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はじめまして、いなと申します。よろしくお願いします。

ダンジョンがこの世界に出現してから、早十年。

それはもはや災害でも事件でもなく、日常の一部になっていた。

今やダンジョン配信者は、小学生のなりたい職業ランキング一位にまで上り詰めている。

華やかで、スリルがあり、煌びやかな憧れの世界。

小学生から社会人まで、世界中の人々がとりつかれたようにダンジョンへ熱中していた。

ノアチャンネルの主、ノアもまた、その光に導かれてダンジョン配信者になった一人だった。


「こんのあ」


軽い挨拶とともに配信を開始する。


《こんのあー》

《こんー》


すぐに、見慣れた常連視聴者の名前とコメントがチラホラと流れ始めた。

ノアはそれを横目に見ながら、のんびりとダンジョン内を歩いていく。


岩肌の通路。

薄暗い空間。

ときおり遠くから聞こえてくるモンスターの唸り声。


だがノアの歩調は、散歩でもしているかのように穏やかだった。


「今日はリクエストがあったので、盛岡ダンジョン深層部でキャンプをします」


《キャンプ回だ! 嬉しい》

《深層部って言った? 危なくない?》

《盛岡ダンジョンって最近攻略されたとこだっけ》


ダンジョン配信者が飽和している現代では、ノアのように戦いをメインとしていない配信者も珍しくない。

戦闘を見せる王道の配信者はもちろん、鍛冶や錬金の配信者もいる。

果てはダンジョン内で音楽演奏をする配信や、スピリチュアルな占い配信まで存在するほどだ。


ダンジョンという未知の空間は、今やあらゆる娯楽の舞台になっていた。


ノアは登録者千人ほどの零細配信者だ。

常連の視聴者数人を相手にのんびりダンジョン系の企画を配信する日々。

しかし、彼女は誰よりも承認欲求に飢えていた。


(あ~。バズんないかな~。一年くらいやってるのに、全然伸びないし、親は就職しろってうるさいし、どうにかなんないかなあ)


ノアが新卒で入社した会社を辞めてから、もう一年になる。

多少の貯金はあったが、この登録者数ではまともな収入にならない。

バイトをしながら、貯金を切り崩し、それでも配信を続ける日々だった。


《初見です! 顔出しはしないんですか?》

《のあちゃんは顔出しはしてないぞ》

《声から察するに美少女に違いないから想像で楽しむんだゾ》


「初見さんどうも。顔出しはしてないですね」


ダンジョン内をのんびり歩きながら、ノアは追従するドローンカメラを一瞥した。

高性能のドローンカメラは、ダンジョン内の臨場感や緊迫感を視聴者に届けるための高級機材だ。

本来は配信者の戦闘を余すところなく撮影するためのものだが、ノアはその機能をオフにしている。

それどころか、自分の身体が映らないよう設定していた。

ダンジョン配信者で身バレを気にする人間は少ない。

だがノアは、その少数派だった。


(私って可愛いから、顔出ししたら伸びるかもだけどさ。顔出ししたら私ってバレるじゃん。こんな迷走企画やってる配信者が私だってバレるじゃん。明らかに人生上手くいってませんみたいなやつが。そしたらご近所さんからも噂になっちゃうじゃん。無理無理耐えられない)


ノアは自身の容姿が優れている自覚があった。

成人しているのに、幼い印象を与える顔と小さい身長。

綺麗系というより、可愛い系の顔立ち。

世のオタクに受ける顔だという自覚はある。

だが、それを武器にするつもりはなかった。

彼女のプライドが、それを許さなかったからだ。


(まず顔出しして伸びなかったら、いよいよ終わりだし。そしたら私、つまらないくせに自己評価だけ高いイタイ女だと思われる。大学も出て就職したのに一時の感情で動いた現実の見えないバカだと思われる。……流石に無理だ。絶対に無理。私は面白い人気者じゃないと嫌だ)


