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混乱

 ジュダス商会の出入り口である大扉を開けると、住居に繋がる扉の向こうから金切り声が聞こえた。続いて、床を打つ鋭い音。

 事務所へ続く階段には向かわず、そのまま小さな扉の鍵を開け、細い通路を進む。

 抜けた先に広がる光景は、険悪なものだった。

 険悪といっても、机を挟んでアネッロとカリダが対峙しており、モネータから見えるのはカリダの怒りを隠そうともしない顔だけだった。

 こちらに背を向けているアネッロに、声をかけた。

「アネッロ様、どうされました」

「どうかされそうなのは、おれの方だっつうの!」

「何か、あったのですか」

 怪訝な顔でカリダを見れば、彼女は顔を真っ赤にして眉を吊り上げている。

 モネータが、今にも地団駄を踏みそうな彼女から眼を外すと、アネッロは短鞭をベルトに挿した所だった。

 モネータは、何気なく眼を右方へと向けると、そこに惨状を見た。

 陶器で出来た洗い場は、無残にも砕け、黒いすすがそこかしこに飛び散っている。

 そして、近くにあるストーブがなぜか斜めに傾き、上に伸びている金属のパイプがへし折れていた。

 アネッロが鞭まで出していたからには、カリダの仕業には違いないのだろう。

 出て行く前、確かカリダはフライパンを磨こうとしていたはずだ。

 焦げ付いたフライパンを綺麗にするだけの事で、どうしてここまで――と、頭を抱えたくなるほどの惨状に、モネータは口を固く結ぶ事しか出来なかった。

「野犬をしつけるのは、骨が折れますね」

「ちょっと失敗しただけじゃねえか!」

 小さな両手が、机を叩く。迫力のないその音に、アネッロが片手で机を叩き、それを上回る音を立てた。

「脅したいのならば、音の出し方も勉強した方が良さそうですよ」

「脅したいわけじゃねえよ! 脅かしたいとは思ったけど!」

「同じ事ですね」

「違うだろ! 脅かしたいってのは、少しくらいびっくりさせる事が出来たら、少しくらい気が晴れるのにって事だろ!」

 両手で何度も机を叩くが、さきほどアネッロが鳴らしたほどの音は出ない。

 いってえな! と毒づいて、カリダが年の割に様になっている舌打ちをした。

「カリダ。舌打ちは見苦しく、品性の欠片もありませんから、やめた方がいいですよ」

 眉根を寄せて言葉を挟んだモネータに、カリダは矛先を彼に向けた。

「いいんだよ! 品性なんて、元々ねえんだから」

「違います。カリダはただ習う機会がなかっただけで、品性は誰にでも備わっているものです」

 モネータが彼らの間に入るように、机の空いた一辺まで進み出ると、カリダは嫌そうな顔をして、彼が来た方向とは逆の机の角まで身を引いた。

 アネッロは口の端を持ち上げて、続きを見守る。

「お前、そこからこっちに来るんじゃねえぞ」

「言葉遣いも、態度も。今はとても淑女とは言えませんが、作法を知らないのであれば私でもアネッロ様でも聞けばいいのです」

「……淑女とか、どうでもいいんだけど」

「私達は、カリダが教えて欲しいと願えば、いつでも手を差し伸べますから」

 真摯な青い眼差しに、カリダは顔を引きつらせた。

 今まで言い合っていたアネッロに顔を向ければ、彼は小さく笑った。

「カリダ。お前は言葉遣いから直した方が良さそうですね」

「は?」

 あんぐりと口を開けたままのカリダは無視をして、アネッロは意欲を燃やしているモネータに声をかけた。

「取調べで、容疑は晴れなかったでしょう」

「はい、申し訳ありません」

 どうして知っているのかは聞かなかった。思い出したようにアネッロを見て、苦虫を噛んだ顔をする。

「お前が見た中で、不審に思うような事はありましたか?」

「被害者は、花屋のダニーさんでした。下着一枚の姿で仰向けに倒れていて、首に細い跡があり、指が一本切り落とされていました。服や靴、なくなっていた指は軽く見たくらいですが、見当たりませんでした」

「下着一枚って、逃げた先で何があったんだか」

 怖い怖いとカリダが呟けば、モネータは少し複雑な顔をした。

「……それが、南から出て行ったはずのダニーさんは、北西の城壁の内側に倒れていたのです」

「なんだそれ、変なの。忘れもんでもしたのか? あの状況で?」

 目の前の机に手をつき、身を乗り出すように口を挟むカリダ。

 青い瞳を彼女に向けると、それを非難されたと感じたのか、彼女は黙って唇を尖らせた。

「なるほど。それでダニーの目はどうでしたか」

「……目?」

 思い出すように眼を細め、少しして口を開いた。

「目は閉じられていて、特におかしな点は見受けられませんでした」

「そうですか。それとモネータ、集金はしていませんね」

「はい。犯罪者の汚名を着せられた状態で、取引先へ伺うわけにもいかないので」

「お前の事です。そうではないかと思いましたよ」

 アネッロが右手を彼に向けると、モネータは皮袋と書類を手渡した。

 そして、アネッロは口の端を持ち上げて笑った。

「こちらは私が集めてきましょう。モネータ、ノイルの工房で洗い場の器を買って来て下さい。あとは鍛冶屋を呼び、それからカリダに言葉遣いを教え込んでおいて下さい」

 カリダの開いた口が、さらに大きく開き、目も見開かれる。

 頼みましたよ。と、にこやかに言われたモネータも、少し驚いた顔を見せたが、すぐに真剣な顔で頷いた。

「嫌だね! おい、あんたも断れよ!」

「いえ、アネッロ様が信頼して任せてくれた仕事ですから。すぐに戻って来ます、座って待っていて下さい」

 カリダは、簡素な木の机を引っくり返そうと手をかけたが、男二人に机を抑えられた。

 双方とも片手であった事に、少女は今度こそ地団駄を踏んで怒りを表すしかない。

「カリダ。お前がしでかした事の大きさは、分かりますね」

「……分かってるよ。だけど、あんな割れやすい場所でフライパン洗ったら、普通ああなるだろ? 壊すなって方が無理があるって言ってるんだ」

「それはカリダだけの考えだろう。この家のルールは、私ですよ」

 魚のように口をぱくつかせる彼女に笑顔を見せながら、アネッロは机から手を離したモネータに声をかけた。

「ああ、モネータ。いいですか、カリダが聞き分けのない事を言った時は、抱きしめてやりなさい」

 人間、驚くと口が開いたままになるのだな。という見本のように、二人は同じ顔をしてアネッロを見ていた。

 楽しげに声を上げて笑うと、アネッロは大扉の方に続く通路を抜け、小さな扉をくぐり、その扉を閉める時にやっとカリダの金切り声が響き渡る。

「お前! 今のは絶対に断る所だろっ! でかい図体してるくせに、何をぼんやりしてんだよ!」

「す、すみません。ですが、その……抱きしめる事が有効であるならば、そうした方が……」

「バカか! ボスの言った事をなんでも鵜呑みにしてんじゃねえよ!」

 ヒステリックになっていく声を聞いて、アネッロはまた小さく笑った。



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