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孤児院へ

 白い建物を前にして、カリダは足が止まった。

 容赦なく手を引っ張っていく男に、軽く殺意を覚えながら、おとなしく引きずられていく。

 かなり本気で抵抗しているが、筋肉バカがここにもいた。と、カリダは蹴り飛ばしたい衝動を我慢した。

 女の方が、男を制止させて、へっぴり腰で抵抗するカリダの背中を、優しくなでる。

「もう大丈夫なのよ。カリダが院から逃げた事も聞いているけれど、外が自由だと思っていたのよね? 知らない世界は、楽しかったかもしれないけれど、女の子だもの、辛かったでしょう。もう暴力に怯える事はないのよ」

 何を知った顔をして! そう噛みついてやっても良かったが、無駄だろう。

 暴力の度合いは、どこも変わらないと思う。だが、陰湿さでいえば孤児院の方が上だった。

「あんた達は、中で仕事しないのかよ」

 思わず、そう声をかけると、二人は顔を見合わせてから笑った。

「私達は、あなた達のようなかわいそうな子供を保護するために要請されて来ているの。怖い目に合わないように。一時の事だけれど、人助けが出来るのならば、協力を惜しまないわ。子供だからこそ、酷い事をする人もいるのよ」

 女は、衣装が汚れる事も構わず、カリダと目線を合わせるため、地面に膝をついた。

 柔らかく笑い、汚れているカリダの頬を、白く細い指がなでる。

 嫌悪感に、女の手をおもわず払いのけた。

 内情を知らないとはいえ、孤児院にかかわっている人間に触られたくなどなかった。

 実際、関係ないといえば、そうなのだろうが、気遣ってやる余裕など皆無だった。

「気にしないで? でも、分かって欲しいの。あなた達を助けたいだけだって事を」

「そうだ。暴力男じゃない、立派で優しい里親が、きっとみつかるさ」

 毒に侵されていない顔で、二人は笑う。

 空いている方の手でカリダの頭をなでようとして、男はやめた。

 幼い子供にあるまじき、ぞっとするような眼を向けられていたからだ。

「とにかく。あなたは孤児院で守られる事になります」

 女が立ち上がり、優しく言葉をかける。

 男が先に門をくぐると、カリダは見えない壁の中へと引きずり込まれる気持ちだった。

 ――仕方がない。忘れちゃダメだ。これは、仕事なんだから。

 ただ一歩踏み込んだだけだった。

 門の両側には、小さな花壇が作られていて、黄色の小さな花が咲き乱れている。塀に沿った奥を見れば、菜園が広がり、緑や土のにおいに囲まれていた。

 穏やかに見える場所を歩いているだけなのに、まるで水の中を行くように息苦しい。カリダは逃げ出したい気持ちを必死で抑え込む。

 庭を抜け、扉を開くと、男が声をあげた。

「シーフェ院長、おられますか」

 しばらく待っていると、同じように白い装束を身につけた若い女三人、ゆっくりと現れた。

「長く行方をくらませていたカリダを、保護致しました」

「そう。いつもありがとうございます」

 後ろに二人を控えさせ、院長と呼ばれた女、シーフェが艶っぽく微笑むと、男は少しばかり顔を赤くする。

 何かをごまかすように咳払いをして、カリダの背を押し出せば、シーフェは一瞬、見下すような眼をカリダに向ける。

 だが、すぐに柔らかい笑みを浮かべ、両手を前で組んだ。

「カリダ、外は大変だったでしょう。すぐに夕食の準備をいたしますから、水浴びをしていらっしゃい」

 カリダに声をかけると、シーフェの後ろにいた二人の女性が前に出た。カリダの腕を取り、狭い廊下を引きずっていく。

 振り払いたい気持ちを、眼を閉じる事でごまかしながら、抵抗だけはしなかった。

 彼らの声が聞こえなくなってから、カリダの左腕をつかんでいる女が低い声を出した。

「逃げ出すから、そんな目に遭うのです。これから瞑想部屋で、自らの罪を悔い改めなさい」

 その言葉に、カリダが体を固くすれば、右腕をつかんでいるもう一人が低く笑った。

