婚約破棄された地味令嬢は『月光のショコラティエ』でした~退屈と言われたので、もうあなたにショコラは作りません~
【お知らせ】
この作品は生成aiを用いて執筆を行なっています
あらかじめご了承の上、お楽しみください
「君との婚約は今夜限りで解消する。僕にはもう、心に決めた人がいるんだ」
王宮の月見の夜会。
満月が青白い光を惜しみなく降り注ぐ中庭で、クロード王太子は高らかにそう宣言した。
周囲の貴族たちがざわめく。グラスを落とす音。扇で口元を隠す淑女たち。そして——私、ルナ・セレスティーヌに向けられる無数の同情と好奇の視線。
(ああ、とうとうこの日が来たのね)
驚くべきことに、私の心は凪いでいた。五年間尽くした婚約者からの公開処刑にしては、随分と穏やかな心地だ。
「クロード様、私がお作りした特製のショコラ、とっても喜んでくださったでしょう?」
蜂蜜色の巻き毛を揺らしながら、私の隣——いえ、今やクロードの隣に収まったショコラが、勝ち誇った笑みを浮かべる。
私の従姉妹、ショコラ・ヴァレンティーヌ。社交界の華と称される彼女は、琥珀色の瞳を細めて私を見下ろした。
「ルナ様には申し訳ないけれど……愛には勝てませんの。ごめんなさいね?」
ごめんなさい、と言いながら一切謝罪の色がない。むしろ、長年の溜飲を下げたような恍惚すら滲んでいる。
(あなたが作った、ねえ)
私は内心で小さく笑った。
「地味で愛想のない女より、僕にはショコラのような華やかで甘い存在がふさわしい」
クロードが金髪をかき上げながら言い放つ。碧眼には確信に満ちた光。自分が正しい選択をしていると、微塵も疑っていない顔だった。
「ルナ、君は悪い女性ではない。ただ……退屈なんだ。いつも地味な装い、愛想笑いすらしない。王太子妃たるもの、もっと華やかでなければ」
(五年間、あなたのために影で奔走したことは記憶にないようね)
予算調整に頭を悩ませた夜も。彼の失言を取り繕うため貴族たちに根回しした日々も。彼の好みを把握し、食事から衣服まで気を配り続けた時間も。
全ては「退屈」のひと言で片付けられるらしい。
「……そう」
私は静かに答えた。
「お気持ちは理解いたしました、殿下」
「えっ」
「それだけ?」
クロードとショコラが、同時に間の抜けた声を上げる。
何を期待していたのかしら。泣き崩れて縋りつく私?「やめてください」と懇願する姿?
残念ながら、そのような見世物を提供するつもりはない。
「五年間、ありがとうございました。殿下にはどうぞお幸せに」
私は淡々と頭を下げた。それだけだ。本当に、それだけ。
ざわめきが一層大きくなる。
「ちょ、ちょっと待ちなさい!」
ショコラが声を荒げた。予想外の展開に、あの完璧な笑顔が崩れている。
「何よその態度! 五年も婚約していた相手にそれだけ? 悔しくないの? 泣かないの?」
(泣いてほしいの? 縋りついてほしいの?)