「到着」


深層部に到着すると、ノアは背負っていたリュックを下ろした。

リュックから折り畳まれたテントを取り出し、地面に広げる。


このキャンプも、もともとはまったく興味がなかった。

男受けが良さそうだから始めたものだ。

だが今ではすっかりハマり、プライベートでもソロキャンを楽しむようになっていた。


テントの四隅をペグで固定し、ポールを通して立ち上げる。

布がふわりと持ち上がり、小さなテントが形を作った。


《結構手際いいね》

《のあちゃんはキャンプガチ勢だぞ》

《使ってる機材もダンジョン用のいいやつだった気がする》


「よし」


続いて小さな折り畳みテーブルと椅子を設置する。

リュックの横に整然と道具を並べると、今度は金属のケースを取り出した。


中には焚き火台。

ダンジョン内でも安全に使える、配信者向けの簡易タイプだ。


ノアは慣れた手つきで薪を組む。

カチ、とライターを弾く。

乾いた木がぱちりと音を立て、小さな炎が立ち上った。


橙色の火が、暗いダンジョンの壁をゆらゆらと照らす。

キャンプの準備を進めていると、ふと視線を感じた。


顔を上げる。

焚き火の明かりの届かない通路の奥。

そこに、人影が立っていた。


ダンジョンの深層部とはいえ、まったく人がいないわけではない。

トラブルになっても困るので、ノアは軽く会釈をした。


「あ、人いますね。深層部なのに、珍しい」


《最近は深層探索者も増えたからなあ》

《深層部でソロキャンしてる人もいるしな》

《まあ深層部と言っても攻略済みのダンジョンだし》

《身バレ大丈夫?》


「マスクとサングラスしてるから大丈夫ですよ」


《ええ……》

《絶対に身バレしないという意思を感じる》


通路の奥の人影が動く。

ゆっくりとこちらへ歩いてくる。


カツ、カツ、と硬い靴音がダンジョンの通路に響いた。

念のため、ノアは腰のショートソードに手を伸ばす。

配信していようと、ダンジョンでは自己責任。

何かあれば、自分の身は自分で守るしかない。


やがて焚き火の光がその姿を照らす。

最初に見えたのは、揺れる長い桃色の髪だった。


頭の上には、ちょこんと小さな王冠。

その両脇から、黒い角が突き出している。


マントがひらりと揺れ、赤い裏地が炎の光を反射した。

小柄な少女だった。


だが――。


その背には悪魔のような翼があり、腰の後ろでは細い尻尾がゆっくりと揺れている。


少女はまっすぐ焚き火の前まで歩いてくると、こちらをじっと見下ろした。


《かわいい!》

《かわいっ》

《突然の美少女で草》

《妙だな、このチャンネルに華が……?》

《てかこれ何? コスプレ?》

《魔力を高める装備じゃないかな》


にわかにうるさくなるコメント欄。


(……え? なにこれ)


ノアは困惑した。

何か粗相でもしてしまっただろうか。


目の前の少女は、焚き火の向こうに立ったまま動かない。

炎の光が桃色の髪を揺らし、黒い角の影が壁に伸びていた。


確かにダンジョンの深層部でキャンプをするのは珍しい。

迷惑かもしれない。

だが浅い階層では、珍しくもない光景だ。

階層が深いとはいえ、文句を言われるようなことでもないはずだ。


……というか、何か喋って欲しい。


無言で詰められると、ノアだってどうしたらいいのか分からない。

配信的にも動きがない。

これ、放送事故になってないか?


《悪魔コスですか。癖、ですな》

《雅を感じますな》

《ふむ……》


気になってコメント欄を横目で見ると、視聴者はどうやら盛り上がっているようだ。

ホッと一息ついて、ノアは目の前の少女を見やった。


焚き火の橙色の光が、少女の姿をゆらゆらと照らしている。


宝石のような深紅の瞳。

整った顔立ち。

悪魔のような翼。

腰の後ろで揺れる細い尻尾。


まるでファンタジーの世界からそのまま出てきたような姿だった。


コメントが盛り上がるのも分かるほど、確かに少女は可愛らしかった。

ノアも自分の容姿には自信があった。

だが少女と並べば、見劣りしてしまうだろう。


(こっわ! 世界こっわ! 良かった顔出ししていなくて! 絶対私が負けてる! コールド負けだわ! 何コイツ顔面強すぎだろ世界の宝か? いやームカつくわ。こんなコスプレが許される顔面持ってるの反則だろ。てか私の視聴者コイツにメロつきすぎじゃないか? お前らいつもコメントしねえじゃねえか)


少女はそんなノアの内心など知る由もなく、焚き火の向こうに静かに立っている。

やがて、その唇がゆっくりと動いた。


「ここで何をしているのかしら?」


鈴を転がすような、澄んだ声だった。

その声はダンジョンの通路に静かに響き、焚き火のはぜる音に溶けていく。


ノアは一瞬、言葉を失った。


(声まで強いのかよ)


