第2-5話 ロゼの原点
──神になりたかった。
──────
十年前。
辺境の村にて。
その村はとても平和だった。
広大な面積を誇る王国全体で見れば、覚醒薬で悪意が強化された犯罪者による凶悪犯罪や強力な魔物による人身被害は日常茶飯事だったが、その村は辺境の小さな村だったためかそういったものとは無縁だった。
村民は農業、畜産、狩猟採集で自給自足できていたため生活に困るようなことはなく、たまに出る魔物は猟師たちが仕留めていた。
何より、その村には“彼女”がいた。
「デッケー熊倒してきたぜ! おっちゃん、熊鍋作ってくれ!」
「あいよ、嬢ちゃん」
ロゼ、当時十歳。
ただの村人だったロゼは、幼少のころから類い稀な強さを発揮していた。
「スッゲー! これ姉貴が倒したのかよ!?」
「そうだぜ! スゲェだろ?」
「ふ、ふーん! 俺だって熊くらい倒せるし? ちっともスゲーなんて思ってないし?」
ロゼには双子の弟がいた。
名をレッド。
ロゼに似てやんちゃで生意気な弟だった。
「じゃあ一緒に熊の魔物倒そうぜ! ほら、最近裏山にC級のやつが出たらしいじゃん。おっちゃん、熊鍋できるころには帰ってくるからよろしくな!」
「とっておきの食わしてやんぜよ。気をつけて行ってくんだぞ~」
ロゼは問答無用で弟の腕をつかんで歩き出す。
「え!? ちょ、待っ……! 俺今は農業したい気分で戦いはしたくないっていうかぁ」
「お前、地道で退屈な作業嫌いだったろ。つべこべ言わずに行こうぜ! 安心しろ、レッドのことは絶対オレが守ってやっからな!」
「あーぁぁぁ! 変な見栄張るんじゃなかったァァァ!!!」
弟はやんちゃで生意気だったが、強さもやんちゃ度も格上の姉の前ではただただ振り回されるしかなかった。
「うおおおおオオ!? 普通に死んじゃうんですけどー!?」
熊の魔物は爪を振り回して風の斬撃を放つ。
容赦のない攻撃に弟が悲鳴を上げながら逃げ惑う中、ロゼは平然と風の斬撃を殴って無力化する。
「姉貴なんで拳で斬撃に勝ててんの!?」
「わかんねぇけどなんかできるんだよな! オレの攻撃力が高すぎるんじゃね? たぶん」
「姉貴が意味わからんくらい強いのはわかったから助けどぅわぁ!?」
植物の根っこに足を取られて転ぶ弟。
そこに熊の魔物が飛びかかる。
「ぎぃやァァァ俺の人生終わったァァアアアアアアアアア!?」
絶体絶命のピンチに陥った弟を、ロゼはパンチ一発であっさり救った。
「オレの弟に手を出すんじゃねぇ!」
衝撃音が響き、熊の頭部が吹き飛んでいく。
残った胴体はどさりと倒れ、魔核を残して消えた。
「言ったろ? お前のことは絶対守ってやるって」
ロゼは楽しそうに笑いながら手を差し出す。
ぶっきらぼうにつかんできた弟の手を握り、勢いよく引き起こした。
「……ありがとな、姉貴。姉貴がいなきゃ今ごろ俺は…………って、よくよく考えたらすべての元凶姉貴じゃね? 姉貴に無理やり連れてこられなけりゃそもそも俺ピンチになってなくね!? ハァ~、感謝とかしてやんねーし!」
「この後オレは熊鍋を食べるが、お前はどうする?」
「当然俺も食べるが?」
「その熊鍋の熊はオレが狩ってきたんだよな~。オレがいなかったら熊鍋は食べられなかったな~」
「姉貴バンザイ! マジ感謝!」
「よっしゃ! 一緒に食いに行こうぜ!」
「行こうぜ~!」
何かとすぐにいがみ合う二人だが、なんだかんだ姉弟関係は良好だった。
翌日。
村の端の空き地でロゼたちが遊んでいると、子分の一人が泣きながら走ってきた。
「姉御~……!」
ちなみにロゼはガキ大将だ。
村の熟練猟師すら圧倒する実力で、同年代の子供たちから絶大な支持を集めている。
「どうした、モルド」
「ジェリックに酷いこと言われたぁ! お前は臆病者だ、ロゼの腰巾着で一人じゃ何もできない弱虫だって……」
ロゼはモルドそのそばに移動し、彼の肩をポンっと叩いた。
「ちょっと前に村の外でお前の妹が魔物に襲われた時、真っ先に妹の前に立って守ろうとしたのはお前だろ。オレらは知ってるぜ、お前が勇気のあるカッコいい奴だってこと!