憐れなほど分かりやすい。彼女は「完璧な勝利」を欲しがっている。私が打ちひしがれ、惨めに泣き崩れる姿を見せなければ、勝利の味が薄れるのだろう。
「ショコラ」
私は従姉妹の名を呼んだ。
「あなたに一つ、お伝えしておくことがありますわ」
「な、何よ」
「もう、あなたにショコラを分けてあげる義理はありませんわね」
瞬間、ショコラの顔から血の気が引いた。
「な……っ」
「え? どういうことだ?」
クロードが眉を寄せる。当然、彼は知らない。知るはずがない。
「殿下」
私は穏やかに微笑んだ。五年間、一度も見せたことのない笑みだったかもしれない。
「ショコラが『自作』と称してお贈りしていた絶品ショコラ。あれは全て、私が作ったものですわ」
「……は?」
「何を言って……! 嘘よ! 負け惜しみも大概にしなさい!」
ショコラが金切り声を上げる。しかし、その声には明らかな動揺が滲んでいた。
「では、来月の殿下の誕生日には、ぜひショコラの手作りを楽しみにしていてくださいませ」
私は深々とお辞儀をした。
「私からは以上です。皆様、良い夜会を」
踵を返す。背後から「待ちなさい」「ルナ!」と声が飛んだが、振り返る義理はない。
月明かりが私の銀灰色の髪を照らす。淡い紫の瞳に、今夜の満月が映り込んだ。
(五年間、お疲れ様。私)
ようやく、長い呪縛が解けた気がした。
中庭を抜け、人気のない回廊に出たところで——
「見事な幕引きでしたね、月光のショコラティエ」
低く、どこか甘さを含んだ声が降ってきた。
私は足を止めた。
月光に照らされた柱の影から現れたのは、銀髪に深い藍色の瞳を持つ青年。神秘的な美貌は、まるで月神が人の姿を借りたかのよう。
隣国ルナリア王国の若き国王——アルテミス・ノクターン・ヴァン・ルナリア。
「……いつからいらしたのかしら」
「最初から」
恥じる様子もなく、彼は言った。
「五年間、君を探していた」
藍色の瞳が、真っ直ぐに私を捉える。
「ようやく見つけた。——月の女神よ、どうか我が国へ来てはくれないか」
月光が二人の間に降り注ぐ。
私の新しい物語が、今夜始まろうとしていた。
◇ ◇ ◇
「我が国へ来てはくれないか」
アルテミス国王の言葉が、夜気の中に溶けていく。
(……正気かしら、この方)
私は内心で絶句した。いくら隣国の王とはいえ、初対面の相手に開口一番「国へ来い」とは。外交的にも、常識的にも、あまりに突飛すぎる。
「突然のお申し出に驚いております、陛下」
「アルテミスでいい」
「それは流石に——」
「いずれ、そう呼ぶことになる」
(……この人、会話のキャッチボールができないタイプ?)
銀髪の国王は、感情の読めない美貌で私を見下ろしている。「銀月の君主」の異名に違わぬ神秘的な佇まいだが、発言内容はかなり強引だ。
「陛下。私が『月光のショコラティエ』だという確証は」
「ある」
即答だった。
「三年前、ある商人から月光のショコラを購入した。一口で確信した——これは、尋常な技術ではないと」
藍色の瞳が、わずかに熱を帯びる。
「月の魔力を菓子に封じ込める技法。それは我がルナリア王家が千年かけて追い求め、ついに見出せなかった秘術だ」
(月の魔力、か)
確かに、私の魔法は特殊だ。月明かりの下でのみ発動する「月光魔法」。希少すぎて、学術的な研究すらほとんど進んでいない。
祖母から受け継いだこの力を、私はショコラ作りに注いできた。
「以来、我が国の諜報網を総動員して探し続けた」
アルテミス国王が一歩近づく。月光を背負うその姿は、まるで夜そのものが人の形を取ったかのよう。
「君のショコラを食べた夜は、月が二つあるかのように明るく感じた」
(……それ、口説き文句のつもりかしら)
詩的なのか天然なのか判別がつかない。
