早朝
タムの足元に、紙幣の入った袋を入れていく。
「これは、何?」
音や肌に触れる感覚で、中に入っている物を知り、タムは分かっていながらも質問を口にした。
少年をすっぽり包めるほどの布を、アネッロは手にして笑った。
「お前にやるわけじゃありませんよ。稼ぎをある場所に運ぶついでに、お前も運びます」
タムの周囲をぐるりと包み込むように巻いたそれは、綿が詰まっているため柔らかく、手触りは気持ちの良い物だった。
両端を彼に持たせ、手際よく金を詰めていく。
途中からタムをその上に寝転がるよう指示をし、口を閉める前にアネッロは見上げてくるタムに眼を細めた。
「いいですね。私の許しがあるまで、何があっても動かず声を出さない事です」
小刻みにうなずいて見せる彼に、アネッロは袋の口を閉めた。
もう二つ。金だけを詰めた同じ大きさの袋と、質流れになった物品を入れた袋を用意した。
物品の袋を担いだアネッロの後を、タムの入った袋を抱き上げたモネータが続く。
その姿がアネッロの眼の端に映り――彼は、二度見した。
「外に、それで運ぶつもりですか?」
「はい。何か、問題がありましたか?」
不思議そうな顔をする彼は、麻袋を横抱きにしていた。
もちろんアネッロも横抱きではあるが、女性を抱き上げるような形ではない。
片方の腕は上から、もう片方は下から支えているのだが、モネータは両腕とも下からである。
アネッロの表情が一変し、重い荷を抱えながら、モネータへと無言で対峙した。
月に一度、稼ぎを納めるために金を運ぶ。
それは不定期に行っていた。金であったり、物であったり様々な物資を運ぶため、狙われる確率を低くする手段を常に考えてはいるが、モネータの抱え方は不自然極まりない。
何も言わず、ただモネータを見つめるアネッロに動揺しながら、モネータは口を開く。
「しかし、カリダよりも小さな子供です」
彼の眼だけで、だから何だという雰囲気をモネータは感じ取った。
少し考える素振りをしたモネータは、眉間にしわを寄せながら、もう一度アネッロを見る。
「外に出たら、抱え直します」
「出る前だ」
「……分かりました」
即座に言い直され、渋々うなずいたモネータを振り返る事なく、アネッロは部屋から出て行った。
モネータも後に続くが、居間に入り、眼を丸くする。
机、椅子とストーブ。それに小さなキッチンのある狭い部屋の床や机には、瓶詰めやフライパンなどが所狭しと置かれていた。
棚という棚を全部開け、中の物は出し尽くしたカリダが呻いた。
「ねえよ。ったく、どこにあるんだっての」
そこまでしても、カリダはベーコンを見つけられずにいた。
天井付近に取り付けてある棚を見上げたところで、彼らが居間に踏み込んでくる。
「カリダ」
アネッロが声をかけ、袋を床に置いた。
「なんだよ」
振り向きもせず、もう一度だけ確認のため、足元の棚を覗き込んだカリダの後ろ頭を、アネッロが軽く叩く。
「なんですか、と言いなさい」
「いってえな、なんですか!」
「出かけてきます。出した物は、同じ所に戻しておきなさい」
あんぐりと口を開けたカリダを横目に、眼鏡を外すとテーブルに置く。
彼女から視線を逸らし、アネッロは路地に続く扉の鍵を三つ開けた。
瓶詰めに囲まれたカリダが、床に腰をおろしているのを見て、モネータは困惑した顔をする。
袋を横抱きにしている彼を目にしたカリダは、しばらく眺めていて何かに気づいたのだろう。
すぐに顔がにやけはじめた。
「お前。それ、タムか」
「ああ、そうだ。何かおかしい事でも?」
「おかしいもなにも、その抱え方はどうかと思うけど」
女性を抱き上げるような横抱きに、カリダは腹を抱えて笑った。投げ出した足が瓶詰めの一つに当たり、倒れる寸前のところをカリダは慌てて支える。
「おれの時みたいに、肩に担げばいいじゃないか」