「一晩中、あなたの行いを省みるのですよ」

 食事は、なし。という事だ。こんな事は、何度もあった。

 院長や、世話役である女達の虫の居所が悪いと、食事がなくなる事はおろか、目についた子供を瞑想部屋で鞭打ちするのだ。

 領主が行う、定期的な『抜き打ち捜査』がある時だけは、違和感しかない穏やかな雰囲気が広がり、味のある温かい食事が出るのだ。

 調べに入る騎士に対して、子供達は誰も告げ口が出来なかった。

 世話役の眼もあったが、自分以外の子供が信用出来なかったからだ。誰が裏切るか分からない。そんな状態が、作られていた。

 薄暗い通路の突き当たりに、扉がある。

 彼女達は目配せをすると、右側にいた女がカリダの右腕をつかんだまま、左手を小さな肩に回した。

 左にいた女が、その扉の鍵を取り出し、立て付けの悪い扉を開けると、真っ暗な部屋の中から小さく息を呑む音が聞こえる。

 女に突き飛ばされた。一瞬の出来事だったが、床に転がれば相手を喜ばせる。そんな事にはさせない。頭の中で、そう誰かが叫んだ気がした。

 勢いに逆らわず、倒れこむ前に片手をついて猫のようにしなやかに体を反転させた。

 薄暗いとはいえ、蝋燭の明かりが入ってくる入り口に顔を向けると、彼女達の表情は陰になって見えはしなかったが、派手に音を立てて閉まる扉の音に、完全に暗闇になった部屋の中で、カリダは女がしたように低い声で笑った。

 自分の手の平すら見えないその勝手知ったる部屋で、カリダはやっと肩を持ち上げるようにして息を吸い、ゆっくりと吐き出した。

 ただ暗いだけの、何もない部屋だ。

 だが、先客がいる事は間違いない。気配のする右手側に顔だけを向け、小さく声をかけてみる。

「あんたも、捕まった口か?」

 いるはずの場所から、短く息を吸い込む音がした。

 正面が扉であるのは、経験上よろしくない。二歩、左に動くと、さきほど声をかけられた人物はびくつくような衣擦れの音をたてた。

「何もしねえよ、安心しな」

 音がしなくなったが、おそらく息を殺してカリダがいたはずの場所を見えないながらも見ているのだろう。

 よいしょ。と声を出しながら床に座ると、カリダは見えない天井を見上げた。

「お前、いつからここにいるんだよ」

「……今日の昼」

 まだ声変わりもしていない可愛らしい声だったが、少年のものだと思う。

「他に誰かいるか?」

「……いないよ。いたけど、出てった」

「そっか」

 いないだろうとは思った。人の気配は、一つだけだったからだ。

 アネッロの話と一致するのであれば、震える声の少年がタムであるだろう。

 だが、下手に何かを聞いて、タムではなかった場合、何かを探りにきたと世話役に告げ口されるだろう。

 そんな事を言われたら、鞭打ちではすまないかもしれない。

「鞭で、打たれたか?」

「ううん、まだ」

「そっか」

 孤児院にいた頃も、外に出た時も、きちんと人と対話してこなかったせいで、話のきっかけをつかむ事が出来ない。

 突然、自分の名前を言ったら警戒されるだろうか。相手は、まだと言った。

 という事は、以前も孤児院にいた事があるのだろう。

「……ぼくは、タム」

 突然の自己紹介に、カリダは思わず口をつぐんだ。

 沈黙がおり、しばらくすると暗闇の中で少年は笑った。

「ごめんね、わなじゃないよ。脱走して捕まったのが二回目なんだ。ひょっとしたら、ぼく……殺されるかもしれないから」

 たしかにそんな噂はあった。脱走させないための嘘だろうとは思っていたが、この孤児院に限って言えば、真実味がある。

「忘れちゃうかもしれないけど、誰かに名前だけでも覚えていて欲しいと思って」

「……覚えとくよ。おれは、カリダって言うんだ。タムの事を覚えとくから、おれの名前も忘れないでくれよ」

 そうカリダが声をかけると、タムは弱々しく笑った。



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