003 魔物02
日が変わってひと時が経った頃、俺は村を囲むようにして存在する森の中に立っている。
家族が眠るのを待って家を出てきた。
呼び止められなくてほっとした。俺は気配を殺すのが得意だから、気付かれないとは判っていたが、もし気付かれていたら止められていただろう。
「さて、何処にいる?」
気を研ぎ澄ませて、森の気配を読む。強い魔物が現れたからか、森は静まり返っている。小動物は気配に聡い。魔物を恐れて身を潜めているのだろう。
俺は魔法を使えないが、気と呼ばれる身内に宿る力を操る事は出来る。
魔法のように炎や水を喚んだりは出来ないが、自己の強化や、こうして周囲の気配を探る事は出来た。
魔法が使えない俺の、能力の一つだ。
「……まだこの辺に居ると思うんだがな」
冬の足音が聞こえて来る時期だ。餌場を広げてこの森まで訪れたのかも知れない。
怪我だけさせてその場を去ったのは、味見をしただけなのかも、と考えたんだが外れか?
俺は、一歩踏み出そうとした右足をすぐに引き戻した。その足で地面を蹴って後方に跳ぶ。
「俺の勘も中々だろ?」
俺が飛び退る前の位置には、鹿に似た姿の魔物が居た。上空から、降り立ったのを跳躍中に見た。かなりのスピードだ。俺はかなり目が良い方だが、姿がぶれて見えた。
魔物には頭部に三本の角が生えている。左右と、額に。黒々としたその角には、血液が付着しているのが見える。
「お前が、父さんと村の人々を襲った魔物だな?」
応えがあるとは思わないが、問う。魔物は高い声を上げた。俺の言葉が判るのか、それとも単に俺を威嚇しているだけか。
俺は腰に下げていた小さな鞄からナイフを二本取り出す。自作のナイフだ。拾った鉱石から作り出したものだが、魔物を切り裂く事が出来る逸品だ。
両手に持って構えた。
まるでそれを待っていたかのように、魔物が前脚で土を一度掻いた後、跳躍した。
俺も、合わせて地面を蹴る。今度は前に向かって。
甲高い声を上げながら、魔物が俺の身体を潰そうと両前脚を揃えて振り下ろして来る。俺は更に地面を蹴って、前に跳び、それを躱す。
すぐに魔物が後ろ脚を伸ばして来る。咄嗟に身を翻してナイフで攻撃を受ければ、後方に吹っ飛ばされた――先に在った木に、両足をついて、勢いを殺して着地した。
そのすぐ上を、今度は角が通り過ぎる。
魔物が横に頭を振って、角をまるで剣のように薙ぎ払ったのだ。
俺はすぐに横に跳んで、魔物と距離を取る。
「はっ、確かにこの強さは今までになかったな!」
俺は自分の口の端が上がるのを感じる。これは油断したらやられるな。
魔物は、今度は追撃をして来ず、姿勢を正してこちらを見据えている。気配に余裕が見える。
完全にこちらを弱者と見定めた様子だ――確かに、魔力の欠片も無い人間など彼らにとって幼児にも等しい存在だろう。
魔物――とは、多量の魔力を有する種族だ。
俺たちが住むエルフの国を含めた四つの国を分断する『魔物の森』に多く存在し、この地の頂点に立つ存在でもある。
俺は会った事がないが、人と似た姿を持ち、言葉を話す魔物もおり、その中に一人、魔王と呼ばれる強大な力を持つ者が存在すると言う。
だが、魔王や人の姿を持った魔物は森から出る事が出来ないらしく、森にさえ踏み込まなければ恐れる必要がないらしい。
それより恐ろしいのは、森から出る事が出来、こうして人の村に入り込める魔物たちだ。
彼等は人を食い荒らす。
人にとっては十分脅威である存在だ。
だから俺の村のような辺境の村であっても、魔物を侵入させない為の結界がある。
ただし、結界以上の力を持つ魔物には効かない。
それを証拠にこの魔物はこの森に入り込んでいる。
「随分と、余裕だな。いつでも食い殺せる自信があるってわけだ?」
俺はわざと魔物を挑発するように声を掛ける。
言葉自体が通じずとも、魔物は気配を読んでくる。挑発をすると通じる事があるのだ。
「そのほっそい足で、俺を潰せるとでも? 嗤わせる」
俺はナイフを持った左手で手招く。
「やれるなら、やってみろよ」
手を振りながら嘲笑すると、魔物が今までにない大音声を上げた。皮膚がビリビリと震える。
目の前の魔物の姿がぶれた、と思った次の瞬間には、魔物の両脚が目の前にある。それを右手のナイフで受け止め、左手で下から足の内側を打って搗ち上げた。そのまま魔物の腹に潜りこみ、右手を横に凪ぐ。まるで柔らかな野菜でも切るかのように腹が裂けた。
多量の血が噴き出す前に俺はすぐに横に避け、身体を回転させて魔物の背面を取る。
腹を裂かれたと言うのに、凄まじい速度で伸ばされた右後ろ脚を避け、ナイフを魔物の背に突き刺して、それを起点に身体を魔物の上に引き上げて、俺は魔物の首にナイフを突き立てた。
耳を劈くような声を上げて暴れる魔物の首に腕を回す。
「悪いな、終わりだ」
魔物の首を締めあげて――折る。
ゴキリと、骨の折れる音が聴こえ、腕にその感触を伝える。
俺は首に突き立てていたナイフを引き抜き、折れた首を一刀の元に切り落とした。
斃れる魔物から飛び退き、様子を見る。
魔物の中にはかなりしぶとい者があり、首を落とした程度では死なない事がある。
動かなくなったからと言って、すぐに近づくのは危険だ。
「……大丈夫、か」
魔物はぴくりとも動かない。生きている気配もなかった。完全に息絶えたようだ。
俺は魔物に近付いてすぐ傍で腰を落とすと、匂いを嗅ぐ。これなら行ける、かな。
俺は魔物の死体に手を合わせて、寸時祈りを捧げた。命を頂く事への礼儀だと、父親から教わったものだ。
そうしてから魔物の観察を始める。
「角は何に使えるかな。これだけ鋭いなら、武器になるか。肉は問題なく食えそうだ。骨は母さんが出汁にでも使うか」
見たところ鹿のような魔物だ。匂いも似ている。毒は持たないようだし、旨そうだ。
「……ただ、売りには出せないよな」
明らかに魔物である。血液にまで魔力を感じる。
「久々のご馳走ってことで……赦してもらうか」
俺は、魔物の身体を担ぎ上げる。落ちた頭を見下ろして嘆息した。
「完全に首を切り落としたのは失敗だったな」
運ぶのに面倒になってしまった。途中で村の人たちにに見つからないようにしないとな。