08:君が好きだから
アヴェロン視点となります。
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服が届いた、というお礼の手紙をアヴェロンが受け取ったのは、ちょうど昼の予定が一段落した時だった。
直前まで彼は、社会学の家庭教師グレイヴス伯爵から国防論について学んでいた。
この世界には、アクアラナムの他にも海の向こうにいくつもの国がある。海に守られてこれまで侵攻を受けたことはなかったが、軍事力を増強して備えだけはしておくべきだというのが、レイナルド・グレイヴス伯爵の主張だ。
その意見にも一理ある。
だが軍事力の増強まで視野に入れるのは、これまでの経緯と予算を考えれば現実的ではない。交易を通じて各国の情報を集めておく程度で良いとするアヴェロンの意見は、グレイヴス伯爵には受け入れられなかった。それではいざ侵略を受けた時に全く役に立たない、と言うのだ。
二人の意見は平行線を辿ったが、最後にグレイヴス伯爵は言った。
「十二歳でここまでのことを理解した上で、私と意見を戦わせるとは。やはり私は、殿下こそが次代の国王に相応しいと思いますね」
幼い頃は、周囲におだてられるまま王位を目指すことが当たり前だとアヴェロンは思っていた。けれど、そのためにはレネを諦めて政略結婚をしなくてはならない。そう理解した瞬間、彼は王位継承争いから下りた。
「やめてください」
アヴェロンは、側役が盆に載せて持って来た手紙を取り上げながら言った。
「僕には今、政治よりも大切なものがあるんです」
公爵家の家紋である七つの星を象った封蝋を開けて、丁寧だけれど、ところどころ不揃いな字体で書かれたお礼の言葉を、アヴェロンは目で辿った。
ありきたりで紋切り型の礼状だが、使用人に代筆を頼まず、一つ一つの文字を間違えないように書くレネを想像すると、アヴェロンの頬は自然と緩んだ。
「アストリオン公爵家のご令嬢からですか」
グレイヴス伯爵は無表情を保っていたが、ほんの少し眉根を寄せて、内心の不満を表明していた。彼は、アヴェロンが国王の座に就くためには高位貴族を束ねるヴァルモナ公爵の末娘こそ婚約者に相応しいと、何度も進言してきた。
「レネ嬢は少々破天荒な方と聞いております」
グレイヴス伯爵の、手紙を見る目が忌々しげになる。
「破天荒……では収まらなくてね」
アヴェロンはクスクスと笑った。
堅苦しい議論が好きで、滅多に表情を崩さない彼が笑っているのを見て、グレイヴス伯爵は驚いた顔になる。
「左様ですか」
グレイヴス伯爵は小さく溜め息を吐くと、会釈した。
「では、私はこれにて」
伯爵が退出した後、アヴェロンはレネに返事を書いた。
『今すぐにでも君が着ているところを見たい』
『急な訪問になってしまうが、明日の午前には時間がある──』
採寸した上でのオーダーだから、サイズは合っているかとは思うが、試作品ということで、色はごく一般的な天然色のベージュになってしまった。質素過ぎたかと思って、せめて装飾は豪華にしたいと、星を象った金糸の刺繍を全体的に入れてもらったが、色合い的に目立たないかもしれない。気づきにくい程度のお洒落が、レネの好みには合うはずなんだが……と、心配事は尽きない。
(もし気に入ってくれたなら、次は藍色や碧色もいいな……)
彼女の反応を早く自分の目で見たい、そう逸る心を抑え込むのに苦労しながら、アヴェロンはその日の午後を過ごした。
翌朝。
アストリオン公爵家の応接室に案内されて、足を踏み入れた瞬間、目に飛び込んできたのは、キュロット姿で待ち受けるレネの姿だった。
金色の髪を括らずになびかせて、立ち姿がとても凜々しい。
サイズもピッタリで、真鍮のボタンがついたジャケットは一見軍服風だが、全体に細かな刺繍が施され、ところどころに星のマークが散っている。同じ生地で揃えられたキュロットも、裾に行くに従って刺繍が緻密になっていくデザインだ。
十二歳の少女が着るには勇まし過ぎるかもしれないが、レネのイメージにはぴったりとはまっていた。
「うん、凄く似合う!」
言葉が自然と口からこぼれ落ちた。
思わず、レネの周囲をぐるぐると巡ってしまった。
女性用ではあるが、デザインのベースは軍服なので、そのまま剣を振り回しても、木に登っても、違和感は無さそうだ。彼女の性格を伝え、城のお針子たちと時間をかけて相談した甲斐があった。
「思った通りだ! とても格好いいよ」
「本当に? 本当に格好いい?」
レネは、真剣そのものだ。
「家族はみな、可愛いとしか言わないんだ……」
「君は確かに、どんな格好をしていても可愛いから……」
普段考えていることを、思わず口に出してしまい、アヴェロンは慌てた。
頭の中で必死に言い訳を考えながら、彼は口ごもり、なんとか軌道修正を試みた。
「……つまりね、皆の言う『可愛い』はその服が可愛らしいという意味じゃなくて、君自身に対する愛情表現の言葉だと……、あっ」
これでは、さっきの『どんな格好をしても可愛い』が愛情表現だと言っているようなものだ。
事実だから、取り繕いようがない。
