005 魔物04
家の中に入って、俺は母親の指示に従って魔物をキッチンまで運ぶ。
「解体しなくて大丈夫?」
「取り敢えず、これに入れるわ」
後からキッチンへと入って来た母親が取り出したのは、使い古された鞄だった。
「これに……?」
どう見ても魔物一匹の死体を入れるには小さ過ぎる。首一つすら入らない。
「ふふ。あなたは見たことがなかったのね。これは冒険者がよく持つ鞄よ。魔法がかけられていて、外見では判らない程の量が入るの」
そういえば両親は冒険者をしていたんだった、と思い出す。
『冒険者の鞄』とよく呼ばれる鞄は、見目に反する容量があって、口のサイズすら無視して大きなものを入れられる。
価格が高い程容量が大きいらしいが、この村では一番小さい容量のものも手には入らない。
母親はまず魔物の首に触れて、鞄の口を開く。次の瞬間には吸い込まれるようにして首が消えた。続いて、魔物の身体も同じように収納する。
「この鞄の中は時が止まっているから、保存も効くわ」
自慢げに言って胸を張る母親に俺は少し笑う。
「この魔物をどうするかはお父さんと少し話をさせてもらうわね」
いいかしら? と尋ねられて俺は頷く。
「フォルティス」
今度は父親に呼ばれる。寝室へ手招かれて向かうと、父親は寝台に腰掛けていた。
俺は促されて、寝台の傍にある椅子に腰かけた。
父親は俺の顔を見て、何も言わずにいる。まるで何を言おうか迷っているかのようだ。こんな様子は珍しい。いつもなら呼ばれて部屋に向かえばすぐに話が始まるのに。
俺は父親の言葉を待つ。
暫くすると、父は俺に向かって頭を下げた。
「まずは礼を言う。お前のお陰で、この村は助かった」
「……勝手にしたことだし、礼を言われるような事じゃないと思う」
「いや、言うべきだ。少なくとも俺は言いたい。お前でなければ倒せなかった魔物だしな」
父親は苦笑している。自嘲気味に見えるのは俺の気のせいじゃなさそうだ。
「この村総出でも倒せない魔物を、お前は一人で倒したんだ。本来なら村を上げて礼を言うべきなんだ」
「大げさだよ」
「……」
父親は黙って首を振りながら息を吐く。
「お前は自分がどれだけの事をしたか判っていない」
「父さん」
「このことは誰にも言うなよ」
「言わないよ」
俺なんかが魔物を倒したと知れば、やはり魔物と通じていたんだろうとでも言われかねない。そもそも信じてもらえるとも思えない。
嘘つき呼ばわりも慣れてはいるが、家族に類が及ぶのは御免だ。
俺は村を危険に晒したくなかっただけだから、魔物さえいなくなればそれでいい。
「お前は本当に欲が無いな」
「あるさ」
欲が無い人間などいないだろう。俺にだって普通に欲はある。
「例えば?」
「……内緒」
「何だ、聞かせてくれないのか」
口に出すとなると途端に恥ずかしくなった。言わないぞ。
「フォルティス。俺は今日の朝、一人で森の見回りに行くことになっている。お前は来るなよ?」
「……は? 何だそれ。確かに魔物は倒したし、当分は他の魔物が寄り付かない可能性は高いけど、絶対とは言えないだろ」
俺は思わず椅子から腰を浮かす。あり得ない。今だって森に入る時は必ず最低でも五人組で見回りや狩りに行く事になっている。
「何で引き受けたんだ。いくらなんでもおかしいだろ」
「仕方がない。それだけあの魔物は村人にとって脅威だったんだ」
「それは父さんにとっても、だろう! 父さんが一番重傷だったんじゃないのか?」
「お前は鋭いなあ」
少し考えれば判ることだ。誰よりも前に出て魔物と戦わされてるんだ。一番怪我が軽いなんてことはあり得ない。
「いくら治癒魔法で怪我が治ってると言ったって、体力が戻るわけじゃないんだ。それは俺より父さんの方が判ってる筈だ」
「仕方がない」
「仕方がないって……」
父親は俺に座るように手で促す。俺は力が抜けて座り込んだ。これも、俺のせいか。俺が魔物の子だから、父さんが負わされるのか。
「フォルティス」
父親が俺の頭に手を置いて、少し乱暴にかき混ぜる。落ち着けと言ってるんだろう。落ち着けるか。
今まではまだ、村の人たちの家族に対する扱いを何とか受け入れて来た。
だが、これは無理だ。
「俺も行く」
「フォルティス」
困ったような笑顔を父親が浮かべる。判っている。俺がついて行けば、父親は臆病者と蔑まれるだろう。
そしてもう、他の人が共に狩りに行く事はなくなる。
ずっと一人でやることになるだろう。魔物の子がついていれば、怖いものもないだろうと、そう、言われるのだ。
「……っ」
俺は拳を握りこむ。魔物を倒す力があったって俺は無力だ。
こんな時、家族を助けられない。
「大丈夫だ。他の魔物は暫く近づかない。これだけの魔物が倒されて死体も残されていないとなれば、賢い魔物は警戒するからな」
大きな手が、もう一度俺の頭を撫でる。
こんな時でも父親は俺のせいだとは言わない。こんなに理不尽な扱いを受けて、どうして笑って受け入れられるのか、俺には判らない。
いっそお前のせいだと言ってくれたら。
「頼むからそんな顔をしてくれるな」
父親が俺の頭を引き寄せる。そうして項を軽く叩く。俺は父親の肩に頭を預けたまま、それ以上何も言えなかった。