領主の悪趣味
モネータを回収するべく、館の主に退室する旨を告げれば、嬉々として見送ろうとついてくる。
「……冬支度で忙しいと聞きましたがね」
「いいんだ、私が手伝ったほうが面倒くさがられるからな。だからといって暇なわけではない。ないのだが、気晴らしも必要だろう? たまには民に好印象を持たれたい」
書斎から出ると、ライアンは気楽な調子で言いながら、足音を立てて廊下を進む。
そんなライアンを横目で見ながら、アネッロは小さく口の端を持ち上げた。
「モネータが、気になられますか」
どこに耳があるか分からない。
彼の斜め後ろを歩き、アネッロはとにかく言葉だけは丁寧に、そして媚びるように背を丸めた。
「見たい。紹介しろ」
そんな様子など気にする事なく、ライアンは眼を輝かせてうなずいた。
何がそんなに楽しいのかと、小さく肩をすくめ苦笑する。
「そうしますと、侍女の方々に好印象は持たれなくなると思いますが」
「私は領主だぞ? 彼女達が多少不貞腐れる事はあっても、恨まれるまではいくまい」
「女の恨みは、どこで生まれるか分かりませんよ」
「そう思うなら、また連れてきたらいい。今度は成長した獣少女と一緒にな」
よほど鬱屈した気持ちを晴らしたいと思っているのか、振り向いたライアンの顔は笑っていたが、冗談で言っているのではないと感じ取る。
「ライアン様、またお戯れを」
「戯れの時間くらい、取らせてもらう。これでも心血を注いで働いているのだからな」
すぐに、侍従達の待機する一室の前までくると、女性達の明るい笑い声が聞こえてくる。
ライアンがノックをすると、扉の向こうからテルサが覗き、眼を丸くした。
彼女は開けた隙間から素早くすり抜け、扉を閉める。
「若様、こんな場所にいらっしゃるなど。何か急な御用でも?」
忙しい最中だ、テルサはいないと思い込んでたのだろう。
少しばかり緊張した面持ちで、ライアンはそれでも普段と変わらないよう装った。
「ああ、用はある」
アネッロはフォローするでもなく、何でもない事のように振る舞いながら、頭をフル回転させているだろう領主を眺めていた。
案の定というべきか、テルサは怪訝な顔でライアンを見る。
「使用人部屋に、ですか」
「たまには良いだろう。それに、稀に見る美貌を持つ金貸しの使用人を、私も一目見てみたくてな」
「本当に良いとお思いですか。気軽に使用人部屋を訪れる主など、聞いた事がございません」
「ここにいるだろう」
ライアンのしれっとした言葉に、アネッロは一歩、彼から離れた。
テルサの両眉がみるみるうちに吊り上がる。
気付いたライアンが耳を塞いだのは、テルサが一喝するのと同時だった。
「領主としての自覚をお持ちなさいっ!」
白髪混じりになった髪は、ひょっとしたら年齢によるものだけではないのかもしれない。と、アネッロは苦笑した。
あれだけ楽しげに声が響いていた目の前の部屋は、いつの間にか静まり返っている。
「テルサ様、そろそろお暇しますので、モネータを呼んで頂きたいのですが」
耳を塞いだライアンにつかみかかりかねない彼女にそう言えば、怒りを露にしながらも、テルサはすぐに息を整える。
「お見苦しいものを。今、呼んで参りますので」
そう言って男二人に背を向け、ドアノブに手をかけた所で、彼女は振り向いた。
「アネッロ様。若様を甘やかされませんよう、お願い致します」
「ええ、気をつけましょう」
笑みを張りつけ、アネッロが彼女にそう返せば、テルサはその顔をしばし眺め、嘆息した。
「しばらく離れて、二人とも大人になったかと思いましたのに。揃えばこれですか」
「持ち合わせている性質は、早々変わるものではないのだ」
ライアンが朗らかに笑えば、テルサは疲れたように眼を細めた。
「若様が、それを言う資格があるとお思いですか」
