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孤児院の夜 2

 倉庫に入り、出来る限りゆっくりと荷を片付ける。

 あらかた終えると汗を拭い、一息吐いた。

 多少の疲れを感じつつ、燭台の明かりを吹き消して通路に出る。

 冷やりとした空気に、心地良さを感じながらゆっくりと歩き出した。

 時間をかけたせいか、誰かが起きているような気配は感じられない。

 極力足音を抑えて、自分に与えられた部屋へと向かう。扉の隙間から光が漏れている事に気がつき、開ける手を止めた。

 部屋を間違えたかと、道順を思い返すが、それはないはずだった。

 机にあった明かりを消し忘れたのかと思った時、中から何者かが呟く声がした。

「……失礼いたします」

 間違えてはいない。と自分に言い聞かせながら扉をノックすると、聞いた声が返ってくる。

 扉を開け、ハボンは怪訝な眼をベッドに腰をかけるシーフェに向けた。

 彼女は彼の表情を見て、楽しそうな顔をする。

「遅くまで、ありがとうございます」

「……あの、部屋を間違えてはいませんよね?」

 平常心を保つよう心がけながら、声は少し上ずってしまった。

 扉を開けたまま入ってこないハボンに、彼女はゆっくりと立ち上がる。

「ええ、間違ってはおりませんわ。どうぞお入りになって」

「……はあ」

 思わず周りを見渡したハボンだったが、廊下にはただ蝋燭の灯が揺れているだけだった。

 ためらいはしたが、ハボンは急激な口の乾きを感じながら、境界線を踏み越えた。

 それを見て、シーフェの笑顔はより艶やかさを増す。

「お疲れになったでしょう。冷めてはしまいましたけど、疲れを癒すお茶を用意しましたの」

「それは、ありがとうございます」

 シーフェが優雅な仕草でカップに注ぐ水音を聞きながら、ハボンはぎこちなく礼を言った。

 食堂で見た時には頭に布をかぶっていた彼女だが、今は美しい赤茶の巻き髪を晒している。

「お気を使っていただいて、申し訳ありません。後は私がやりますので」

 何とか絞り出した言葉だったが、彼女はお茶の入ったカップを手にハボンへと向かう。

 手渡すにしては近過ぎる距離で、彼はカップを受け取った。

「ありがとう、ございます」

「いいのよ。こんなにも時間がかかってしまう事を頼んだのは、私ですもの。こんな事しか出来ませんが」

 そう言って、彼女は右手で自らの巻き髪に触れ、左手でハボンの胸を触れた。

 無意識に後ずさったハボンだったが、なみなみと注がれた茶がこぼれ、彼の衣服を濡らす。

「まあ! 大変、早く洗わないと染みになってしまいますわ。替えは用意しますから」

 そう言って、彼の上着に手をかけるシーフェにハボンは驚き、空いた手で彼女の手を止めた。

 シーフェは驚く事もせずに身体を寄せ、至近距離から潤んだ瞳でハボンを見上げる。

「私の事が、お嫌い?」

「いえ、そんな事は……」

 シーフェがハボンの胸板に、そっと頬を当て、長い睫毛を閉じた。

「身体を鍛えているのね、素晴らしいわ」

 カップを取り落とさなかった事が奇跡なくらい、ハボンはまごついた。だが彼が逃げ腰になる前に、シーフェが彼の背に片手を回す。

 一瞬身を震わせたハボンだったが、突き飛ばす事も出来ず、しばらくそのままでいた。

 彼女からその状態を打破する事はないと感じ、ハボンはつかんでいた彼女の手を放す。

「院長。私を試すなど、おやめ下さい」

「試してなどいません」

 離れようとしないシーフェに、ハボンは必死に声を絞り出した。

「私は修道士とはいえ、まだ見習いのようなものなのです」

「修道士でも、男である事は違いありませんし。たとえ私の立場がどれだけ神に近い者であっても、女である事は変わりません。人が命を育む事で、現在の世の中が出来ているのです。それはとても尊い事でしょう」

