06:矛盾する想い
アヴェロン視点となります。
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婚約から二年が過ぎた頃のこと。
レネとアヴェロンは十二歳になっていた。
神殿から帰る途中、馬車の中にはアヴェロンとレネの二人きりだ。護衛は馬車の前後に控えていた。
二人が着ているのは、アヴェロンが上等の生地で作らせた礼拝用のローブで、『魔法使いみたいだ!』という理由で、レネのお気に入りだった。
レネの量の多い金色の巻き毛は、後ろで無造作に括られている。それもまた、いかにも彼女らしい。だが、ドレスを着てその上に垂らせば、どれほど素敵だろう──とアヴェロンは想像する。
レネはどこか沈んだ様子で、窓から外を眺めていた。
大きな通りには様々な店が立ち並び、高い位置にある馬車の窓からは、人々の行き交う様子がよく見えた。
店の前で仲良く会話する数人の少年たちがいて、レネは彼らが見えなくなるまで、じっと見つめていた。
「女神様はもう、オレを許してはくれないのかな」
レネが急にそう言って泣き出したのを見て、アヴェロンは慌てた。
金色の長い睫が濡れ、碧い瞳が悲しみに曇っている有様に、アヴェロンの心は痛んだ。
「どうしてそんな風に思うの?」
とひとまず訊いてみる。
彼女の『男になりたい』という祈りは絶対に叶わないと分かっていながら、アヴェロンは、いつか現状を受け入れて諦めるだろうと思って、今まで何も言わないでいた。
婚約者として温かく見守り続けた一年目、レネは、別の世界で男だった前世の記憶があると打ち明けてくれた。
(信じ難い話ではあるけれど……)
そういうこともあるかもしれないね、と言って受け入れたアヴェロンは、その内容よりも、彼女が自分にだけ秘密を打ち明けてくれたことの方に心を打たれた。
そして今、レネから最大の悩みを相談されている。
嬉しいという気持ちがある一方で、レネの悲しみはアヴェロンの悲しみでもあった。
ローブの袖で涙を拭って、レネは軽く息を吐いた。それで少し気持ちが落ち着いたらしいレネは、ようやく話し始めた。
「……オレ、調べたんだけれど、この国には一夫多妻制はないよね? 女性でも叙爵できるし、不倫したら、男も女も同じように罰がある。それはつまり、女神様が女性に優しい国を造ろうとしたからなんだと思う」
「女神様を祀っているぐらいだから、女性に配慮する国であることは確かだね」
(実際はまだまだ男尊女卑な部分も残ってるけれど……)
と、アヴェロンは胸の内で思いながら、余計なことは言わずに同意した。
「そんな世界を創った女神様だから、女性をモノ扱いするハーレムという言葉に、凄く怒ったんだと思う……」
「ハーレム?」
それは、アヴェロンにとっては聞き慣れない異世界の言葉だった。
「ハーレムっていうのは、モテる男が何人もの女の子と付き合うことでさ、オレの元いた世界では男の夢みたいなもんで……」
「なるほど」
レネの説明を聞きながら、アヴェロンは頷いた。この世界にも、レネの目には触れないだけで、ハーレムに近いものを金の力で作りだしている男たちはいるだろう。
「そんなものを欲しがったから、女神様は怒ってオレに罰を下したんだ」
と言って、レネは再び泣きそうな顔をしている。
「だからもうオレ、男には戻れないのかも……」
どう言って慰めようかと、アヴェロンは迷った。
女神の怒りに触れたのかどうかはともかく、この世界に女性として生まれた以上、男になりたい、という願いが叶うことはないだろう。
そう正直に言ってしまうこともできた。
けれど、できるだけ希望を持って、今まで通り天真爛漫に過ごして欲しい。
アヴェロンは、レネの濡れた瞳をじっと見つめながら、慎重に言葉を選んで言った。
「女性でいること自体を、ミスだとか、罰として捉える考え方が、女神様にしてみれば、気に入らないんじゃないかな?」
女神の存在を信じているわけではなかったが、レネが信じているのだから、この際利用させてもらおう、と思った。
「女性としての人生を前向きに生きてみせれば、女神様も、謝罪を受け入れてくれるかもしれないね」
レネは、驚きと戸惑いが入り混じったような表情を見せていた。
ずっと拘っていた男としての気持ちを捨てろと言ったのも同然だから、納得しないかもしれない、とアヴェロンは思った。
怒り出したらどうしよう、と彼は急に心配になる。
(お前なんか嫌いだ、などと言い出して、会ってくれなくなったら……)
かなり強引に婚約を進めた自覚がアヴェロンにはあった。
馬車の車輪の音が、アヴェロンの耳に、妙に大きく聞こえた。
「そっか。……そうだよね」
レネが頷いたので、アヴェロンはほっとする。
「たしかに……オレが“罰で女にされた”って思うのは、女性を否定してることになるね。女神様に謝ってるフリして、結局自分の願いを叶えることしか考えてなかったんだ……」
レネはしばらく黙って考え込んでいた。
それから、ふと肩の力が抜けたように息をつき、何度も頷いてから、笑顔になった。
「その通りだ! さすがだな、アヴェロン! オレ、ちっとも気づかなかったよ!」
驚くほど素直に、レネはアヴェロンの言葉を受け入れた。
「アヴェロンに相談して良かった!」
喜んでいる様子のレネを見て、アヴェロンはチクリと罪悪感を覚えた。女性として前向きに生きる、という言葉には、彼自身の願望も含まれていたからだ。
「オレ、これから頑張るよ……女として!」
そう言ってからレネは、自信が無さそうに付け足す。
「すぐには、無理かもしれないけれど……」
「少しずつでいいんじゃないかな」
と、アヴェロンは言った。
「僕も協力するよ」
将来結婚するためには、男だという気持ちを忘れて欲しい。けれど本当は、今のレネからあまり変わって欲しくない──そんな矛盾する想いを、アヴェロンは抱いていた。
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