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タムの決意

 夜が明け、それぞれの建物の煙突から、煙が立ち上り始める。

 アネッロもそれに違わず、ストーブに薪をくべていた。新しい煙筒は、煙を屋根の上まで送り届けるだろう。冷えた空気が、和らいでいく。

 物音に気づいたモネータが、ゆっくりと肩を回しながら起き出してきた。

「たまには、床で寝る訓練も必要かもしれませんね」

 そう言って、アネッロが眉を持ち上げれば、彼は渋い顔でうなずいた。

 机の上を見れば、麻布がたたんで置かれている。

 仕事で使うのだろうとモネータは気にしなかったが、その布を渡され、アネッロが紐を持ち出した時に嫌な予感がした。

 そんな彼の心を読んだかのように、タイミングよくアネッロが笑う。

「仕事ですよ」

 そう言って、アネッロは彼に背を向けた。

 モネータはついていきながら布を確認すると、袋状になっている事に気付く。

 広げてはいないが、大きな物を入れられるだろうと推測出来た。

 ノックもせずに、アネッロはモネータに与えている寝室に踏み込むと、ベッドの上で小さな身体を更に小さく丸め、タムが熟睡している。

 周りを警戒しながら外で寝る時と比べ、アネッロの屋敷であれば彼以外の脅威を感じられないのだろう。

 身体を丸めてはいるものの、その寝顔は警戒心の欠片もなかった。

「……おい」

 囁くような低い声にモネータが振り返れば、カリダが扉から覗いている。

 アネッロは、心地良いとも思えるくらい静かな声で指示を下した。

「カリダ。モネータと少し出かけてきますので、朝食の準備をしていなさい」

「ああ、いいけど……一人で?」

「ストーブに火は入れてあります。それを種火にして、料理をしたらいい」

 つい先日の騒ぎを思い出したのだろう。カリダは、心底嫌そうな顔をした。

「モネータの兄ちゃんにやらせばいい。おれは普通に食いたい」

「練習あるのみです。ベーコンも焼いておいて下さい。火の始末は、覚えていますね」

「……わかってるよ。帰りが遅かったら、食ってていいか?」

 用意しているベーコンを、あるだけ食べると宣言しているようなものだ。

 だが、アネッロはうなずいた。

「構いませんよ」

 途端に眼を輝かせて走っていくカリダを、モネータは愕然と見送った。

 淑女とは、どうあるべきか。そんな大量の知識が怒涛の如く、脳内を駆け巡り――モネータは、ただ嘆息するに留まった。

 今からする予想は、的中するのだろう。カリダを体よく追い払った事が、分かったからだ。

 アネッロは、右を下にして寝ていたタムの身体を無造作に反転させた。

 身体をつかまれた時に、少年は眼を覚ましたが、転がされたシーツの上でパニックになる。

 長年ベッドで寝た事のない。ましてや熟睡などしてこなかったタムは、自分がどこで寝ていたのか一瞬分からなかったのだろう。

 体勢を立て直した少年は、薄暗い部屋の中、二つの大男の影を見て、可哀想なほど青ざめていた。

「ぼくは、売られるの?」

 モネータは、タムの瞳から光が失われていくのが見えた。

 その声には、困惑も怒りも感じられない。抑揚のないその言葉は、ただ発せられただけにも感じた。

「お前を無事に保護するためには、すべき事が多くある。というだけですよ」

「何を、したらいいの?」

 アネッロが、モネータに目配せをすると、彼は持っていた麻袋を広げた。

「放り込まれたくなければ、自分から入る事を勧めます」

「……入ったら安全だって、本当に言えるの?」

「言えませんね。お前をここに引き入れた事が、犯人に見られたかどうかも分かってはいません」

 緩慢な動作でベッドから降り、タムは視線を狭い部屋にさまよわせながら、モネータの近くに寄る。

 ためらいながらアネッロへと振り返った。

 タムは眼をみはり、息を呑んだ。アネッロは、ごまかすような笑みなど浮かべてはいなかった。

「積荷として、お前は運ばれます。何もないとは思いますが、何があっても身動きはしないと誓ってください」

「何かあったら、逃げたいんだけど」

 当然のようにタムが唇をとがらせると、アネッロは即座に否定した。

「お前が動けば、面倒が増えます」

「死ぬよりはマシだよ」

 アネッロの眼に一瞬鋭さが浮かぶのを、タムは見逃さなかった。

 カリダが平気な顔でアネッロに憎まれ口を叩いていたのを見た事が、タムの中に残っていたのだろう、アネッロ相手に少し調子に乗ってしまったと感じていた。

 彼の口が開く前に、タムはごめんなさい。と小さな声で謝った。

「何故、謝った」

 アネッロの声には、怒りや威圧はなく、ただ静穏であった。

 何故と聞かれ、タムはうろたえながら、考えながら重い口を開く。

「え? だって、口答えしたから……」

「自分の生き死にに関係する話です。心配事や疑問がなくなるまで議論する事は、当然でしょう」

「でも、殴られたよ。いろんな人に、お前ごときが口をきくなって」

 眉間にしわを寄せたのは、モネータだった。

 口こそ挟まなかったが、麻袋を握る手に力がこもる。

「契約をしましょう。タム、お前は私達が無事に送り届けます」

 アネッロは床に片膝をつき、タムと同じ目線で口の端を持ち上げる。

 安全ではないのは、どちらなのか。それを感じられる雰囲気に、タムは身震いした。

「私とした契約は、必ず実現させられる。と、噂を聞いた事は?」

「……ある」

「お前は、どうしますか? ここにはいられないとなると、すべてに怯えながら外で生きていく事になる」

 おろされた小さな両手は、知らず服のすそを握りしめていた。

 アネッロからの眼を避けるようにうなだれて、タムは泣きそうな顔をした。

「何を、したらいいの」

「ただ袋に入り、荷台に転がっていればそれでいい。けっして動かず、何があっても声を出さない事」

「絶対、安全?」

「タム、世の中に絶対という言葉はありませんよ」

 アネッロの言葉に、タムは弾かれたように顔をあげる。

 怯えと怒りがごちゃまぜになったその瞳を、アネッロは正面から受け止めた。

「私は契約を違えた事などありませんよ。どんな手を使ってでも、送り届けましょう。私にはその力がある」

 その眼は、嘘をついていないように思えた。

 ただ、その言葉には恐ろしい何かも感じ取れ、タムは身震いした。

 味方の言葉であれば、知れ渡っているアネッロの噂の数々は頼もしいものでしかない。

 だが、それは綺麗事ではけっして済まないのだろうという事は、タムでも分かる。

「契約、するよ」

「物分かりが良くて助かります」

 満足気に笑い、アネッロが立ち上がると、今度はモネータが片膝をつき、麻袋の口を広げて低い位置に構えた。

 それに片足を踏み入れながら、タムは覚悟を決めた。



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