「お褒めいただき光栄です。ですが、陛下のご提案をすぐに受け入れることは——」
「ルナ」
凛とした声が私の名を呼んだ。
振り返ると、そこには母——ステラ・セレスティーヌの姿があった。銀髪を優雅に結い上げた母は、穏やかな紫の瞳で私を見つめている。
「お母様……」
「見ていましたよ。先程の、立派でしたね」
母は静かに微笑むと、私の傍らに立った。そして、アルテミス国王に向かって優雅に一礼する。
「ルナリア国王陛下。娘がお世話になっているようで」
「……世話には、まだなっていない」
「あら、三年も探し続けてくださったとか。それは十分『お世話』ではなくて?」
母の穏やかな声には、しかし鋼のような芯がある。
「娘を攫おうというのであれば、まずこの母を説得していただかなければ」
「攫うとは言っていない。正式に求婚するつもりだ」
「あらあら、まあまあ」
母が扇で口元を隠した。しかし、その目は笑っていない。
「陛下。娘を泣かせたら月が落ちても追いかけますわよ?」
「……覚えておく」
アルテミス国王が、わずかに表情を引き締めた。どうやら母の威圧は、一国の王相手にも有効らしい。
「話は変わりますが、陛下」
母が話題を転じた。
「先程の騒ぎ、おそらく後始末が必要になりますわね」
「ああ」
アルテミス国王が頷く。
「クロード王太子は、自分が何を手放したか理解していない」
「ええ。そしてショコラは——」
母の言葉を遮るように、遠くで悲鳴が上がった。
「来月には証明されるでしょう」
「証明?」
私が問うと、母は優しく微笑んだ。
「あなたがショコラを作らなくなれば、あの子は何も作れなくなる。自分の化けの皮が剥がれるのは、時間の問題よ」
それは、私も分かっていたことだった。ショコラには、菓子作りの才能がない。彼女が王太子に献上していた「傑作」は、全て私が密かに作り、従姉妹に譲っていたものだ。
(なぜ、そんなことをしていたのか)
理由は単純だ。騒ぎを起こしたくなかった。幼い頃から才能を妬まれ、何度も陥れられそうになった。だから、表舞台を従姉妹に譲ることで、平穏を買っていた。
でも、もう。
「お母様。私、決めました」
「あら、何を?」
「もう、誰かの影には隠れません」
母の瞳が、一瞬潤んだように見えた。
「よく言いましたね、ルナ」
「月光のショコラティエは、私です。それを、正式に名乗ります」
月明かりが、決意を固めた私を照らす。
アルテミス国王が、初めて表情を緩めた。それは——笑みと呼ぶには淡いが、確かな喜びを宿していた。
「ならば、俺は君を支えよう」
「陛下——」
「正式な求婚は、君が名乗りを上げた後にする。その方が、君の価値を世界が正しく知った上で選べるだろう」
(……思ったより、紳士的な人なのかもしれない)
強引な第一印象が、少しだけ修正された。
「ところで」
アルテミス国王が、ふと視線を逸らした。
「……その、今夜、月が綺麗だから……もし、よければ……」
「?」
「その……ショコラを、一つ……」
(あ)
銀月の君主の耳が、かすかに赤く染まっている。
(この人、甘いもの好きなのね)
思わず、小さな笑みがこぼれた。
◇ ◇ ◇
「師匠、お帰りなさい」
王宮を後にし、馬車で街外れの工房に戻ると、漆黒の髪をした青年が出迎えてくれた。ノワール。私の弟子であり、護衛でもある。
「夜会は……」
「終わったわ。いろいろな意味で」
「そうですか」
無表情のまま、ノワールは私のショールを受け取った。
「では、作業を」
「ええ。今夜は満月ですもの。作らなければ」
工房の扉を開けると、月光が降り注ぐ空間が広がった。天窓から満月の光が差し込み、銀色の調理台を照らしている。
ここが、「月光のショコラティエ」の聖域。月明かりの下でのみ開かれる、幻の工房。
「あの」
ノワールが珍しく口を開いた。
