15 彼も貴族なのですよ
今しがたキャナリィの口からでた言葉は「何故シアンに嫌がらせをしたのか」と言う、侯爵令嬢とは思えないなんとも子供じみた言葉だった。
キャナリィはスカーレットの訳が分からないと言った顔をみて微笑んだ。
「王女殿下はフロスティ公爵令息のことを特別に好いているわけでも無いですのにあの振る舞い──はじめは私への嫌がらせかとも考えましたが、全く面識が無い以上、フロスティ公爵令息への嫌がらせと考えた方が自然ですわ」
貴族の結婚は『家と家』の契約。
決めるのは当人ではない。当主である。
自領の領民のため、そして嫁ぎ先の領地で暮らす領民のために、当主の決めた相手に嫁ぎ生きる。それが貴族令嬢としての役目だ。
それをキャナリィは幼少の頃から体に刻み込まれている。
決してウィスタリア侯爵夫妻がキャナリィを蔑ろにしているわけではない。
ただ、領地を治め、領民の生活に責任がある以上、その心構えをしておくようにと教育されているのだ。
「私は貴族です。当主の決定に従うまで。婚姻に私の気持ちは関係ないのです。
殿下もよくご存じの通り、婚約婚姻は当主がその時の背景や条件などを鑑みて決めるものです。
よって私の婚約婚姻に殿下は関係ありませんので言いたいことなどは特にございません。
王女殿下がフロスティ公爵令息に嫁ぐことになればフロスティ公爵領の民は永く変わらぬ生活を送ることが出来るでしょう。
ご長男のジェード様もメイズ伯爵令嬢と添い遂げることが叶います。なんの問題もありませんわ」
キャナリィはスカーレットの前だからなのか、それとも既にシアンとの婚約を無いものと考えているのか、ジェードのことは名で呼んでもシアンの名は呼ぼうとしない。
「答えていただけるのであれば、伺いたいのです。
好きでもない相手に嫁いでまで、殿下は何をなさりたいのですか?」
そう言って不思議そうに首をかしげるキャナリィに、スカーレットは「婚姻は国のために」と考えていた頃の自身を重ねた。
しかし本当になんとも思っていないのか、それとも理性で本心を押さえつけているのか──スカーレットにはキャナリィの胸の内が分からなかった。
そして感情的になったのはスカーレットの方だった。
「では、フロスティ公爵令息の気持ちはどうなるの?」
つい、口をついて出てしまった。
キャナリィの言っていることは貴族として間違いではない。
しかしシアンは学園内とはいえ不敬ギリギリのところで──にしては露骨であったが──スカーレットに対して不快感を示していたのだ。
スカーレットには慕う方がいる。
シアンがキャナリィを慕う気持ちがそれと同じなのかは分からないが、スカーレットの気持ちごとキャナリィに否定されてしまったように感じたのだ。
しかしそんなスカーレットにキャナリィは笑顔で断言したのだ。
「彼も貴族なのですよ」と。
「スカーレット様」
そこへ前室に控えていた侍女からクラレットが目通りを希望しているという報を受けた。
本来あり得ないタイミングでの来訪だが、スカーレットはクラレットとジェードの不敬も厭わず働き手を守るため、そしてこちらの瑕疵にならぬためにはっきりと断りを入れ、こちらからの依頼を上回る代替え案を提示する手腕に信頼を置いていた。
「いいわ。許可します」
この空気を換えるように、動揺を隠すようにスカーレットはそう伝える。
そう言えばジェードに「弟のことで婚約者のキャナリィ嬢が心を痛めることがあればクラレットが動くので困る」と言われていたことを思いだした。
キャナリィを心配してやってきたのだろうか。
キャナリィには好いてくれる婚約者や、こうやって動いてくれる人たちがいるのだ。
そして、クラレットにも彼女を心配して「自身のためだ」と言いつつ不敬覚悟で王女であるスカーレットにもの申す婚約者がいる。
──羨ましいわ。
スカーレットがそんなことを考えていると、侍女に案内されたクラレットが入室して来た。
なにか荷物を持ってきたようで扉を閉じる直前、前室の侍女が慌ただしく色々采配する声が聞こえて来た。
クラレットは挨拶を済ませると「騒がしくて申し訳ありません」と言って下座に腰掛けた。
恐らくキャナリィのためにここに来たはずなのにクラレットはそれ以上口を開こうとしなかった。
「今、王女殿下に一つお伺いを立てていたところなの」
キャナリィがクラレットにそう説明した。
その言葉少なに行われた状況説明に、クラレットは得心が行ったかのように軽く頷いた。
先ほどキャナリィはスカーレットに問うた。
この様子から察するに、「スカーレットはシアンのことを特別に好いているわけでも無い」という言葉は、おそらく二人の共通認識なのだろう。
そして「好きでもない相手に嫁いでまで、殿下は何をなさりたいのですか?」とキャナリィはスカーレットに問うた。
この二人の仲の良さは聞き及んでいたが、それ以上に通じ合っているようで──スカーレットは少し腹立だしく思った。
「わたくしのことなど何も分からないくせに、何を根拠にそのようなことを言うの?」
そしてそれは怒りとなって噴出した。