12 グレイとキャナリィの婚約
「──あなた、見かけによらず『ぶらこん』なの?」
思いもよらぬジェードの言葉にスカーレットは思わずそう返していた。
思わず口をついて出てしまった『ぶらこん』という言葉は、最近読んだ巷で流行っているという物語に出てきた言葉である。
国民の生活を守るには国民のことを知らねばならない。そのために得た知識の一つであった。
第一印象はシアンと違い優しいイメージのジェードであったが、少し話しただけで「裏」がある男だと悟った。
そんな男がわざわざ直接スカーレットにそのようなことを言いに来るほど弟を可愛がっているとはかなり意外だったのだ、が。
「いいえ?」
優し気な笑顔でそう答えるジェードだったが、彼にこの言葉が通じたことも意外だった。
ジェードもまた将来幅広い顧客に対応するために得た知識なのかもしれないと、スカーレットは勝手に仲間意識を持った。
「ただ──殿下の思惑は存じ上げませんが、私は私のために王女殿下に弟に手を出すのを止めていただこうかと思って来たのですよ」
「──意味が分からないのだけど」
ジェード自身のために──?
弟想いの兄のセリフではないのなら、ジェードが密かにキャナリィに想いを寄せており彼女を悲しませないで欲しいと思っているかだが・・・
「あなたウィスタリア侯爵令嬢のこと──「それは絶対にあり得ませんね」
「え?」
本来なら王族の言葉を遮る行為は不敬なのだが、スカーレットは気にならなかった。
「彼女のことは控えめに言って気に入らないので」
「ふ、ふふっ。申し訳ないけれど手を引く予定はないの」
変わらぬ笑みを浮かべ、しかしそれ以上言わせるものかと、そうはっきり言うジェードにスカーレットは思わず声を出して笑ってしまった。
「そうですか」
はじめからその希望が通るとは思っていなかったのだろう。
ジェードはそう言うと、もうその話題に興味がないかのように湖を見た。
「でもわざわざあなたがここまで足を運んでまでわたくしにそれを伝えた理由だけでも教えていただけるかしら」
学園から直接来はしたが一応王女のお忍びだ。
ジェードがスカーレットの予定をどうやって調べたのかは分からないが、そこまでしてスカーレットと話をしに来たのだ。何か特別な理由があるに違いない。
「弟のことで婚約者のキャナリィ嬢が心を痛めることがあれば、私の婚約者であるクラレットが動くからですよ。
それでなくとも少ないクラレットとの時間が更に減るのです。
私的には弟の妻が王女殿下であろうとキャナリィ嬢であろうと構わないのですが、その事でキャナリィ嬢が傷付いて弟と別れるようなことになれば、クラレットはキャナリィ嬢のことしか考えられなくなるでしょう──それが嫌なのですよ」
その理由に流石のスカーレットも驚かずにいられなかった。
まさかこの男がそんなことのために動くとは──スカーレットは意外に思った。
そしてジェードはスカーレットが更に驚くことを言ってきたのだ。
「あぁ、そう言えばもう一つ王女殿下にお願いがあったのでした──」
ジェードは今ついでを思い出したかのようにそう言うと、不適な笑みを浮かべ「本題」を口にした。
★
シアンはスカーレットからの度重なるお茶への誘いにかなり苛立っていた。
キャナリィと残りの学生生活を共に過ごすために努力し帰国したというのに、夏休暇以降キャナリィと過ごすはずであった時間がスカーレットに邪魔され、食いつぶされていくのだ。
このようなことのために二年もの間キャナリィとも会わずに努力していたわけではない。
しかも話題はいつも隣国での出来事とはいえ当たり障りのない物ばかり。
シアンにしか分からない話題ではあるが、わざわざ話さなければならないことでもないのだ。
対するスカーレットは、そんなシアンの様子を見て意外に思っていた。
留学中、彼がこのように苛立つ様を目にしたことがなかったからだ。いつも穏やかとは言わないが物事に対して冷静に対応していたように思う。
そして同時にもう一つ意外に思っていることがあった。
──この期に及んでもキャナリィがスカーレットに接触してくる気配がないことである。
面識はなくともキャナリィは侯爵令嬢である。スカーレットに面会を求める方法はいくつかあるはずだ。
にもかかわらず未だに何も言って来ないということは、王女が相手では分が悪いと諦めたのか、婚約自体がシアンの一方的な感情によるものであったのか、──キャナリィ自身が王太子妃の座を欲しているのか・・・である。
シアンとスカーレットは三学年で同じクラス、対してキャナリィは二学年。
自然とシアンとスカーレットが過ごす時間は長くなる。
さらにキャナリィはシアンをそばに置くスカーレットは勿論、自身の婚約者であるシアンとまで意図して接触を完全に断ってしまっていた。
そんなキャナリィの様子に、現在婚約を解消する方向で話し合いがもたれているのではないか。
その後シアンはスカーレットと婚約を結び直すのではないか──そんな噂がささやかれはじめた。
裏付けもなく噂に踊らされることは貴族社会において危険なことであるのは皆重々承知していたが、渦中の人物の態度がその噂に信憑性をもたせたのだ。
また、婚約解消という破棄ほどではないが、少しの瑕疵が付いたキャナリィであれば、自身の婚約者として迎えることが可能なのではないかと考える令息たちの希望的観測もあったのかもしれない。
そんな時、サマーパーティーのスカーレットのエスコート役がシアンであり、キャナリィのエスコート役をグレイが務めるとの新たな噂が特別クラスと一般クラスに流れた。
それにはシアンの後釜に収まろうとしていた令息はヒュッと息を飲み、噂に踊らされることなく早まらなかった自分を心から褒めた。
王太子であるグレイとキャナリィが婚約する可能性が浮上したのである。




