002 魔物
食事を終えて、食器を片付け終えても父は家に戻って来なかった。
俺は雑貨屋に売るための縄を綯いながら母に声を掛ける。
「母さん、やっぱり様子を見て来た方がよくないか。もう日が暮れて大分経つのに……」
窓から外を覗けば、既に真っ暗だ。もうふたとき程経てば今日が終わってしまう。
「父さんの事だから大丈夫だとは思うけど……」
言いながらも不安げだ。やっぱり俺が見てきた方が――。
「母さん」
俺は母親を呼ぶと、立ち上がって綯い途中の縄を椅子に置いた。
扉に駆け寄って開ける。
「父さん!」
扉が開くのを待っていたかのように、血だらけの父親が倒れ込んで来る。
俺は咄嗟にその身体を受け止めて、抱え上げた。
「フォルティス、こちらに連れてきて!」
母が二人の寝室の扉を開ける。俺は急いで父親を指示通りに運び込み、寝台に寝かせる。
「お父さん、もう少し頑張ってね……」
母親はすぐに聖句を唱え始める。治癒の魔法をかけるのだ。
聖句とともに、身体から淡い光が生まれ始める。あたたかな色の光だ。それは次第に明るさを増して、父親の身体を覆ってゆく。
「どうか、彼の身体を癒して下さい」
最後に願いと共に、父の身体の上へ手を翳すと、身体が一層強い光に包まれる。
光が消えた頃には、あらかたの傷が塞がっていた。
「……済まないな」
父が瞳を開けて、母を見る。声は思ったよりしっかりしていた。これなら、大丈夫だ。俺は無意識に握りこんでいた拳を緩めて、二人に歩み寄る。
「フォルティスも、ありがとうな」
「……俺はここに運び込んだだけだ」
もっと早く様子を見に行けば良かった。そうすればここまでの怪我を負わせずに済んだかもしれないのに。
「心配をかけたからな」
父は苦笑して、俺の腕を叩く。そんなの、家族なんだから当たり前だろう。
「それにしても、何があったの? あなたがここまでの怪我を負うなんて」
父親は昔、母親と共に冒険者をしていたらしい。村の中でもかなり腕が立つ方だ。今まで狩りに出て、こんな大怪我を負って帰って来た事などなかった。
「魔物が出た……今までに無い狂暴な奴が。多少怪我を負わせることは出来たが、助かったのは運だな」
「そんな魔物が……?! 村付近の森には結界がある筈なのに」
「それを超える事が出来る魔物だったんだろう。だからこそ、歯が立たなかった……。死者が出なかったのが不思議なくらいだ」
父親が身体を起こそうとするのに手を貸す。怪我は治っているものの、失った血は戻っていない。それに魔力も、だ。
「俺が治癒魔法を使えることをこれほど天に感謝したことは無かったよ。何とか全員連れ帰る事ができたしな」
余程安心したのか、父親が俺の腕に身を預けて来た。こんな風に弱った姿を見たのは初めてで、俺は心臓を掴まれたような思いがする。助かって、良かった。
「自分を治癒出来ない程魔力を使ったのね……誰か、ポーションを持ってきてはいなかったの?」
母親が尋ねると、父親はそっと目を逸らした。
「……持ってきても、使ってくれなかったんだな」
父親が敢えて口にしなかった事を、俺が代わりに応えると、父親は溜息をついた。
「まあ、予想はしていた事だったからな。皆を恨むなよ? みんな魔物を恐れて狼狽えていたし、魔物は途中で去ってはくれたが、また戻ってこないという保証もなかったんだ」
「……そうね」
母親が頷く。全てを納得したわけではないだろうが、仕方がなかったのだと自分に言い聞かせるように。
俺も、反論はしなかった。
父がポーションを使ってもらえなかったのは……恐らく俺のせいだから。
「なんて顔をしてるんだ」
俺の顔を撫でて、父親が笑う。
「俺はこいつの見事な治癒魔法で全ての怪我が治ってる。それが全てだろう?」
「そうよ。私の治癒の腕は最高でしょ?」
母親が俺の頭を撫でて言う。
二人の笑顔に翳りは全くない。いつも見せてくれる屈託のない明るい笑顔。
こんな事があっても――、命の危険があった直後であっても、二人は俺に対して変わらぬ笑顔を見せてくれる。
俺のせいだと、絶対に言いもしないし、思いもしない。
「ああ、母さんは最高の魔術師だ」
だから、俺はそう言って笑うしかなかった。