表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
42/97

領主ライアンの憂い

 書斎へと移動し、ライアンは机の上に一枚だけ乗せてあった紙を、アネッロに差し出す。

 養子を認める書類だった。

 素早く眼を通し、アネッロは丁寧に折りたたんで、ロングベストの内ポケットへしまう。

「これだけの為に移動したわけではないだろう」

 その言葉に、ライアンは小さく肩を持ち上げて見せた。

「分かっている、三日後だ。本格的に冬が到来する前に商隊が山を越える」

 市をたたみ、客がまばらになった頃合を見計らって、道の整備を始めるとライアンは暗に言っていた。

 アネッロが片方の眉を持ち上げて見せる。

「やっとか」

「これでも苦心の末だ。もっと喜べ」

「決済の書類は?」

 そう言ってライアンに向け右手を差し出すと、彼は赤い瞳をくるりと回し、アネッロから眼を逸らした。

「領主の言葉だぞ? 信用がないな」

「信用? そんな簡単な言葉で済ませる話じゃない、どれだけ待っていたと思うんだ」

「それはそうだが」

 ライアンは、引き出しを開けると紙の束を机に置く。

「これはそれの一部だがな、どうせ金をかけるのであれば、納得のいくものにしたい」

 アネッロが手に取り、パラパラと指で弾くようにして眺める。

 ものの数秒で彼が机に戻したのを見計らって、ライアンは楽しげに口を開きながら、羽ペンと羊皮紙を取り出し、インク壺の蓋を開けた。

「どうだ、レンガの色合いからこだわってみたのだが」

 アネッロはしばらく眼を伏せていたが、少ししてゆっくりと視線を上げる。

「たしかに、白壁に映えるレンガの模様は思い描けるが……一八枚目、二七枚目と三二枚目に説明文と図形の不備があった。ライアン、誰に頼んで書類を書かせた」

 簡単に眺めただけに見えたアネッロの行動だが、的確な意見に驚きもしなかった。

 ライアンは準備万端用意していた羽ペンで、適当な紙に言われた内容を書き留める。

「他には?」

「……お前、その為に私を呼んだのか」

 呻くように声を出したアネッロに、ライアンは何を今更といった調子でうなずいた。

「違和感を見つけるのは、君の専売特許だろう? 誰かに頼んだとしても見落としがある可能性が出てくるが、君ならば違和感は見落とさない」

「時間もかからないしな」

「それが一番だ。仕事に時間などかけたくないからな」

 アネッロは、ただ軽く息を吐いた。

 この友人は、使えるモノならばどんな物でさえ使う事など、昔から分かっていた。

 分かってはいたが、相手の忙しさなどお構いなしに押し付けてくる事には、慣れたとはいえ不穏な感情が浮かんでは消える。

 そしてその行動は、ある男を彷彿とさせた。

「さすが、親子だと思わざるを得ないな」

「物心ついた時にはすでに親で、それをずっと見て育てばこうなるさ」

「生まれた時から刷り込まれてるんだよ、お前は」

 そう言ってやると、ライアンは悪びれる様子もなく楽しげに声を上げて笑った。

 肩透かしを食らった気持ちで、アネッロが話を変える。

「その張本人の、ラクルスィ様は? 遠出したと聞いたが」

「私もラクルスィだが? おい、そんな顔をするな。冗談だ」

 あからさまに顔を歪めたアネッロに、ライアンはおどけた調子で肩をすくめ、嘆息した。

「君も多少は知っているようだが、あの人は海に出ると言ってな。共の者を連れて外出された」

「ライアンが一通りの仕事を覚えた時点で、当主の座を完全に譲ったというわけか」

 ライアンはもう一度、今度はそれと分かるように鼻から息を大きく吸って、去来する何かを外に出そうとするように長く息を吐き出した。

「私が家督を継ぐと言って以来、嬉々として全ての執務を押し付けてきたよ。なんでも『私はこれから悠々自適に生きるのだ。有象無象の者共への対処は、全てお前に一任する』と言ってな、貴族連中のいざこざも全て押し付けていった」