見た目だけでも強いのに、声も恵まれているのは反則じゃなかろうか。


《声かわいい》

《かわいい》

《踏まれたい》


コメントも、ノアが見たことのない速度で流れていく。


「これはいったい……。というより、ここはどこなのかしら?」


少女がキョロキョロと首を振る。

その視線が、ふと一点に止まった。


ドローンカメラだ。


少女は不思議そうにそれを見つめると、ゆっくり顔を近づけた。

そして、投影されているコメント欄を興味深そうに覗き込む。


「あら、この魔道具は面白いわね。どういう原理になっているのかしら? 後でじいやに買ってきて貰うようお願いしようかしら」


《近い近い》

《ドキドキする》

《ガチ恋しそう》


自分の配信なのに、コメント欄が寝取られそうになっている。

驚いて固まっていたノアは、そこでようやく再起動した。


「ちょ、ちょっと待って」


少女は不思議そうにノアを見つめた。

いや、不思議なのは私の方なんだが。

そもそも、ここでキャンプをしようとしていた所に君が来たんだが。


「まず、あなたは誰?」

「……私?」

「そう! ほら、ここってダンジョンの深層部だし。ソロで何してたの?」


少女は小さく首を傾げた。


「ソロも何も、私は魔王なんだからダンジョンにいるのは当然じゃない」


少女の返答を聞いてノアはうんざりとした。


(うわっ……。こいつ中二病だ。しかも他人に迷惑をかけても何とも思わないタイプの中二病だ。顔がいいから何でも許されて育ってきた系の中二病だ。現にコメント欄もコイツにメロメロだし。めんどくせえ……)


ノアが内心で少女を罵倒していると、少女は焚き火の前に一歩進み出た。

炎の橙色の光が、ひらりと翻ったマントの裏地を照らす。

少女は右手でマントをバサッと翻し、胸を張った。


「私の名前はルミナ・ヴァル=ディアブロ。この世界に七人いる魔王の一人にして――魔族きっての魔法の天才」


深紅の瞳が誇らしげに細められる。


「人呼んで――彩術のルミナとは、私のことよ!」


焚き火の炎を背に、ルミナは誇らしげに胸を張る。

その姿はまるで舞台の上の役者のようだった。


(め、めんどくせえ~)


《うおおおお!》

《かっこeeeee!》

《ルミナ様最強!》


視界の端に映るコメント欄が、滝のような勢いで流れていく。

ノアの内心とは裏腹に、コメント欄は大盛り上がりだった。


確かに映像越しに見ている分には面白いかもしれない。

だが実際に接する身としては、たまったものではない。


せっかくの休みなのに、頭のおかしい女の相手をするなんてまっぴらごめんだ。

ノアは小さくため息をつき、コメント欄に目をやる。

その中の一つのコメントに目が止まった。


《てかルミナ様、深層恐慌性健忘じゃね?》


深層恐慌性健忘。

最近、探索者の間でよく聞くようになった病気だ。

ダンジョンの深層部で、とてつもない恐怖に襲われた人が、記憶喪失になったり幻覚を見たりするという。


確かに、目の前の女は突然ダンジョンの奥から現れて、わけの分からないことを言っている。

噂に聞く深層恐慌性健忘の症状と一致している気がする。


(もしそうなら、ここで適当な対応をしたら炎上するんじゃ……? どころかネットニュースになっちゃうかも。【悲報】底辺ダンジョン配信者、深層で美少女を見捨てる……みたいな。うわあ! 最悪だあ!)


名乗り終えたルミナは、胸を張ったまま当然といった顔で立っている。


(……これは、ちゃんと対応しないとダメなやつだ)


ノアは咳払いを一つして、声の調子を整えた。


「あの、ルミナ様?」

「なにかしら? ちなみに私はまだアナタの名前を聞いていないのだけれど」

「あ、すいません」


ノアは慌てて背筋を伸ばした。


「私はノアです。ダンジョン配信をしてて……今はキャンプ中ですね」

「キャンプ?」


ルミナが首をかしげる。

深層恐慌性健忘がどの程度記憶に影響するのかは知らないが、さすがにキャンプくらい分かるだろうとノアは焚き火台とテントの方を指差した。


「ほら、そこのテントと焚き火。今はダンジョン配信中で、これから晩ごはんでも作ろうと思ってたんですよ」


ルミナはノアの指の先を追い、焚き火とテントを順番に見つめる。


《魔王にキャンプ説明してて草》

《深層でキャンプ講座かあ》

《ルミナ様かわいい》

《これやっぱり深層恐慌性健忘じゃない?》

《多分そうだけど、治療不可の病気だからなあ》


薪が小さく崩れた。

橙色の火の粉がふわりと宙に舞う。


ルミナはしばらく焚き火を見つめていた。

揺れる炎が、深紅の瞳に小さく映り込んでいる。


「……火を囲んで食事をするの? それは少し楽しそうね」


記憶がないとはいえ、あまりにも普通じゃないルミナの反応にノアは苦笑した。


「まあ、椅子を出すんでとりあえず座って下さいよ。ルミナ様。晩ごはんも……人間の食べ物でいいのなら、お出ししますんで」


ノアはリュックから折り畳みの椅子を取り出した。

金属の脚が軽く音を立てて広がる。


ルミナはマントをひらりと揺らし、当然といった様子で椅子に腰を下ろした。


《魔王様キャンプ飯》

《深層でまったり配信始まった》

《ルミナ様かわいい》


焚き火がぱちりと弾け、ダンジョンの静けさに小さな音が広がった。


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