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タムが見たモノ

「タム、あのさ。その女の顔は覚えてないんだよな?」

 和やかな空気を残すように、カリダはさりげなく聞いた。

 つもりだったが、直球になっている事に彼女は気付かないどころか、完璧なさりげなさだったと自己満足に口の端を持ち上げていた。

 沈黙が降り、タムの声がした辺りから身じろぎするような衣擦れの音がする。

 近づいてくる事はないが、返事は遅い。

 あからさまだったかと、不安に思いはじめた時、やっと彼が小さく呟いた。

「多分、見てない」

「多分って。見たかどうかだろ?」

「うん、そうなんだけど……暗かったんだ」

 思い出しながら喋っているのだろう。一つ一つを噛みしめるように、彼は言葉をつむぐ。

 夜は長いのだ。カリダは壁に背を預けて、待つ事にする。

 アネッロからも言われていた。思い出す邪魔だけはしてはならない、と。

「夜だから、街灯があっても暗いよな。だからおれ達みたいのが生き延びられる」

「うん、そうだね。でも何か気になって……ああそうだ、明かりが見えたんだよ」

「明かり?」

 カリダが夜の町中を、暗闇を利用して走る黒ずくめの女を想像する。

 街路灯があったとしても、それが建つ間隔は広く、闇が勝っている場所を駆け抜けるのならば、確かに明かりが必要だろう。

 彼もゆっくりと肯定した。

「寝ようとしていたんだけど、揺れる光が気になったんだ。変な動きしてるなと思ってたら、人が走り過ぎて行った」

「お前は、地面に座ってたのか?」

「そう。そいつは頭から足首くらいまである黒い布をかぶってて……手は出る所はあったんだ。黒いローブみたいなのかな。なんだか怖くて、ゴミ捨て場に飛び込んだよ」

 カリダは、闇に沈んでいるが、あるはずの天井を見上げて、直感した。

 タムは、その女の顔を見ているはずだ。と。

 そして、ひょっとしたら――その女に、見られているかもしれない。

「タム。眼を閉じても関係ないかもしれねえけど、揺れてる明かりが近づいてくる所を、もう一回思い出せないかな」

「え? ……うん、いいけど」

 居住まいを正したのだろう。身動きする気配がした。

「何が、見える?」

「見える……もの?」

「そうだ。光が近づいてきて、陰に隠れながら見上げた。頭から、足先まで」

 息を吸い込む音がした。

 カリダが何を言いたいか、分かったのだろう。

「ぼくは、見てるのかな」

「分からない。タムがいた場所にもよるし。でもさ、犯人が分かれば、報酬もらって外で生活出来るかもしれないだろ」

 こんな所にいたくない。

 それは、二人にとっても共通の事だった。

「わかった、思い出してみるよ」

 少年は強張った声を出したが、それは決心の表れでもあった。

 聞こえるように息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。

 そして彼が座りなおしたのだろう、小さな音が聞こえて、また呼吸をする音が聞こえた。

 それは、少し震えていた。

 カリダがそっと足を伸ばせば、静寂が生まれたせいで扉の向こう側の、さらに離れた所から楽しげに笑う女の声が小さく聞こえた。菓子でも酒でも、やりたい放題なのだ。

 子供たちの声など、微塵も聞こえない。それは、日常だった。

「ぼくは、膝を抱えて寝ようとしてた」

 ゆっくりと、見たはずの出来事をタムが語り始める。

「少し寒かった。背中をジャンにくっつけて――」

「うん? もう一人いたのか?」

 不思議に思い、カリダが口を挟む。

 タムは、ああと声を出して、違うよと笑った。

「ジャンは人形だよ。木で出来た、薄汚れた人形さ」

 ふうん。と、興味のない返事をしたカリダに何も言わず、話を続ける。

「ぼくよりも少しだけ小さい人形だけど、目鼻のあるやつをゴミと一緒にするのが嫌だったんだろうね。とにかくジャンに背中を預けて、寝ようと頭を下げて」

 少しだけ間をおいて、タムはまた慎重に声を出した。

「光が、見えた。でもはっきり見えたわけじゃなくて、小さな光が揺れて壁を照らしてる。壁に映った光を見たんだ。ゴミ捨て場の側面に頬をくっつけて、向こう側を見ようとして、ぼくはゴミ捨て場から少し背中を伸ばしてのぞいてみた」

