよ」

 うるさいハエを追い払うように、手に持ったフライ返しを振る。

 モネータは、その態度に今一度口を開きかけたが、何気なく眼に入ってしまったフライパンの中身に、動きを止めた。

 ゆっくりと口を閉じ、何かに耐える表情を見せた所で、アネッロがカリダの細い肩をつかみ、少女の持つ異様な黒さになっているフライ返しをつかんだ。

「な、なんだよ」

「……何を、しているのです」

「何って、ベーコン焼いてるんじゃねえか」

 ベーコンかどうかは、すでに分からなくなってはいるが、確かに大きな三つの塊がフライパンに詰め込まれている。

 訳の分からない黒い塊になっているというのに、カリダは小鼻をふくらませ、胸を張った。

「ちなみに、一番大きいのがおれのな」

 アネッロにフライ返しを取られた形にはなったが、カリダは腕を組んで首をかしげる。

「中まで焼けてるかどうかがわからなかったんだよね。モネータの兄ちゃんに、焦がさないためにはフライパンを火から少し離して焼くって聞いてたからさ、やってみたんだけど」

 重かったから、置いたり持ち上げたりを繰り返していた。と、得意げに話す。

「それで結局、真っ黒ですか」

「そこなんだよ。中まで焼けてるかなんて、どうやってわかるんだ? だったら、外側が焦げるまでやれば中も大丈夫じゃねえかと思って。ボス達が帰ってくるまで、焼こうって決めた」