後はオレに任せとけ」
ロゼは立ち上がると、勢いよく腕を掲げた。
「野郎ども、カチコミ行くぞ!」
「「「おー!!!」」」
ロゼたちは、村のもう一人のガキ大将であるジェリック一派と対峙する。
「うちの組のモンに手を出すとはいい度胸じゃねぇか、ジェリック」
「敵の大将が来たぞ! 全員がかりで挑めば怖くねー!」
「戦る気か。いいぜ、オレ一人で相手してやる」
ロゼ一人VSジェリック一派の計十名。
始まった喧嘩は当たり前のようにロゼの圧勝で終わった。
「クッソ~……! 強すぎんだろ!」
ノーダメージ勝利したロゼに向かって、ジェリックたちは悔しそうに呟く。
ロゼはジェリックのもとに歩み寄ると、笑顔で手を差し出した。
「一度拳を交えりゃもう友達だ」
「……なあ、ロゼ。俺達でもお前みたいに強くなれると思うか?」
「特訓ならいくらでもしてやるぜ! 絶対負けねぇけどな!」
「……うっす。姉御、今から俺たちはあんたについていくっす!」
仲間も増え、それから一年ほど月日が経ったある日。
いつもの空き地で、ロゼはある提案をした。
「なんか最近この国の魔物被害件数が右肩上がりらしいじゃん?」
「この前近くの街に行ったんだけど、みんなその話題で持ちきりだったよ。ちょっと物騒だよね」
「そこでだ! オレたちで魔物からこの村を守っちまおうぜ!」
「いいな、ソレ!」
「私たちならやれるよ!」
「ロゼの姉御もいるしな!」
子供たちで村の周辺をパトロールして魔物を倒す。
普通に考えたら危険極まりないが、この村の場合は大丈夫だ。
ロゼによる特訓と的確な指導により、メンバーの子供たちは最低でもE級以上……人によってはD級の魔物をソロ討伐できるほど強くなっている。
さらに戦闘スタイルによるチーム分けや連携も完ぺきだ。
地元民の絆とロゼパワーによって、村の子供たちはそこらの新人討伐者たちよりよっぽど優秀な集団に育っていた。
そしてロゼ本人は……。
数日前に開かれた村一番の強者を決めるお祭りで、ゲスト参加していた現役B級討伐者相手に完全勝利を決めた。
十一歳の時点で少なくともB級上位に匹敵するほどの実力に達していたのだ。
「名付けて、この村を守り隊! さっそくパトロール行こうぜ!」
「「「おー!!!」」」
村周辺の魔物の平均ランクはせいぜいD級下位。
極たまにC級の魔物が出るが、ロゼの相手ではない。
当然、子供たちは苦戦することなく村を守れていた。
「今日も異常ナシ! 平和そのものだな!」
多種族の魔物が共闘して軍隊のように大集団で攻めてくるか、凶悪な犯罪者に狙われたりでもしない限り村がピンチになることはない。
この時のロゼは、これまでもこれからも幸せに暮らせると思っていた。
事件が起きたのはそれから一年後。
ロゼが十二歳の時。
夕暮れ、狩りから戻る途中でロゼは遭遇した。
後に城塞都市クロムディアを襲撃することになるホロストと。
「あ? なんだお前。……まあいいか。どうせ全員殺すんだ」
ホロストは躊躇なくロゼに向かって剣を振る。
当時のホロストの実力はギリギリA級。
子供一人殺すのに手間取ることはない……はずだった。
「なっ!? 躱しやがっただと!?」
「何すんだテメー! 全員殺すってのはどういう意味だよ?」
ロゼは持ち前の実力でホロストの剣に対応する。
予想外の状況にホロストは最初こそ驚いていたものの、すぐに平静を取り戻した。
「お前そこの村の子供だろ? 全員殺すってのは文字通りお前の村を滅ぼすって意味だ」
「ッ! させるかよ!」
ロゼは剣を躱して殴りかかる。
「ガキ一人に何ができるよ?」
ホロストはロゼを弾き飛ばし、スキル〖魔物使い〗で使役した魔物たちをロゼに消しかける。
魔物たちはあっという間に瞬殺されるが、その隙をつくようにホロストはロゼを蹴り飛ばした。
そのまま攻防は続き、三十分ほど経過。
ロゼの持ち前の粘り強さもあってか、ホロストは有効なダメージを与えることができず戦況は膠着していた。
「チッ、なんつー強さのガキだ」
「……絶対に、村は守る!」
ロゼは血を流しながらも諦めることなく構える。
(魔物による手数の多さは厄介だが、一匹一匹は弱ぇ。このまま持久戦に持ち込めば、強化スキルのあるオレが有利になるはず。勝ち目はある……!)
