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若き領主

 砂埃舞う中、雑踏に紛れながらアネッロは、領主の館とは逆の方へと足を向けた。

 馬車を使わず、徒歩で進む彼に声をかけてくる者はいない。

 目をつけられたくない店主達は、先回りをして息を殺しているようだったが、アネッロは軽い見回りをしながら、適当に鋭い眼を向けては通り過ぎていく。

 怒りは、視野を狭める。どれだけ腹立たしく思っていても、どこかで感情をコントロールしている自分がいた。

 深く呼吸をしながら、いつもと何も変わらない雰囲気を装いながら、普段以上に周囲へと気を配る。

 片付けの始まった市を抜け、町外れにある急坂にさしかかると、右の森に足を踏み入れた。後をつけて来る者の気配は感じられない。そのまま道なき道をだいぶ進んだ先で、館の横手に出た。

 表から見るとただの塀にしか見えないが、隠れた位置にある小さな裏戸に、数ある鍵の束から簡素な鍵を取り出し、差込み回す。

 静かで物音一つしない裏庭を抜け、通用口から館内に侵入した。

 身を潜め、通りがかった侍女達の話から、領主は執務室にいると推測し、侍従用の裏通路に注意しながら、誰にも見つかる事なく目的の部屋にたどり着いた。

 三度、扉を叩けば柔らかい声で入れと促される。

「ああ、やっぱり来たか」

 アネッロの姿を認めた赤髪の青年が、楽しげに笑った。

 ライアンはアネッロと同年齢ではあるが、童顔で可愛らしい面持ちをしているせいか、屈託のない人間で、何も出来ない男だとみくびられがちだ。

 しかしその実、聡明で鋭い洞察力、行動力もある事から、町は今まで以上に発展を遂げている。常に厳しく、役人の不正は決して許す事はない。その為、煙たがられる事もしばしばであった。

