【短編小説】寒の戻りとピザと25,000
春が立った矢先に雪が降り、わたしが炬燵から立ち上がることは無かった。
部屋に転がった空き缶やペットボトルを捨てに行きたいが、それは行きたいなどと言う積極的なものでは無くて仕方なくイヤイヤながらそうしないと足の踏み場が見えないからだ。
半開きになったカーテンの向こうには、結露しまくった窓越しにぼうぼうと降りしきる雪が見える。
冗談じゃあ、ない。
私は鏡と努力の次に寒いのが嫌いなのだ。その象徴みたいなものが窓の外にいる。
考えただけで気が狂いそうになるが、そんな事で狂えないのも事実だ。
実際に、わたしの腹はいたって冷静に空腹を訴えた。
半ば自動的にスマートフォンに手を伸ばし、あらかじめ決めていたかのようにピザの宅配サービスを検索する。
将棋ピザも帽子ピザも直近で頼んだ。店員に「あいつまたピザ食ってるよ」と思われたく無い。
どうせデブだし、しょっちゅうピザを食べているのは確かだ。
でも自意識だけは仕方ない。
スクロールしていた画面を指が止めた。
「⭐︎必ず男性配達員がお届けします⭐︎」
「⭐︎非パリピ非ウェイ系保証⭐︎」
その文字に安心しかけている自分に気づいた。
そうだ。ドアを開けた瞬間の配達員の顔が怖い。
パーティーや飲み会だと思って届けに来たら無愛想なブスの一人メシだと分かった瞬間の、嘲笑や蔑みにも似た愛想笑い。
それが大学生そこそこの男ならまだしも、茶色い髪をした流行りのメイク顔女子大生だった日には声を荒げそうになる。
もちろんそんなのは勝手な被害妄想であることは承知の上だ。
勝手に劣等感を抱いているに過ぎないし、まだ起こってもいない事態に怒り狂ったりしそうになっているだけだ。
わたしは大きく呼吸をしてから、最後の一文に気がついた。
「※配達員がトイレなどをお借りする場合がございますが、ご容赦ください※」
どう言うことだろう。
宅配のおことわりとしてはあり得ない。客前で粗相をしたバイトでもいたのだろうか?
少し気になるが、そこでピザを注文する事にした。具材はトマトやニンニクのものと、ブルーチーズやゴルゴンゾーラなどのをハーフ&ハーフにした。
「……25,000円?」
お会計のページで手が止まった。物価が上がったと言うネットニュース見出しは目にさるが、親の遺産で引きこもっている間にそこまで上がったのだろうか。
先週も先々週もピザを食べたが、確認していなかった。株価も高騰しているらしいので、そんなものかも知れない。
果たして20分後、ドアの前に立っていたのは真冬にブーメラン海パン一丁の筋肉質な男だった。
いや、筋肉質と言うには筋肉の過積載である。ギリシャ彫刻より深い彫り筋はマリアナ海溝のように深く、だがそれぞれの筋肉はチョモランマよりも隆起していた。
そこにマスクメロンのような血管が縦横無尽に走り、全体をラップでも貼り付けたように光る茶色い肌が包んでいた。
「ん゛っ!!お待たせしましたン゛ッ!!」
筋肉の塊がピザの箱を今日に操りながら、見た事があるようなポーズを取る。
筋肉が軋んだような音を立てた気がした。
呆気に取られたわたしが何も言えずにいると、男は次々とポーズを決めながら「ん゛っ」と唸った。
わたしははち切れそうなほどに膨らんだブーメラン海パンを見ながらぼんやりしていたが、ふと我にかえり「どうぞ」と男を部屋に招き入れると、彼は「ん゛っ」と言って良拳を腰骨に乗せると大胸筋を張って笑った。
「トイレをお借りしてもよろしいですかン゛ッ?」
男はそう言った。薄いラテックス生地の海パンに包まれた破裂寸前のそれは子どもの腕ほどある大きさだった。
頭の奥が痺れた様にぼんやりする。肌が粟だつ。体温が上がる。心臓が跳ね回る。
いくら私でも理解した。
これは普通のピザ屋じゃない。
わたしは汗ばむ自分の手のひらを彼の上腕二頭筋にあてて「お願い」と呟いた。
「ん゛っ!!」
配達員の彼は息を上げながら笑った。
メロンパンのようだった肩は甲虫みたいに堅く張っている。部屋中の空き缶とペットボトルを全て筋肉で潰した彼は「また、お願いしますン゛ッ!!」って言って帰った。
マンションの下に停めた原付のそばで彼が再び「ん゛っ」と言いながらポーズを決めた。
きっと、わたしが見ているのを知っているのだろう。
とりあえず、スクワットから始めようと決めた。彼と一緒に、空き缶を潰したい。
「ふしゅっ」
スクワットをする。肉が揺れる。膝は曲げきる前に悲鳴を上げる。
ピザは美味しかった。