ロゼの見立て通り、ホロストのスキルは〖魔物使い〗のみ。
持久戦で〖リベンジャー〗の効果を発揮できれば勝てる見込みは充分にあった。
再び両者はぶつかり合い、じわじわとホロストが追い詰められていく。
自身を護衛させていた魔物たちが全滅した時、ホロストは勝ち誇ったように笑った。
「強ぇなクソガキ! 悔しいが認めてやるよ、お前は強い。まさかこんなにも苦戦させられるとは思わなかった!
──だが」
ホロストは邪悪に告げた。
「手駒の魔物がここにいた奴らだけだとでも思ってんのか? 俺の魔物使役能力を見くびんじゃねぇよ」
ロゼは反射的に村の方を振り向く。
ちょうどそのタイミングで、村から火の手が上がった。
「ッ……!」
ロゼは戦いのことを忘れ、無我夢中で村に走る。
村を包囲している魔物を蹴散らして村の中に突入する。
そこには惨状が広がっていた。
「息……してねぇ……」
──全員殺されていた。
村の中のいたるところに死体が転がり、家屋は焼け落ちていく。
ロゼは生気のない足取りで自宅に向かう。
両親を守るように両手を大きく開いたポーズのまま地面に倒れ伏した弟の姿があった。
全身のいたるところに傷が走り、惨たらしく首を掻き切られていた。
「あー、残念だ。こいつらが絶望して逃げ回って死ぬところを見たかったのに、お前のせいでハイライトを逃しちまった」
ホロストはため息をつきながらロゼを見下す。
震えながら涙を流しているロゼに向かって剣を振り下ろした。
(こいつの心はもうボロボロだ。対応も反撃もできまい)
ホロストは勝ちを確信し油断する。
剣が迫る中、ロゼはホロストを睨んだ。
(……ッ!)
底知れない闘志を宿した薄ピンクの瞳にホロストは冷や汗をかく。
直後、ホロストの全身をとてつもない衝撃が襲った。
左手で剣の刃を握って止めたロゼに殴り抜かれていた。
(ありえねぇ! ありえねぇ……! 俺がっ、怖気づいただと!?)
ホロストは即座に態勢を整え、手駒の魔物たちをロゼに消しかける。
(毒を塗った剣で傷を負わせた! さらに大量の魔物たちによる数的有利も取れている! お前は確かにガキとは思えねぇくらい強いが、単体性能は俺と同格!)
つまり、負ける要素はない。
……はずだった。
「なんだよお前! なんで倒れない! なぜその傷でまだ動ける!?」
ロゼ本人の戦闘センス、ダメージを受ければ受けるほど身体能力に上昇補正がかかる〖リベンジャー〗、状態異常で身体能力に上昇補正がかかる〖逆境上等〗、クールタイムはあるが相手の次の一手を読める〖先読み〗。
状況とロゼの能力が合致した結果……。
ダメージを与えても与えても倒れることはなく、それどころかどんどん強くなっていく。
気づいた時には、ホロストの手駒は全滅していた。
「なんなんだよお前はァ!?」
不死身かと錯覚してしまうほどの底知れないタフネスさと、どれだけ精神を揺さぶっても一切ブレることのない闘志に不気味さすら感じてしまう。
(……そもそも、対物理用のスライム装甲や〖物理無効〗を持つはずのゴーストがただのパンチに負けてるのはどういうことなんだよ! 意味がわかんねぇ!