 二人とも同時に澱んだ空気を吸い込み、ただ大きく吐き出した。

 アネッロがカリダに歩み寄り、さらにフライパンを取り上げる。

 フライパンと黒い塊の間にフライ返しを差し込んでみると、不思議とくっついてはいなかった。

「どうかな? ここまでずっと引っくり返してみたんだけど、いけそうか?」

「ええ、ご苦労でしたね」

 そう言って笑顔を見せると、カリダは口をつぐんで、アネッロから一歩退く。

 アネッロは手近にあったストーブへと、中身を放り込んだ。

「なにすんだ!」

 火の中に手を突っ込みかねないカリダを、モネータが羽交い絞めにして止める。

「放せよ! おれの肉が!」

 カリダの瞳には、燃え盛る炎の中、黒い塊が揺らめいて映っていた。

 眼を逸らす事が出来ないのだろう。だが、必死に伸ばした細い腕は、力なくおろされた。

「それで?」

「……は?」

 アネッロが端的に聞けば、泣くのではないかと思えるほど顔を歪めたカリダがは、それでも怒りの方が勝っているのか、燃えるような眼をしてアネッロをにらみつける。

 それに対して、口の端を持ち上げて見下すと、アネッロは言い直した。

「お前は、食材を連日無駄にした。今後、同じ事を繰り返さないための、傾向と対策は?」

「なんだ、それ。知らねえよ」

 カリダが眼を伏せると、アネッロが小さな頭をつかみ、顔を上げさせる。

 黒い瞳は、突き刺すような冷たさを持ち、彼女を見据えた。

「初めに、お前は言ったな。自分で考える脳みそを持っている、と。ならば考え続けろ、人間として扱われたいのであれば」

 カリダが悔しそうに口を曲げたが、目の前にいる男をにらみつけたまま、返事をしなかった。

 モネータが羽交い絞めにしている腕を軽く交差させると、その締め付けにカリダは悲鳴を上げる。

「わかった! なんとかするよ!」

 叫んだ後、出来るだけ首を回して、モネータに憎悪の眼差しを向けたカリダだったが、アネッロが髪をつかんで自分へと視線を戻させた。

「具体的には?」

「……ぐたいてきって、なんだ」 

 とまどった小さな声に、モネータは少しばかり申し訳なさを言葉ににじませて、口を挟む。

「内容を、はっきりと細かく言うべきです」

 カリダが小さく身を捩らせたが、二人の手を振り払う事は出来ない。

 少しして、カリダはゆっくりと笑みを浮かべた。

「……じゃあ、モネータに教えてもらう。ちゃんと出来なかったら、こいつのせいにする」

 モネータが眼を丸くするのを見て、アネッロは少女から手を放した。

「では、頼みましたよ。モネータ」

「……はい」

 幾分、硬い声をして。モネータは緊張に表情を強張らせた。

 煙が薄れ、アネッロは路地に続く扉を閉め、鍵をかける。窓は開けたまま、その足で事務所に続く通路へと消えた。

 呆然としているモネータに、カリダが小さく呻く。

「おい、放せよ」

「あ、ああ。すみません」

 羽交い絞めにしていた事に今更気付いたかのような顔で、モネータは腕を緩めると、カリダは慌てて彼から距離をとった。

 そんな少女の名を、モネータは低い声で呼ぶ。

「どうして、切り分けなかったかのですか」

「切ってあったじゃん」

 唐突な質問に、カリダは唇をとがらせる。

 まんべんなく黒くなった三つに切られたベーコンは、それから出た油さえも黒くフライパンにこびりついていた。

 火が消えた焼き場に置かれたフライパンを、流し台に移しながら、モネータは混乱する頭を整理しながら声を出す。

「では、聞き方を変えましょう。薄く切れば、焼く時間も短くて済みますし、焼けたかどうかの確認は簡単では?」

「切るの難しかったし。大きく切ったら、食べる時に幸せじゃないか」

 明らかに面倒くさがった事は確かだが、飢えていた彼女が肉の塊を見て、興奮してしまうのも無理はないのだろう。

「結局、焦げて駄目にしたとしても、ですか?」

「そりゃあ……ちょっと、もったいない気もするけど。卵の時みたいに、黒い所はけずればいいと思ったんだ。あれだけぶ厚いんだし、食べる部分は残るんじゃないの?」

「卵の味は、どうでした?」

 そう聞かれ、カリダは答えに詰まる。

 はっきり言って、あれは食べ物と呼ぶには程遠かったからだ。

「お湯を、沸かそう」

「は?」

 そう言って、モネータが鍋を取り出し、カリダに渡した。

 手渡されたカリダは、何をするのか分からないながらも、栓をひねって水を汲む。

「どうするんだ?」

「卵を茹でます」

 アネッロが背を向けた事で、朝食はなしだと思っていたからか、カリダの顔がみるみるうちに喜びに輝いた。

 しかし、すぐに子供らしい顔が消え、モネータをにらみつける。

「なに笑ってんだよ」

「すみません」

 笑っていたつもりはなかったモネータは、口元を隠すように手をやった。

 ただ、カリダの表情が少しずつ穏やかになっている気がして、喜ばしい事だと思ったのは事実だった。

 すぐに謝罪をするが、カリダはさらに眼を細める。

「あのさ、考えなしに謝るのって、どうかと思うけど」

「考え、なし?」

「そうだろ? おれがあからさまに喜んだから面白かったって言えばいいのに、あんたはなんでもすぐに謝る」

 その言葉に、モネータは少し考えて、カリダを見た。

「考えがないわけではありません。確かに、ほほ笑ましいとは思いました。ですが、あなたがそれに気付いたら恥ずかしがるでしょう」

「へえ。あれか、場をおさめるため。とか言う、大人の事情ってやつ?」

 そう言いながら、モネータが火種を入れた焼き場に、彼女は鍋を置こうとして、モネータにやんわりと止められる。

 カリダの前に、卵を三つ差し出した。

「……これが、なに? 腕が疲れてるんだけど」

「水に入れてから、火にかける」

 腑に落ちないながらも、とりあえず鍋をモネータへと向けると、彼はそこに卵を入れる。

 水に揺らめく卵を見つめ、カリダは眉間にしわを寄せた。

「なんで?」

「沸騰させた所に入れると、茹だる前に卵が破裂する」

 さらに訳が分からないといった顔で、それでも鍋を火にかけた。

 すぐにモネータは、棚に置いてあった二番目に大きな砂時計を取り出し、引っくり返す。

 ガラスの中で細かな砂が落ちていくのを、カリダは眼を見開いて楽しげに眺めた。

「大きさを覚えておくといい。卵を茹でる時は、二番目に大きな砂時計を使う」

「一番でかいのじゃ、ダメなのか?」

「アネッロ様のこだわりです」

 当然のようにうなずいて見せるモネータに、カリダは小さくため息を吐いた。



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