 だが、幼少の頃からの付き合いであるアネッロの前では、別人だった。

 後ろ手に扉を閉め、硬い顔を崩さないアネッロに、いたずらがばれたという顔でライアンは手にしていた書類を机に置く。

「遅かったな。もう少し早く来ると思っていたが」

「それで護衛もいなかったか。だからお前は、悪趣味だと言われるのだ」

 呻くように声を出したアネッロに、またライアンが笑った。

「そう言うな、侵入は楽だったろう? それに、君が懇意にしているお嬢さんが、どんな人物か。興味あっただけだ。君から奪おうなどと思うわけがない」

「そうだろうとは思ったが、そのせいで彼女は心を痛めている。彼女の立場が微妙だと分かっているはずだ」

「何を言うか。嫁にとるわけでもなし」

「未婚の領主から娘と話をしたいなどと言えば、期待がかかるに決まっているだろう! あそこの当主は、娘が選ばれたと大喜びだ」

「くだらんな。安心しろ、モント家当主には肩透かしを食わせてやるさ」

 第一な。と言葉を区切り、じろりとアネッロを見やった。

「君が彼女を紹介してくれさえすれば、問題は起こらなかったのだ」

「私のせいにするのか。そもそも……彼女に説明しようがないだろう」

「簡単じゃないか。私の元で裏の仕事をしていると言えば」

「言えるわけがない! 彼女に火の粉が降りかかったらどうする!」

 声を荒げるアネッロを楽しげにながめながら、ライアンは両肘を机につき、顔の前で手を組む。

「幼少の頃よりの親友。で、どこか問題が?」

 たたみかけて文句を言おうと開けた口が、ゆっくりと閉じられるのを、ライアンは見た。

 くつくつと笑う彼に、アネッロはからかわれた事に気づき、苦虫を噛みつぶした顔をする。

「君が分別なく声を荒げるのを見るのは、面白いな」

「……お前の趣味に、彼女を晒したくないから連れてこないのだ」

「そう言うな。女性の前では、これでも紳士なのだぞ」

「紳士だと? 聞いて呆れる。私と繫がりがある事は、黙っていろよ」

「私に命令か?」

 髪と同じ色をした赤い眼を細め、つるりとしたあごをなでる。

 アネッロは、さも当然とうなずいて見せた。

「ああ、そうだ」

「親友説も駄目か」

「駄目だ」

 表情を崩さないアネッロに、また楽しそうにライアンが笑う。

「私に向かって、平気な顔で命令してくるのは、お前と侍従長くらいだよ。まったく面白い」

「遠回しに嫌がらせするような暇人に、それくらいして何が悪い」

 小さく肩をすくめ、ライアンは引き出しから二つ折りにした紙を取り出した。

 机の上を滑らせると、アネッロはそれを取り上げる。中を確かめるとアネッロの眼が細められた。

 机の燭台に灯った蝋燭の火に、紙をあぶる。ゆっくりと燃え広がる火を、男二人が無言で見守った。

 小さくなってから、横にある皿に置けば、そのまま黒い灰だけが残る。

 ライアンはそれを見つめながら、口を開いた。

「おかしな世の中だな」

「世の中など、いつもおかしな連中で溢れているものだ」

 アネッロが何でもない事のように返せば、若き領主は大きく息を吐き出した。

「しかしな。まだ小さいが、おかしな現象が起きている事は確かなのだ」

「現象が起こるからには、それに手を貸している者が必ずいる。魔法などという夢物語を現実で真剣に語る奴は、考える事を放棄しているだけだ」

「だが実害が出てからでは遅い。警邏の数を増やし、私兵も動かしているのだが。罪を犯したわけでもないしな。魔女狩りなどという事はしたくない」

「魔女狩りか。くだらんな」

「確かにくだらぬ」

 アネッロが呆れた眼を向ければ、ライアンは軽やかに笑った。

「まあ、君も十分気を配っておいてくれ」

「頭の片隅には置いておこう」

 ライアンはうなずき、机に置いた書類に眼を落とし、退がれと言う。

 だがアネッロは退かなかった。笑顔を作り、左手で机を叩く。

 面倒くさそうに顔を上げたライアンは、彼の表情を見て唸るように声を出した。

「……なんだ」

「自分の用だけ済まそうだなんて思うなよ。私の方からの提案はどうなっている」

「街道を整備しろというあれか。まだ無理だ、予算が足りん」

「市を出しても、砂埃で商品が悪く見える。売れなければ収益もあがらないだろう。町が衰退してもいいのか、早めに対処してくれ」

 町の事を持ち出され、ライアンは渋い顔をする。

 たしかに、海から王城へと向かう途中にある町であるため、いち早く珍しい商品を売り出す事が出来る。王城から山を越えてくる者達からも、流行の品が流れてくるため、貴族達がお忍びでやってくる事が多く、小さな町は潤っていた。

「言っただろう。今はまだ無理だ」

「貸そうか」

 アネッロがしれっとした顔で言えば、ライアンは明るい声で笑った。

「馬鹿を言うな。君の資金がどこから出ているのか、分かっているだろう」

「私が稼いだ分は、どこに消える? 赤字にしたためしはないがね」

「……考えておくが、期待はするな」

 呻いた領主に、アネッロは鼻を鳴らした。

「近々、大口の取引がある。それで少しでも進めてくれ」

「わかったわかった」

 追い払うように手を振られ、アネッロは執務室を後にした。

 森を抜け、街道に出れば、ゆったりと歩き出す。市が終わり、広場には人が集まりくつろいで談笑している。その中を通り抜けている時、アネッロは誰かに見られている気配を感じた。

 気づかないふりをして、近くの店で野菜を手に取る。店主が慌てて出てくると、普段と変わらない笑顔で現況を聞き、適当に購入する。

 紙袋を手に店を離れても、見られているという感覚がまとわりついていた。殺気は感じられない。

 だいぶ減った人通りの中。前方からガトが手をあげ、声をかけてくると、その気配は消えた。

「話はついたのか?」

「円満にまとまりましたよ」

 その言葉遣いに、ガトが明るい表情を崩す事なく、声を低くした。

 丁寧な言葉は、仕事用だと分かっているからだ。

「……なんか、あったのか?」

「ネズミ捕りが必要になりました」

「じゃあ、猫でもとっ捕まえてくるか?」

「では、よろしく頼みましたよ」

 軽く肩を叩かれて、ガトは眼と口を大きく開いた。

「は?」

 ゆったりと歩き出したアネッロを追って振り返れば、彼の左手には集金袋が握られていた。

 慌てて右腰に手を当て、やられたと呟いて苦笑する。肩に残る小さな痛みに、冗談で始めた会話が現実になった事を悟る。

「うわ、余計な事言っちまったよ」

 短髪を大きく掻き、ため息を吐きながら首を回した。

 これで本当に猫を連れ帰ったら、叩きのめされるんだろうな。と、もう一度大きく息を吐き、アネッロが去った方向とは逆の方へと長い足を伸ばした。



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