「何?」
「アルテミス陛下が……その、工房を見たいと……」
振り返ると、銀髪の国王がノワールの背後に立っていた。
「……いつの間に」
「門から」
「ノワール、なぜ入れたの」
「……元主です」
ああ、そういえばそうだった。ノワールは元々アルテミス国王の密偵だ。この工房を探す任務中に私と出会い、弟子入りを志願してきたのだが——主従関係の名残は消えていないらしい。
「陛下、ここは——」
「作業の邪魔はしない。見ているだけだ」
アルテミス国王の藍色の瞳が、工房を見回す。月光に照らされた銀の器具、整然と並ぶカカオ豆、瓶詰めの香料。
その視線が、どこか子供のように輝いていることに気づいた。
(……本当に、お好きなのね)
仕方がない。今夜は特別に見学を許すことにしよう。
「ノワール、カカオを」
「はい」
私はエプロンを身につけ、作業台に向かった。
月光魔法は、私の意思と月の満ち欠けに呼応する。満月の夜は、最も力が強くなる時。
選び抜いたカカオ豆を手に取り、静かに集中する。
——月よ、力を貸して。
銀色の光が、私の指先から溢れ出す。カカオに魔力が染み込み、淡く発光し始める。
「……美しい」
アルテミス国王の呟きが聞こえた。
焙煎、粉砕、練り上げ。工程を進めるごとに、月の香りが濃くなっていく。甘く、どこか切ない、夜だけの香り。
「師匠の手際は、何度見ても」
「惚れ惚れする」
ノワールの言葉に、アルテミス国王が続いた。二人が顔を見合わせる。
(何その連携)
気にせず作業を続ける。テンパリングを終え、型に流し込む。月光が液体のショコラに映り込み、銀色の波紋を描く。
「——できたわ」
冷やし固める時間を待つ間、私は型を月光の下に置いた。
この工程が、月光のショコラを特別なものにする。月の魔力を吸い込んだショコラは、他のどんな菓子とも違う風味を持つ。
「先程、王太子が」
ノワールが報告を始めた。
「何か?」
「従姉妹殿に、来月の誕生日のショコラを所望されたようです」
「あら」
予想通りだ。クロードは、ショコラの「手作り」が本物だと信じている。来月になれば、彼女が何も作れないことが露見する。
「ショコラ殿は、かなり狼狽していたとか」
「そうでしょうね」
私は淡々と答えた。
「従姉妹殿は」
ノワールが続けた。
「以前、この工房に忍び込もうとしたことがあります」
「知っているわ。あなたが追い返してくれたでしょう」
「はい」
アルテミス国王が眉を寄せた。
「忍び込む? 何故」
「レシピを盗むため。あるいは、私の存在を消すため——」
言葉を切った。今更、過去の被害を並べ立てても仕方がない。
「陛下」
私は話題を変えた。
「お約束の品ができました」
型から外した月光のショコラを、銀の皿に乗せる。淡く発光するそれを、アルテミス国王に差し出した。
「……いいのか」
「今夜のお礼です。王太子に婚約破棄を宣告されて、孤立無援だと思っていましたから」
銀髪の国王は、静かにショコラを受け取った。
そして——ひと口、口に含む。
瞬間、あの冷徹な美貌が、蕩けるように緩んだ。
「……っ」
藍色の瞳が潤み、頬が微かに紅潮する。威厳ある「銀月の君主」の面影は、どこにもない。
(あら)
思わず、私は口元を押さえた。
(可愛い……かも)
「美味い」
アルテミス国王が、噛みしめるように言った。
「月の光が、舌の上で溶けていく。まるで——夜空を飲み込んだようだ」
「お気に召したなら、何よりです」
「ああ。やはり、君を手放すわけにはいかない」
「それは、私のショコラが目当てですか?」
意地悪く問いかけると、アルテミス国王は真剣な顔で首を振った。
「違う」
「では?」
「君が、目当てだ。ショコラは——副産物に過ぎない」
(……口説き文句、下手すぎない?)