「あの方らしいな」

 アネッロが苦笑すると、ライアンはその時の状況を思い出したのか、眉間に寄ったしわを伸ばすように指を当てた。

「だから、困るのだ。貴族会議などで、誰が聞いても正しいと思う事を、そのまま本人にぶつけてみろ。当然間違ってなどいないが、不穏な空気になるに決まっているだろう。人間なのだから、せめて言い方には気をつけるべきだ」

 若いライアンが会議に行く事になり、散々な目に遭ったと、普段ほとんど言わない愚痴をこぼした事があった。

 よっぽど立ち回りに苦労したのだと、その時の顔色の悪さで判断した事をアネッロは思い出す。

 ライアンは、疲れたように頭を横に振り、鼻で笑った。

「それを国王陛下は、面白がっていた節があらせられる。率直で歪みのない意見を、自分の利益を省みず発言出来る父を、気に入っていた風にも伺えるのだ」

「……それは前にも聞いたが、お前が苦労するという事は分かる」

「まあ、確かに追い詰めてしかるべきな奴も中にはいるのだがな。時代が変わり、人が変わればそうもいくまい。だからと言って、若造と侮られても困るからな」

 苦々しく言うと、ライアンは眉間から指を外した。

 静かな一室に、ライアンの苛立ちが反映しているような空気が生まれたが、アネッロはその空気を振り払うように息を吐く。

「お前が侮られる事などあるのか?」

「当たり前だ。あの中では、私はとても若い。貴族というものは、人のようで人ではない者が多過ぎる。自らの懐に入ってくる金が重要で、真に民の事を考えている者など一握りではないかと疑うよ」

「否定はしませんがね」

 領外の貴族とも取引のあるアネッロには、身に染みるほど分かっていた。

 正しい道を進む事の難しさは、酷く精神力を蝕まれるのだろう。

「王都よりも、領内に引きこもっていた方が、どれだけ充実した仕事が出来るか。そこから離れるわけにはいかず、しかし英断を下される陛下は本当にお強い方なのだと痛感するよ」

 もう一度、頭を振って。ライアンは弱々しく笑う。

 そして、返答をしないアネッロに眼をやって、しばし無言になる。

 何か、話しかけられる雰囲気を察した所で、アネッロは眼を細めた。

「我が家の再興を望んだとしても、すでにそれは出来ない所にまで来ている事は分かっているな?」

「……先を読むな。分かってはいるさ。君にその任務を押し付けたのは、誰でもない私なのだ。だが、ふとした時にそれを考えたとしても仕方あるまい」

「お前を支えている者が不安になるような弱音を、けっして口にしない事だ」

 子供扱いされたと思ったのだろう、ライアンはさすがに表情を改めた。

「当たり前だ! 誰にでも出来る話であるはずがない。私と君が双璧となって、あの会議に乗り込む事を考えると、笑いが止まらないだけだ」

 口の端を持ち上げた彼は、明らかに狡猾な表情をしていた。

「私ならばどうするかなど、ライアンなら思いつくだろう。だったら私がその場にいる必要性はない」

「まあ、そうなんだけどな」

 遠い目をして、短く息を吐き出した彼を見て、アネッロは仕方のない弟を見る眼で笑う。

 ライアンは、今までの会話をなかった事にするかのように、右手で空気をかき回す。

「すっきりした。そろそろ朝食の準備が出来る頃だ。食っていくだろう?」

「それはとても嬉しいご相談ではありますが、食事の準備は小間使いに申し付けてしまっておりますので」

「……ああ、新しい養女か。どんな娘か見てみたいから、連れてきたら良かっただろう」

 途端に眼を輝かせて言うライアンに、右手の平を彼に向け沈痛な面持ちでわざとらしく眼を伏せる。

「いえ、あれはまだ獣ですので」

「それはそれで面白そうだが……まあ君が言うなら、尋常ではないのだろうな」

「尋常ではないのですよ。女と思ったら、咬みつかれかねない獰猛さがあります」

 アネッロが真剣に言えば言うほど、ライアンは楽しげに笑った。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