「そうだが……この小さな扉を潜る事を思えば、肩に担ぐとぶつける可能性があるだろう」
「まあ、そうだけど。なんだろう、面白い」
容赦ない笑い声に、苦虫を噛み潰した顔をしながらも、モネータはアネッロと同じ形で袋を抱え直す。
アネッロは何も言わず、口の端を持ち上げて外に出た。
狭い路地に用意された荷車に、アネッロが袋を置くと、モネータが続いてタム袋を手渡し、残りの袋を取りに戻っていく。
アネッロがタムの入った袋を、いつもどおり軽く投げるように荷台に載せ、先に載せた袋の方へ押しやった。
モネータが金の詰まった最後の一袋を抱え外に出る。タムを挟む形で、それを荷台に載せた。
アネッロがいつものように二つ鍵を閉め、戸が開かない事を確認する。
その間の数秒だが、モネータは壁と平行に立ち、アネッロが荷車に戻るまで油断なく周囲を警戒する。
すぐにアネッロが前から荷車を牽くと、後ろからモネータが手をかけて押した。
細い路地を、ジュダス商会の大扉とは反対方向へ抜けると、タイミングよく箱馬車が目前に止まった。
御者に片手を上げて合図をし、側面に取り付けられている扉を開くとモネータが乗り込み、手際よく積み込んでいく。
モネータが乗り込んだまま扉を閉め、アネッロは御者の隣に座った。御者が手綱を振るうと二頭立ての馬車が、ゆっくりと進み始める。
「横付けする」
アネッロがそう言えば、御者が小さく二度うなずいた。
通りに眼をやる。朝が早いからといって、人通りがないわけではない。
だが見知った者達は、アネッロの姿を見て、わざわざ呼び止める者などいない。不自然に眼を逸らし、用事を思い出したかのようにそそくさと家へと戻っていく。
それは、普段と変わりのない光景だった。
年配だが、領主から依頼された御者は、一通りの事象に対処出来る人物でもある。
そんな男が、思わずといった調子で小さく笑った。アネッロが横目で彼を見ると、すぐに小さく頭を下げる。
「ああ、すみません。馬車が通ると、人は避けるものですがね。あんたさんが乗ると、こうも避け方が違うのかと思うと……いや、面白いものですな」
「爽快だろう」
謝りながらもなお笑い続ける御者に、アネッロが笑みを浮かべて見せれば、男はさすがに笑いを引っ込めて眼を丸くした。
「あんたさんも、冗談を言うのかね!」
「人間ですからね」
「へえ。好青年とは言えないが……なるほどねえ」
「何か、含みがありそうですが?」
楽しげにアネッロが言葉を返すと、御者の男は口の端を持ち上げた。
「いや、なんでもねえよ。女を誑し込みそうな感じはしねえな、と思ってな」
「私が、ですか?」
男は笑いながら、また二度うなずく。
「中の兄ちゃんなんかは……そうさな、誑し込まれる側だとは思うがね」
「それは、反論しないでおきましょう」
平然と返せば、男はまたくつくつと笑った。
――普段とは違う視線を感じ、左方に眼をやる。
女達が洗濯物を入れたカゴを運びながら談笑している姿が、視界に入り、消える。
「旦那? 何か、ありましたかね?」
「……いや、何でもない」
そう言いながら、モネータが入っている馬車の中に続く小さな覗き窓を開けた。
「確認しろ」
「はい」
揺れる馬車を苦にもせず、モネータは後ろの窓にかかっている小さなカーテンから背後を確認する。
左右には窓が設置されてはいないため暗いが、少しだけ持ち上げたカーテンの隙間から光がこぼれ、モネータが首を横に振ったのが見えた。
アネッロは、小さな覗き窓を閉め、座り直す。
「荷を運ぶのとは違う案件かい?」
「まあ、そのようなものです」
「そりゃあ、なんだか面白そうだな。速度を上げるかね」
「いや、このままで」
領主の館は、馬車で行けばそう遠くではない。
現にあと一息という所まで来ていた。
「少なくとも、ご迷惑はおかけしませんよ。侍従長殿」
そう言ってやると、御者の男は驚くわけでもなく、いたずらがばれた子供のように笑った。