 強張った声を聞いて、シーフェは笑みを浮かべながら、自由になった腕も彼の背に回される。

 柔らかい女の身体と花の香りがする髪に、目眩に似た感覚を覚えながら、ハボンは空いた片手を耐えるように握りしめた。

「ハボン、私の事がお嫌いですか?」

 哀しげな声色に、ハボンはおずおずと手を彼女の細い腰に回す。

 その行動に、シーフェが笑みを浮かべたが、ハボンからは見えなかった。

 彼女がハボンの背をゆっくりとなでれば、彼は煽られるように彼女の髪に唇を寄せ、赤茶の髪をかき上げて、首筋に手をやる。

 恍惚の表情を浮かべた彼女だったが、髪を一本抜かれたような、ほんのわずかな痛みを感じた瞬間、意識を失った。

「実に残念です、院長様」

 従順な態度を消し、代わりに冷酷な表情を浮かべたハボンは、別人の顔を見せていた。

 それはアネッロの元を訪れた、ノーチェフだった。

 彼女を担ぎ上げ、まずはカップを机に置く。

 それからそっとベッドに寝かせると、彼は適当に彼女の衣服を剥ぎ取り、床に投げた。

 床に当たる、微かな硬い音に振り返った。

 ノーチェフが服を拾い上げれば、鍵が三つついた鍵束が転がり出る。

「ああ。悪い事があれば良い事がやってくる」

 拾い上げ、音が鳴らないようにまとめて握りしめる。

 眠った彼女の耳に口を寄せ、

「ハボンと淫らな夜を過ごし、あなたは意識を失った」

 何度か同じ事を囁いて、彼は身体を離す。

 備え付けられている机の引き出しを開けるが、空だった。

「そんな簡単な任務じゃないわな」

 そっと元に戻し、今度は扉に耳を寄せた。

 おそらく艶めいた夜になると予期し、興味津々だろう女達の気配はない。

 どんな規則があるのかは分からないが、シーフェの邪魔だけはしてはならないのだろう。

「ああ、怖い怖い。清艶な華の方に賭けなくて良かった、やっぱり他人は信用出来ないな」

 音を立てずに扉を開け、身震いした。

 足音は立てていないが、堂々と廊下を進む。

 万が一見られたとしても、どうとでも理由はつけられる。

 肩を持ち上げ、静かに息を吐き出すと同時に肩を下げた。

 従順な修道士、ハボンの真面目で勤勉な表情を作り上げる。

 歩き方も何もかも、招き入れられたハボンでしかない。

 カリダが連れて行かれた方向と、閉じ込められている場所はおおよそ見当はつく。

 だが、ノーチェフの目的は別にあり、少女の事など二の次だった。

 ある部屋の前で、足を止めた。シーフェの居室である。

 教えられたわけではないが、調べはついていた。

 気配を確かめるが、誰かと同室になっているわけではないようだ。

 ノブに手をやり、ことさらゆっくりと力をかける。鍵がかかっていた。

 にやりと口の端を持ち上げたが、それに気づき力を込める。油断は即、死に繋がるからだ。

 鍵を探し当て、音が鳴らないようにゆっくり回す。ノブに手をかけ――離した。

 ノブに視線を落とした時、目の端に違和感を感じたのだ。

 扉の下方にある角を見れば、気づかなければ見過ごされるほどの小さな釘が打ち込んであった。

 少しだけ隙間を空けるように打ち付けてあるそれには、扉の色に染められた細い糸が引っかけられており、糸を辿ると扉の向こう側に消えていた。

 ノーチェフは、扉の隅から隅を丁寧に探り、上部にも同じ仕掛けが施されている事を見つける。

 どれだけ用心深い事だろう。

 自分も同じくらい周囲を気にするが、孤児院においては異常とも思えた。

 鍵を閉めるだけでは済まないほどの秘密があるに違いなかった。

 引っ張り過ぎないようにして、糸を釘から外す。

 そっとノブを回し、他に仕掛けがないかを探りながら、手前に少しずつ引き開ける。

 仕掛けは二つだけだったようだが、糸の先には良い音を響かせそうな鐘が二つ扉付近に飾られていた。

 床面にも注意しながら、慎重に歩を進める。

 先程与えられた部屋と同じ造りではあるが、この部屋には生活感があった。

 下手に明かりを点けるわけにもいかないが、扉を開け放したままである。暗いとはいえ、通路にある蝋燭の灯で、ノーチェフには事足りる。

 鍵のついた机の引き出しに向かおうとしたが、異質な何かを感じて途中で立ち止まり、来た方向に二歩後ずさった。



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