22 不快な視線
ビアンカはジェードが商会への婿入りを望んだと知り、父に頼んで彼宛てに何度か釣書を送ってもらった。
しかし婚約者がいることを理由にジェードまで話が行くことなく、当主に断られてしまっている様だった。
(だって優しいジェード様だもの。ご存知であれば一言お声掛けをしてくださるはず。だからきっとご存じないのよ。
同じ商会を営んでいる家でも、伯爵家より侯爵家の方が上ですもの。きっと私がお慕いしていることを伝えれば応えてくれるはずよ。
そして、なんだかんだ言ってもお父様も侯爵令息より公爵令息のジェード様を選ぶに違いないもの)
しかも今回クラレットは取り返しの付かない失敗をしているのだ。
ビアンカはそう信じて疑っていなかった。
「ジェード様」
ビアンカは令嬢としてはしたなくない程度に急ぎ、ジェードに追いつくとその腕をつかんだ。
「?」
ジェードが振り返り、ビアンカをその視界に入れた。
ビアンカより頭一つ高い身長のジェードと目を合わせるには、ビアンカは見上げなければならない。
恋い焦がれたジェードに、今、手が届いたのだ──。
見とれ、微動だにしないビアンカの手をそっと外しながら、ジェードが声を掛けた。
「やあ、ルーベルム侯爵令嬢。僕に何か用?」
「そんな、ジェード様。どうかビアンカとお呼びください」
「ごめんね。僕は家族と婚約者以外を名で呼ぶつもりはないんだ──」
明確な拒否。お前の名を呼ぶことは無いのだと。
しかしビアンカは婚約者になった暁にはジェードに名を呼んでもらえるのだと取った。
「ふふ。ジェード様は商会を持つ家への婿入りをお望みなのだと聞き及んでいます」
「そうだね」──対外的には、だけどね。
後半は心の中で呟き、ジェードは考えた。
やはり全く通じていない。
これまで正攻法で──何度も持ちかけられる婚約話を断り、侯爵家当主に不要だと思わせ、二年前にジェード自身に婚約者も作った。
──にもかかわらず、最愛に手を出そうとしたこの侯爵令嬢は、今日クラレットと目の前で仲良くダンスを踊る姿を見せたにもかかわらず諦める気配が無い。
やはり虫を排除するには直接引導を渡し、周囲から物理的に遠ざける以外ないのだと改めて思う。
一方ビアンカは、「商会への婿入りを望んでいる」ことを肯定したジェードの言葉に、逸る気持ちが抑えられずにいた。
抱きつかんばかりの勢いでジェードに話しかける。
恋焦がれたジェードを目の前にしたビアンカはこのチャンスを逃すまいと思うあまり、あり得ないことにここがどこであるのかを失念していた。
「ジェード様、ぜひ私を選んでくださいませ。
当家は侯爵家ですわ。伯爵家よりジェード様に相応しいかと思います。
メイズ伯爵家では商会の手伝いをしておられるのでしょう。当家ではそのようなことをせずともあなたに相応しい生活をお約束しますわ」
その言葉に周囲の生徒が驚きのあまり目を見開いてビアンカを見た。
胸を張り、何処からその自信が来るのか分からないがそのようなことを宣うビアンカに、ジェードは二、三歩下がり笑顔の下で呆れていた。
(「相応しい生活を約束」って、まさかこの僕を養うつもりでいるのか?)
「養ってもらうために裕福な商会との縁談を望んでいる──」そんな風に思われているとは思ってもみなかった。
これが、クラレットを手に入れるため八年間「当主に向いていない公爵令息」を演じていた弊害か。
「遠慮しておくよ。敢えて平民の女生徒の口車にのってまで──」──ほかの貴族を黙らせたのに。
ビアンカはジェードの言葉を聞き、続く言葉が耳に入らないほど喜びに打ち震えた。
今、ジェードは「平民の女生徒の口車にのった」のが「敢えて」であると言ったのだ。
ならば父の言う「ジェードを迎えることによるリスク」自体が無くなったことになる。
後はジェードにビアンカを選んでもらうだけだ。
「それに僕らには、お互いに婚約者がいるだろう」
長い間想っていたがほとんど言葉を交わすことが出来なかったジェードが目の前にいて、言葉を交わしている・・・。
ビアンカはその事実に舞い上がり、これまで断られ続けていた事実さえ頭から抜け落ちていた。
ジェードの言葉を都合よく捉え、ジェードがビアンカと婚約するのに、現在の婚約者が邪魔だと言っているのだと取ったのだ。
「まぁ!そのような些細なことを気にされていたのですね。全く問題ありませんわ」
そう言って瞳を輝かせるビアンカを見て、彼女が侯爵家を継ぐ未来はもう来ないとはいえ、このように話の通じない令嬢を商会の跡継ぎに据えようとしていたルーベルム侯爵は何を考えているんだとジェードは呆れた。
「私の婚約者など、どうとでもなりますもの。勿論ジェード様とメイズ伯爵令嬢との婚約もですわ」
「へぇ。僕とクラレットの婚約も・・・?どうするつもりなの」
ルーベルム侯爵はまともなようで、卒業祝賀パーティーの騒動を耳にした途端、それまでしつこかった婚約話もなくなっていた。
その為、今回シアンから名前を聞くまでジェードはビアンカのことなど忘れていたのだ。
そもそも貴族の婚約をなんだと思っているんだ。と、自身のことは棚に上げてジェードは思う。
大人しく当主の言いつけを守っていれば、ビアンカ自身に能力がなくとも聡明な婚約者を得てそれなりにやっていけただろうに。
昔から令嬢に好意を向けられることはよくあったが、盲目的に向けられるその好意は、ジェードにとって気持ち悪くて仕方がないものだった。
そのためジェードにとって、今この瞬間もビアンカから向けられる視線が不快で仕方なかった。