困った……いや、婚約者だから困りはしないんだけれど、とアヴェロンは身体が熱くなるような恥ずかしさを覚えつつ、狼狽える。
普段どんなに大人びていても、彼は多感な十二歳の少年だった。
「……いや、うん、……そう思うよ、僕は」
レネは、真面目な顔でアヴェロンの言葉を聞いていた。
これは多分、気づいていないなとアヴェロンは悟る。
ふう、と一息吐き、なんとか気を落ち着けたアヴェロンは最後を締めくくる。
「……だから間違いなく、その服を着た君には『格好いい』という言葉が相応しい」
「良かった!」
レネの顔がぱっと明るくなった。
「オレ、この服なら着れそうだ!」
その笑顔に、アヴェロンは報われた気持ちになった。
これはレネの、女の子としての第一歩だ。
「気に入ったのなら、色違いであと何着か仕立てよう。王城のお針子たちは仕事が速いから、来週には届くだろう」
キュロットに慣れ、スカートに慣れて、大人になる頃にはドレスを着て……と、アヴェロンの想像は勝手に膨らみ始めていた。
レネは頷いた。
「ありがとう! アヴェロンはいつもオレのこと、よくわかってくれて、助かるよ」
そして、満面の笑みを浮かべて言った。
「サンキュー、愛してる!」
その言葉は、アヴェロンの心臓を突き抜けて行った。
彼は思わず、手を胸にやる。
一瞬呼吸が止まり、目の前が白くなった。
(今、……今のは)
落ち着け落ち着け。あの言い方は、ただの感謝だ──そう言い聞かせても、心臓の鼓動は収まらない。
「アヴェロン?」
心配そうなレネの声が聞こえる。
「大丈夫?」
「……大丈夫じゃないかも」
アヴェロン王子は息苦しさを感じながら言った。
顔が熱い。
自分の鼓動の音がやけに大きく響いて、レネに気づかれてしまいそうだ。
「どこか痛い?」
近寄ってきて尋ねたレネの声が、少し震えて聞こえた。アヴェロンを心配する気持ちが、そこから伝わってきた。
彼女は助けを求めるように、護衛たちの方を見る。
(レネが僕のことを心配してくれている……!)
そう考えるとますます心臓がおかしくなる。
「……大丈夫。ちょっと不意打ちされてびっくりしただけ」
アヴェロンは、レネから距離を取ると、どうにか言葉を搾り出した。
ああ、もう限界だ。これ以上ここにいたら、挙動不審過ぎて、王子としての仮面が剥がれ落ちてしまう……!
「殿下」
側役が後ろから、助け船を出してくれた。
「そろそろ、お時間では?」
「ああ。そうだった! そろそろ行かないと」
レネに無様な姿を見せなくて済みそうだという安堵と、もう少しここにいたかったのに、という残念な気持ちがアヴェロンの中でせめぎ合う。
「アヴェロン?」
レネが、なおも心配そうな目で見てきた。
アヴェロンは焦る。
「今日は会えてうれしかったよ、レネ。また週初めにね」
どうにか笑顔になってそう言うと、護衛に先導され、部屋を出た。
部屋の外で待っていたレネの両親と、当たり障りのない会話をする。主に服のお礼と、仕立代については負担するという話だったが、側役が適切に応対してくれた。婚約者へのプレゼントに代金をもらうなんてとんでもない、と。そもそもレネは贅沢を好まないから、婚約者用の予算はほとんど手つかずのままだ。
どうにか王家の紋章がある馬車に辿り着くと、アヴェロンは崩れ落ちるように座った。
ずっと息を止めていたかのように、しばらく深呼吸を繰り返しながら、自身の打たれ弱さを思い知る。
(国防論については語れても、レネのたった一言に、こんなに心が揺れてしまう……。)
王子という立場に驕って、自分がまだ子どもだということを忘れていた。
全ての知識は、本から得た。
海外に行ったことも、他国の人間と話したこともなく、国内の主要都市へ行ってみてその土地の寒さや暑さを感じたわけでもない。
誰かを好きになったのも初めてで、どういう風に『好きだ』と伝えればいいのかもわからなかった。だから、責任を取って結婚する、という言い方しかできなかった。
自分には圧倒的に、経験というものが足りていないなと、アヴェロンは思う。
「殿下」
馬車に乗り込んで来た側役が、ニヤニヤとした笑みを浮かべながら、アストリオン公爵家の方を指さした。
「ほら。あそこ」
敷地内に生えている木に邪魔されて見えにくかったが、石造りの邸の二階から、金色の髪の少女が覗いている。その様子は、気のせいかもしれないけれど、少し寂しげに見えた。
「レネ!」
馬車の扉から身体を半分だして呼びかけ、アヴェロンは手を振った……まるで、年相応の少年のようだと思いながら。
「またね!」
レネは笑顔になり、嬉しそうに手を振り返してきた。
その仕草が、以前よりは淑女っぽい。
馬車が走り出し、二人は互いに見えなくなるまで、じっと見つめ合っていた。
これから、もっといろんな経験をしてみよう──。
そうしたらいつか、君が好きだから結婚したいんだと言えるほど、強くなれるだろうか……と、アヴェロンは思った。
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とんでもないタイトルの話を、ここまでお読み頂きありがとうございました。
いつかまた、続きが書けたらいいなと思ってはいますが、
一旦完結といたします。