チクショウ、もう魔力が切れる……! これ以上戦い続けたら負けるかもしれねぇ……! 死ぬのも捕まるのも御免だ!)
ホロストはプライドと自身の安全を天秤にかけて、苦渋を呑みながら敗走した。
それを確認して、限界を超えていたロゼもまたその場に倒れた。
生き残ったのはロゼただ一人。
家族も村のみんなも全員殺されてしまった。
この事件を通してロゼは己の弱さを知る。
(俺がもっと強ければ……ホロストを瞬殺できればすぐに村に駆けつけて皆を守ることができた)
類い稀な才能を持っていても。
十二歳の若さでA級討伐者に届く実力を持っていても、それでも全然足りないのだと思い知らされた。
ロゼの脳裏に弟の言葉がよぎる。
──「姉貴は基本ワガママで横暴で頻繁に散々な目に遭わされるけどよぉ、俺らがピンチの時に絶対助けてくれる頼れる姉貴なんだよ」
(……助けられなかった。誰も助けられなかった。もっと……もっと強くなんねぇと……!)
それからロゼは死に物狂いで努力し続けた。
強くなるためなら、自ら逆境へ飛び込み続けた。
最終的に討伐局にスカウトされるほど強くなった。
が、それでも世界は残酷で……助けられなかったことは何度もあった。
「あんたがもっと強ければ息子は死ななかったのに……! この役立たずが!」
心無い言葉だって何度も投げかけられた。
投げかけたほうも心の底ではわかっているのだ。
悪いのは殺した犯罪者で、守ろうとしたロゼに罪はないことなんて。
それでも失った悲しみと殺された怒りを誰かにぶつけてしまうほど、心にダメージを負っている。
だからロゼは何も言い返すことなく黙ってすべて受け止める。
(オレがもっと強ければ──)
──────
──神になりたかった。
どんな存在にも覆されることのない圧倒的で絶対的な力が──まさしく神と呼ぶに相応しい力があれば、もう誰も失わずに済むから。
誰かを守り助けることができるから。
(まだ終わらねぇぞオレは!)
ロゼは原点を思い出す。
死を前にしても微塵も揺らがない。
(ピンチ一つ乗り越えられねぇで何が神だ! 集中しろ、この状況を打破するための何かを見つけ出せ!)
身体操作は不可能だ。
躱すのも防ぐのも、どうやっても間に合わない。
スキルは身体強化と予測のみ。
この状況を覆せるようなものは持っていない。
魔法も使えない。
ならば残されたのは魔力だけだ。
(創意工夫で魔力の使い道を──)
ふと、過去の出来事がフラッシュバックする。
この村を守り隊としてパトロールしていた時の出来事だ。
軽く一メートルは超える大きさのスライムと対峙するロゼたち。
子分が剣や槍などで攻撃するが、スライムにダメージを与えることはできない。
当然だ。
スライムは〖物理超耐性〗という超強力な耐性スキルを所持しており、よっぽどのことがない限り物理で倒すことはおろかダメージを与えることすらできない。
「俺らじゃ勝てねぇ! 頼んだ、姉貴!」
「おう、任せとけ!」
ロゼはスライムを軽く殴る。
すると、スライムは弾け飛んで絶命した。
「スッゲー! 俺らじゃ全く効いてなかったのになんで姉貴は倒せてんだ!?」
「さぁな。オレもよくわかんねぇ。攻撃力がめっちゃ高いんじゃね? たぶん」
……よくよく考えてみればおかしな話だ。
たかがA級討伐者に届く程度の攻撃力でスライムを殴り倒すことなんてできるはずがない。
(他にも、オレの攻撃は物理が効かないはずのゴースト系の魔物にも通じた)
そこにヒントがあるはずだ。
(感覚を研ぎ澄ませ! 土壇場でこそ力をモノにしろ! これまで散々武術でやって来たことだろうがッ!!!)
(死にやがれ、ロゼェェェっ!!!)
ホロストの爪が迫る。
爪の先端がロゼの表皮を突き破る。
肉を抉りながら進み、そして──
──爪が内側から爆発して粉々に砕け散った。