009 最後の晩餐
「森はどうだったの、あなた」
鹿に似た魔物の肉を使ったシチューが入った皿を、父親の前に置きながら母親が問う。
「今日は静かなものだった。獣の姿もあまりなくてな」
「やっぱりフォルティスが狩った魔物のせいかしら?」
「それが大きいだろうな。だが、それだけじゃない気もする」
「どういうこと?」
俺は二人の話を聞きながら、肉を口に運ぶ。よく煮込まれた肉は美味い。普通の鹿よりも旨味が強いな。
普段父さんが狩りで得た獲物は殆ど我が家には配られない。だから肉を口に出来るのは俺が獲って来た魔物が殆どだ。
今回の魔物はかなり大きかったから、しばらくもつだろう。
我が家の食糧事情に少しでも貢献出来て良かった。
「魔物の森の気配がおかしい気がする」
「お父さん……あなた、もしかして魔物森まで足をのばしたの?」
母親が目を剥く。
「落ち着け。近くまで行っただけだ。足を踏み入れたりしてないさ」
「それならいいけど」
びっくりしたわ、と首を振って、母親は自分用のシチューを持って席についた。
「魔物の森がおかしいって、どんな風に?」
俺が尋ねると、父親は少し考える様子を見せる。
「はっきりとこう、というものはないんだが。魔力が揺らいでいる気がする」
魔物の森は、人の生活圏とは比べ物にならない程の魔力を帯びている。不思議な事に、普通の森とは壁で隔てられているわけでもないのに、目に見えて違う事が判る。
境界線が引かれているかのように、魔物の森に入った途端に「違う」のだ。
青みがかった大気は魔力の彩と言われている。草木の葉もうっすらと青い光を湛えている。ゆえに、夜になってもほんのりと青い光に満ちて、月や星が見えない夜でも真の闇にならない。
俺も足を踏み入れた事はないが、近くまで行った事はある。
夜に行くと青い光を湛えた森は幻想的だった。
「魔力の揺らぎ……」
俺は無意識に繰り返していた。それは何を意味するんだろう。
「感覚的なものだから、勘違いかも知れないが」
「お父さんが感知したのなら、勘違いではないと思うわよ。村の人にも注意を促しておいた方がいいんじゃない?」
「明日もう一度様子を見に行ってからかな。適当な事は言えん」
「あまり危険な事はしないでね」
「判ってるさ」
父親は苦笑いしながらシチューを口にする。
「美味い」
その一言で母親が満面の笑顔を浮かべる。
いつもの穏やかな会話。あたたかい食事。当たり前の日々の。
「……勘違いであってほしいんだがな」
父親がぼそりと零す。
――当たり前だった日常に一滴、澱んだ水が落ちた気がして、俺は胸を騒めかせる。