 カリダも、タムの姿と自分を重ね合わせ、想像してみる。

 しゃがみこんで、少し背を丸めていれば、通りからは見えなくなるだろう。

 それをあえて背筋を伸ばして、ゴミ捨て場の木組みから目だけ出してのぞく。

 狭い空間だが、少なくとも通りは見えるはずだ。

「黒いの着てるから、最初はなんだか分からなかった。揺れているのが、ランプだと気づいた時、そいつはすぐそこだったんだ。ああ、黒い布をかぶって走ってる。袖もあって黒だったから……服なんだろうなって。ぼくは見上げて――そう、確かに見上げた。そうか、見たんだ」

 最後の方は、震える声を絞り出していた。

 カリダも覗き込むように見上げて、何も見えない空間であったというのに、背筋が寒くなった。

「そう……見た。あれは、女だった」

「見たんだな? もう一度見たら、あいつだって分かるのか?」

 カリダは仕事をやり遂げた事に、高揚した。

 ただ話を聞いていただけだったのだが、頼まれた仕事をこなす事が初めてだったのだ。

 だが、相手は沈黙していた。

 まだ何かあるのかと、少し待っていたが、鼻をすする音を耳にする。

「カリダ、ぼくは見た。それと――そいつと目が、合ったよ」

 涙声で、彼は言葉を吐き出す。

 カリダは、息を呑んだ。

 だが、こうしてタムがこの場所にいるという事は、何事もなかったからだ。

 その強運に、カリダは奥歯を噛みしめた。

「どうして、忘れていたんだろう」

「ショックな事があれば、忘れちまうもんだって聞いた。お前、本当によく無事だったよな」

 呻くように声を出し、言った言葉が失礼な言い方だとは気づいていない。

 だが、彼は動揺したように声を震わせながら、肯定した。

「多分、だけど。ジャンのおかげだと思うんだ」

「……なんでそこで、人形が出てくるんだよ」

「あいつと目が合って。勢いがついてたんだろうね、最初走り抜けて行ったんだ。ぼくは、すぐにゴミ捨て場の中に隠れたよ。あいつの足音が戻ってきて……蓋に手を置いたのが分かって、息が出来なかった。でもすぐに、悪態吐いて何かを蹴っ飛ばした音がして。そしたらどこかから、うるさいって声がして。そいつ、そのままどっかに行ったんだよ。蓋を開けたら、ジャンが倒れてたんだ」

 声こそ静かだが、一気にまくしたてて、タムは鼻をすすった。

 聞き漏らしてはいけないと、カリダは黙って聞いていたが、彼の幸運に唸った。

「すげえ、身代わりか」

「うん……でも、どうしよう。ぼくは捕まりたくて、捕まったのかな。でもどっちにしても、生きてる事が難しいのかもしれない」

「そんな事にはさせないから、安心しろよ」

「カリダ、どうしてそんな事が言えるのさ。君……まさか、罠、なの?」

 明らかに敵意が混ざった声色に、カリダは重い空気に構わず吹き出した。

「やめろよ。どっちかと言われなくても、こんなとこ潰したい派だよ」

「じゃあ、そんな事にはさせないって、どういう事?」

「そうだなあ。ここから逃げ出して、絶対安全な場所に連れてってやるよ」

 カリダは自信満々、胸を張って答えたが、乾いた笑い声しか返ってこなかった。

 信用出来る者が誰なのか、そんなもの自分しかいない。

 こんな場所や浮浪児として外にいた身としては、それが一番良く分かっていた。

 アネッロの元にさえ連れて行けば、身の安全は当然だろうと自信に満ち溢れていたが、『絶対安全』の理由も言わなければ、余計に不審に思うばかりだろう。と、思い至る。

 しまった。と声には出さなかったが、口をイーッと横に広げて、聞こえないように息を吐き出した。

「まあ、信用出来ないよな。それはすごく分かるけど……タムが危険だってのは分かる。おれだって、ぞっとするよ。こういう言い方って嫌いだけど。すごく運がいいんだぞ。お前、助かるんだからさ」

「罠じゃない、んだよね?」

 タム自身が、罠かもしれない。

 それはまだ拭いきれないが、今までの話では、彼は嘘をついていない。そう思う。

 信用させるには、カリダも真実を言うしかなかった。



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