副産物って。もう少し言い方があるでしょうに。
でも、不思議と嫌な気分ではなかった。むしろ、この不器用さが——少しだけ、心地よい。
「陛下」
「何だ」
「もう一つ、差し上げましょうか」
「……いいのか」
藍色の瞳が、期待に輝く。子供のような純粋さに、思わず笑みが溢れた。
「ええ。今夜は特別ですから」
月光の下、新しいショコラを差し出す。
私の新しい人生は——甘く、静かに、始まったばかりだ。
◇ ◇ ◇
一ヶ月が経った。
クロード王太子の誕生祝賀会。王宮の大広間は、色とりどりの貴族たちで溢れ返っている。
私は招待されていない。当然だ。婚約破棄した相手を呼ぶ理由がない。
しかし——
「ルナ様、よろしいのですか」
私の傍らで、母が囁く。
「何がでしょう」
「観覧席にいらしても」
「見届けたいのです、お母様。五年間の決着を」
大広間を見下ろすバルコニー。貴婦人用の観覧席から、私は静かに下を見守っていた。
そして、隣には——
「俺も見届けよう」
アルテミス国王が、腕を組んで立っている。
(なぜ、あなたがここに)
問いかける前に、広間が静まり返った。
「殿下、お誕生日おめでとうございます!」
ショコラの声が響く。蜂蜜色の巻き毛を揺らし、彼女は銀の盆を掲げていた。
「これが、私が心を込めてお作りした特製ショコラですわ!」
自信に満ちた笑顔。しかし、私には分かる。あの目の奥にある、追い詰められた獣のような焦り。
クロード王太子が、期待に目を輝かせた。
「ああ、ショコラ。待ちわびていたよ。君の作るショコラは格別だからね」
「ええ、もちろんですわ! 今日は特別に、殿下のために——」
銀の盆の蓋が開かれる。
中に入っていたのは——
「……何だ、これは」
クロードの声が、凍りついた。
盆の上には、歪な形の茶色い塊。表面はひび割れ、白い粉を吹いている。ブルームと呼ばれる現象だ。温度管理に失敗した証拠。
「い、いえ、これは……!」
ショコラの顔が青ざめる。
「これが、君の手作り?」
「違うんです、殿下! 本当は、もっと、その——」
「もっと、何だ?」
クロードの声が低くなる。周囲の貴族たちがざわめき始めた。
「いつもと全然違うじゃないか。これのどこが『特製』なんだ?」
「そ、それは——」
ショコラが言い淀む。言い訳が見つからないのだ。当然だろう。今まで「自作」として献上していたショコラは、全て私が作ったものなのだから。
「ショコラ」
クロードの声が、さらに冷たくなった。
「もしかして、今まで献上していたショコラは——」
「違います! あれは私が……私の……」
「ルナ・セレスティーヌが作っていた」
凛とした声が、広間に響いた。
視線が一斉にバルコニーを向く。そこには——私ではなく、アルテミス国王が立っていた。
「ルナリア国王陛下……!」
ざわめきが広がる。隣国の王が、なぜここに。
「エストリア王太子」
アルテミス国王が、静かに告げた。
「君が『退屈な女』と捨てたルナ・セレスティーヌこそが、王族が血眼で探し求める『月光のショコラティエ』だ」
広間が、静寂に包まれた。
「——嘘だ」
クロードが呟く。
「嘘ですわ! ルナ様にそんな才能があるはずない! 地味で、愛想がなくて、何の取り柄もない——」
「黙れ」
アルテミス国王の声が、冷たく遮った。
「才能を見抜けなかった己の愚かさを、彼女の責任にするな」
藍色の瞳が、ショコラを射抜く。
「そして——他者の才能を盗み、自分のものだと偽った者は、相応の報いを受けるべきだ」
「う、嘘よ……嘘よ!」
ショコラが叫ぶ。しかし、その声には既に力がない。
貴族たちの視線が変わった。同情や好奇ではない。軽蔑と嫌悪。「才能泥棒」を見る目だ。
「ショコラ・ヴァレンティーヌ」
エストリア国王——クロードの父が、玉座から立ち上がった。
「詐称と欺瞞の罪により、社交界への出入りを禁じる。セレスティーヌ伯爵家への謝罪と賠償を命じる」
「そんな……!」
ショコラが崩れ落ちる。かつて社交界の華と称された少女の姿は、もうどこにもなかった。
そして——
「クロード」
国王の声が、王太子に向けられた。
「お前は、幻のショコラティエを隣国に奪われた責任をどう取るつもりだ」