その言葉に、ライアンが言い返すべく口を開いたが、アネッロは離れていた一歩をもう一度踏み出す。
その動きに乗じて、横腹に肘鉄を食らわせる。遠巻きに見れば、ただ近づいただけに見えるだろう。
声もなく、横腹を押さえて床に片膝をついた領主に、テルサは少しばかり気が晴れた顔でアネッロを見た。
小さく呻き、顔を歪ませながらライアンは二人を見上げる。
「き……みは、誰に手を上げたか分かっているのか」
「分かっておりますとも、ライアン=ラクルスィ現当主様。ですが、時と場合を考えて発言されませんと――」
同じように膝をつき、小さな声で彼の耳に囁く。
「お前の悪趣味のせいで、私も彼女の鉄槌を受ける事になるだろう」
「だからといってな……」
アネッロは立ち上がり、笑顔で右手を差し出した。
苦々しい表情で、ライアンはそれを叩いて拒否をし、ゆっくりと立ち上がる。
大きく息を吸い、同じくらい時間をかけて吐き出すが、彼は立ち去る事を選択しなかった。
心底呆れた顔で、テルサはライアンを見たが、彼は何故かうなずいて見せる。
「……少々お待ち下さい」
そう言って扉を開ければ、モネータが女性達の輪の中から素早く立ち上がった。
不服の声を上げる者もいたが、テルサの一瞥に皆一様に黙り込む。
「歓談途中での退席になりますが、失礼致します」
そう言って一礼するモネータに、礼儀作法を叩き込まれている彼女達は、条件反射のように揃って一礼を返した。
扉を出ると、アネッロよりも先に見知らぬ男が感心したような声を出し、頭の先から足先までを舐めるように視線を動かす。
扉を閉めたテルサが、硬い声で叱責するが、ライアンは気にする事なく口の端を持ち上げた。
「モネータ、だったな」
「……はい。ジュダス商会で働かせて頂いております」
「私は、ライアン=ラクルスィ。なるほど、女が好みそうな顔を持っているのだな。金髪に青い瞳か。好色爺共も好きそうな顔だ」
その言葉に、モネータは表情にはっきりと難色を示した。
「若様。下支えをしている侍従を愚弄する事は、私が許しませんよ」
テルサの低い声に伴って、下におろした手が拳へと形を変える。
静かなる怒りを感じ取ったライアンは、慌てて右手の平を彼女に向け、制止した。
「待て、テルサ。そういう意味ではない。苦労が耐えないのであろうな、という事をだな」
「ならば、余計な一言は飲み込む努力をなさいませ! 若様の迂闊な言葉で、その者も若様自身をも貶める事になるのですよ」
「……善処する」
ライアンはなだめるように、両手の平を彼女に向ける。
「善処程度で、許されるとお思いですか!」
「何をそんなに目くじらを立てるのだ。さては、モネータの事が気に入ったのだな?」
彼の言葉に、テルサは眼を見開き硬直した。
それを見て、ライアンはさもあらんと微笑し、うなずく。
「それであれば、アネッロ=ジュダスに交渉しても良いのだぞ? テルサはいつも良くやってくれているからな」
明らかに見当外れな事を口走り始めたライアンに、アネッロはモネータに目配せをした。
彼はすぐさま彼らの板挟み状態から抜け出し、下がったアネッロの傍らに立つ。
テルサの硬直が溶け、彼女の唇がわずかに震えた。
恥じらいではない顔の紅潮に、アネッロとモネータは静かに一礼をし、急ぎその場を後にした。
通路の先を曲がった所で、テルサの怒号が轟く。
「……ライアン様、という事は。こちらの御当主でいらっしゃる方ですか」
「そうだ」
「そう、ですか」
他に何を言うでもなく、モネータは口を慎んだ。
アネッロの雰囲気で、これ以上聞いてはいけないと悟ったからだ。
もちろん、領主の館内で聞く事がはばかられる内容でもある。
それはこの館で働く者達すべてが、一日も立たずに頭を占める感情ではあるのだが、モネータは飲み込んだ。