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暗闇の会話

 その覇気のない声に、カリダはゆっくりと口を開く。

「タム。言っとくけど、二回目だとか言わない方がいいぞ。おれが罠だったらどうすんだ? お前、それこそ告げ口されて、鞭打ちじゃ済まないんだぞ」

「……それは、考えなかったな」

「なんでだよ」

 暗闇の中、声のするほうに眼を向けると、タムは小さく笑ったようだった。

「だって。入ってきた時、あいつらに咬みつきそうだったよ。そのまま逃げられるかもって思った」

 大きな声をあげないように、口元を手で押さえているのだろう。

 くぐもった笑い声は、それでも明るいものだった。

 少しばかり安堵して、カリダは誰に見られているわけでもないのに、眼をくるりと回しておどけた声を出す。

「咬みついてやればよかったな。そしたら罠とか関係なく、今いる連中も逃げ出せたかもしれないのに」

「そしたら、狂犬カリダとか言われるんだね」

「……それは、嫌だな」

 アネッロの嘲笑が聞こえてきそうだった。カリダが心底嫌そうな声を出せば、また笑う声がした。

「タム、あのさ。変な事聞いていいかな」

「……何?」

「なんか、夜走り回ってる黒いおばけ見たって聞いたけど、本当なのか?」

 暗闇の中で、静寂がおりる。その数秒が、カリダには長く感じた。

 黒一色に染まった、部屋なのか何なのかも分からなくなるような場所。

 本当は誰もいなかったんじゃないか。そう思わせる空間を、少年の不満そうな声が破った。

「違うよ。それ誰が言ってたんだ? 人間だよ。小さい人間」

「小さい? ネズミとかウサギくらいで、大人とかいう?」

「それ、ただの化け物じゃないか。そうじゃないよ、カリダよりは大きいけど、大人よりも小さいというか」

 普通の人間か。

 アネッロから聞いていた話だと、もっと面白い何かだと思っていた。

 カリダの中で、唐突に興味が薄れていった。

 だが、これは仕事である。他に何を聞けばいいのかも忘れかけて、とりあえず低く呻くと、申し訳なさそうな声がする。

「ただの人間だったんだよ。でも足音は軽かった。痩せてるか、女なんだと思う」

「そんなやつ、山のようにいるだろ」

 自分のちっぽけな想像力を、簡単に打ち崩されて、少しきつい言い方になったカリダに、彼は萎縮したように謝った。

 そしてまた、沈黙する。

 さすがにカリダはまずいと思ったが、謝るという選択肢は毛頭なかった。

「でも、何で走ってたんだろうな」

 疑問でもなんでもなかった。

 とりあえず口からこぼれただけの言葉だったが、タムは話を出来る事が嬉しいという事を声ににじませて、食いついてきた。

「それは、分からない。ぼくのいた路地の近くを走って行ったんだけど、怖かったんだ。文句を言ってる感じで……一人にしたら、とか。消えてなくなれば、とか聞こえた」

「かかわっちゃいけないタイプだな」

「本当に、そう思うよ。その後に、あの大事件があったから。昨日のあれを聞かれてたって知られたら、ぼくは同じような目に遭わされるんじゃないかって。油断してたら、こっちに捕まっちゃった」

 最後の方は、消え入るようだった。

 いろんな所で、走っている人間を見た。と、吹聴していたようだから、身の危険をいつも以上に感じていたのだろう。捕まった方が安全かもしれない。と、少しでも思ってしまったからこそ、捕まったのだろう。

 タムは、思っていた以上におしゃべりだった。

 この施設にいても、危険は変わりないだろう。

 ただの世間話が、思ってもいない所で、告げ口になっている事もあるのかもしれない。

 周りも信用出来ないが、あきらかに告げ口したと分かれば、私刑に遭うだろう。

 それだけに、話す事が好きな人間には、非常に息苦しい場所となる。

「タム、お前さ。ここに戻ってきたかったのか?」

「それは絶対ないよ。だって、二回目になるんだから。でも、分からない。今は、外に出るのが怖い」

「そうかな。相手が人間って分かってるなら、逃げるなり反撃するなり出来るだろ。それこそ壁すり抜けてくるわけじゃないんだからさ」

「八百屋のリンゴ、ぶつけてみるとか?」

「それはもったいない。リンゴは食って、追いかけてきたやつを犯人だって言ってやればいいんだよ」

 そう言いながら、カリダも無理があるな。と感じていた。

 すぐにタムが疲れたように笑う。

「ぼくらが何を言っても。犯人じゃなくても、犯人になるのに」

「……まあな。違いない」

「それに、生きてる人間が一番怖いよ。幽霊なんてフワフワしてるだけなんだし」

「うん……うん? ってお前、幽霊見た事あるのかよ!」

 さらりと当然のように言われ、うなずきかけたカリダだったが、簡単に聞き流すには引っかかりが強過ぎた。

 だが、突然何を言い出すのか。といった調子の声が返ってくる。

「ないけど」

「じゃあフワフワしてるだけとか、分からねえじゃん」

「だって、幽霊には触れないって話だよ? だったら、向こうも何も出来ないだろうし。無害決定だよ」

「呪われるとか、そういう話だって聞くし!」

「ないって」

 堪えきれなくなったのか、きっぱりと否定してから、タムはくぐもった声で笑った。

 その笑い声に、バカにされたと感じたカリダは、大声こそ出さなかったものの怒りを声に乗せた。

「笑ってんじゃねえよ」

「ごめん。幽霊とか嫌いなら、こんな何も見えない部屋で、こんな話にしなきゃいいのに」

「き、嫌いじゃねえ!」

「いないよ、幽霊なんて。カリダだって、ずっと外で暮らしてたんだろ? 暗い夜も、道端にいて。寒さに凍える事はあっても、幽霊なんて一度も見た事なかっただろ?」

 それは確かだった。

 怖いのは、確かに生きている人間だけだった。

 浮浪児には何をしても構わない。

 上等な衣装を身につけた人間は、特にそのように考えている者が多く、たちが悪かった。

 迷惑にならない場所で、小さくなって寝ていても、蹴りつけられたり殴られたりするのだ。

 お前が悪い。お前のせいで。

 初対面だというのに、そういった暴行は後をたたない。

 今でこそ、犯罪捜査班が対応し、眼を光らせているから少なくはなったが、なくなったわけではない。

 外に出て最初に学んだ事は、人の気配を読む事だった。

 近づいてくる気配があれば、それが誰であれ逃げなくては殺されるかもしれない。

 だから、孤児達は『こんな場所』と言われるような所に入り込む。

 侵入者が分かりやすい。という事は、生きるか死ぬかの点で重要だったからだ。

「たしかに、見た事ねえな。生きてる人間の方が、はるかに汚くて怖い」

「そうだろう?」

 そしてまた、タムは楽しげに笑った。

「そういえば、走ってたやつは女だって言ったのは、声を聞いたからか?」

「え? ああ、うん。でもなんか絞り出すような声だったから、微妙なんだけどね。女だとも思うし、声の高い男だと言われたら、そうかも。とは思う」

「ふうん」

「絶対に、幽霊ではなかったよ?」

 そう言って彼が笑う声を聞いて、カリダは苦笑するしかなかった。



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