「ち、父上、それは……」
「ルナリア国王は、既にルナ・セレスティーヌを庇護下に置いた。お前の愚かな判断が、国益を損なったのだ」
クロードの顔が蒼白になる。継承権争いへの影響。政治的立場の悪化。今、彼の頭の中には、それだけが渦巻いているのだろう。
(因果応報、ね)
私は静かにバルコニーから背を向けた。
見届けるべきものは、見届けた。これ以上、この場にいる意味はない。
「帰ろう」
アルテミス国王が、私に手を差し出す。
「君の工房へ。月が、待っている」
私は——初めて、彼の手を取った。
◇ ◇ ◇
「ルナ」
工房の天窓から降り注ぐ月光の下で、アルテミス国王が私の名を呼んだ。
一ヶ月前とは違う。今、私は「月光のショコラティエ」として正式に名乗りを上げた。隠れる理由は、もうない。
「陛下」
「アルテミス、と言ったはずだ」
「……アルテミス」
名を呼ぶと、銀髪の国王は微かに頬を緩めた。無表情なこの人には珍しい、柔らかな変化だ。
「言いたいことがある」
「はい」
「俺は、口下手だ」
「……存じております」
「だから、うまく伝わるか分からないが——」
アルテミス国王が、一歩近づいた。月光が銀髪を照らし、藍色の瞳が私を真っ直ぐに捉える。
「君のショコラは、月光のように静かで、けれど確かに心を溶かす」
「……」
「それは、君自身と同じだ」
言葉が、胸に染み込んでくる。
「五年間、誰にも理解されなかっただろう」
「……」
「才能を搾取され、価値を認められず、それでも黙って耐えていた」
見透かされている。この人は、最初から私を見抜いていたのだ。
「俺は、君の価値を知っている」
アルテミス国王が、私の手を取った。大きく、けれど繊細な指先。月光魔法の残滓が、触れ合った部分でちらちらと光る。
「菓子職人としてだけではない。ルナ・セレスティーヌという人間として」
「……」
「だから——」
藍色の瞳が、真剣に揺れる。
「俺の隣に来てほしい。君が望むなら、工房も、自由も、全て保障する。ただ——」
言葉を切り、彼は静かに息を吸った。
「俺は、君を愛している。それだけは、変わらない」
(ああ)
心の奥で、何かが溶けていく音がした。
五年間、クロード王太子に尽くし続けた日々。認められることのない献身。報われない努力。それらが、今、静かに流れ落ちていく。
「アルテミス」
私は、彼の瞳を見つめ返した。
「私は——」
言葉を探す。五年間、押し殺していた感情を、どう表現すればいいのか分からない。
「……不器用で、愛想がなくて、皮肉ばかり言います」
「知っている」
「華やかな社交が苦手で、地味な装いを好みます」
「それでいい」
「夜中にショコラを作り続ける変人です」
「だから惹かれた」
(この人は)
私の欠点を、全て肯定する。否定するのではなく、そのまま受け入れる。
それが——どれほど、救いになることか。
「一つ、条件があります」
「何だ」
「ショコラは、毎晩作ります。邪魔しないでください」
アルテミス国王の目が、ぱちりと瞬いた。そして——
「毎晩、味見させてもらえるか」
真剣な顔でそう言うものだから、私は思わず吹き出した。
「……っふ」
「何だ」
「いえ、可愛いと思って」
「……可愛い、か」
銀月の君主の耳が、かすかに赤く染まる。威厳も神秘性もあったものではない。
「アルテミス」
私は、彼の手を握り返した。
「喜んで、あなたの隣に参ります」
「——本当か」
「ええ」
月光が、二人を包み込む。天窓から降り注ぐ銀色の光の中で、私たちは静かに向かい合った。
「ルナ」
「はい」
「キスを、していいか」
(律儀に許可を取るのね)
「ええ」
静かに瞼を閉じる。
月光のように優しく、ショコラのように甘い——初めてのキスだった。
◇ ◇ ◇
「師匠」
工房の隅から、ノワールの声が聞こえた。
「……何」
「おめでとうございます」
無表情のまま、彼は頭を下げた。
「それと、ショコラが焦げます」
「えっ」
慌てて調理台を見ると、鍋から煙が上がっていた。
「アルテミス! 離れてください!」
「……もう少しだけ」
「焦げます!」
月光の下、新しい日常が始まる。
不器用で、地味で、けれど確かに幸せな——私だけの物語が。
【完】




