第21話 一週目とは違う未来
二度目の決闘で完全勝利した翌日。
リヒトとルミナはこれまでに類を見ないほど平穏に修行できていた。
特にダグラスが学園からいなくなったのが大きい。
これまで強い発言力を持っていた主犯格が消えたことで、残りは有象無象だけになった。
未だにリヒトたちのことを人類の裏切り者なのではと疑ってはいるものの、グレイの命令に逆らう勇気もなく追及はしてこない。
「ようやく私も屍黒馬ソロ討伐できるようになったわよ!」
「やったな、ルミナ! おめでとう!」
「まあね」
屍坑道から帰還したルミナが胸を張って宣言する。
リヒトが褒めるとまんざらでもなさそうに笑った。
「今いいかしら?」
二人のもとにオリビアがやって来る。
オリビアは再び修行をつけてほしいと頼んできた。
「二人とも近いうちに討伐局に行っちゃうんでしょ?」
「ああ、そうだ」
「ええ、そのつもりよ」
リヒトは詳しいことは伏せたが、学園襲撃事件を防いだら討伐局に所属する方向で行動目標を立てている。
ダグラスがいなくなってマシになったとはいえ、いじめや差別が平気で横行する悪意の学園に留まる理由がない。
「私はまだ討伐局に加入できるような実力も器もない。けど……いつか絶対追いついて、追い越すから! だから私のライバルになってください!」
オリビアは本気で頼み込む。
彼女の苦悩や歩みを間近で見ていたルミナは快く承諾した。
「こっちも望むところよ。最後の特訓してあげるから、せいぜい進んでみなさい」
「相変わらず上から目線でムカつくわね。いつか絶対ギャフンと言わせたげるから覚悟しときなさいよ、ルミナ!」
各々が各々の目標に向けて励む。
それと並行してリヒトたちは学園襲撃事件に向けて備える。
魔族戦争のきっかけとなる事件は刻一刻と迫っていた。
◇◇◇◇
王都、ジェスター侯爵家の屋敷にて。
牢屋内で軟禁生活を続けていたダグラスは、静かに立ち上がる。
違法薬物の副作用でここ二日ほどはろくに飲み食いもできず死んだように過ごしていたが、ようやく薬が抜けきった。
ダグラスは無言で身体を動かし調子を確かめる。
「……問題なく動く」
薬が抜けきったことでダグラスは正常な思考を取り戻した。
──正常な思考を取り戻した上で『復讐』を選んだ。
「リヒトさえ……リヒトさえいなければ……!」
鉄格子を握り、力のままに引きちぎる。
甲高い音を響かせて牢屋の入り口が開いた。
「俺は特別な存在だ。俺は正義のために動いただけなのに……。それなのに、リヒトのせいで俺の人生はメチャクチャになった!」
ダグラスは迷うことなく一直線に執務室へ向かう。
「俺は間違ってないのに……! なのに、なぜか俺が悪として裁かれそうになっている! 絶対におかしいッ!」
ダグラスの身体をドス黒い感情が支配していく。
「俺は正義だ! 何も悪くない! 俺を悪く言う奴は全部悪だ! 俺が裁かないといけない!」
執務室の扉を蹴破って中に入る。
驚いた様子でこちらを凝視している父の姿があった。
「だ、ダグラス!? なぜここに……」
「父上……いや、父だったゴミ野郎」
ダグラスは冷酷な瞳で父を見下す。
「俺が正義だということも理解できない愚かなテメェに生きる資格はない。死を以って償え」
「ッ……!?」
ジェスター侯爵家は戦闘に秀でた家系だ。
故に父親も高い実力を持っている。
ダグラスの放つ殺気を感じ取り、反射的に暗黒魔法を展開するが──
「俺未満の才能しか持たねぇテメェに何ができる?」
ダグラスの闇が父の暗黒魔法を呑み込む。
あっさり無力化する。
その勢いのまま父を屋敷の壁に叩きつけた。
轟音が響く。
壁が抉れ、衝撃で屋敷が揺れる。
ダグラスが闇を消すと、胸部に風穴を開けて絶命した父が現れた。
「正義執行だ」
ダグラスが踵を返そうとした時、ドタバタと足音を鳴らして母が部屋に飛び込んできた。
「大丈夫なの!? 何の音!? なにがあっ、た……ぁぁ、あああなた! あなたぁ!!!」
父の死体を見た母が泣きながら駆け寄る。
必死に名前を呼びながら揺さぶって……父が死んでいることを理解してしまった母は当然ダグラスを問い詰める。
「ダグラス! なんであなたがここにいるの!? ……あなたが、あなたが殺したの!?」
「そうだ」
堂々と肯定したダグラス。
息子の凶行を目の当たりにした母はパニックになった。
「なんで……ッ! なんでこんなことしたのッ! なんでこんなことができるの!!!」
「そいつは何が正義で何が悪かも理解できないような無能だった。こんな奴死んだ方が世のためだろ?」
「ふざけないで! そんなわけっ、そんなわけないでしょ! あなたがッ! あなたがしてることは正義なんかじゃない!!!」
ダグラスは冷酷な表情で母を見つめる。
泣きながら詰めかかってくる母の顔を鷲摑みにした。
「ぅぐっ!?」
「お前も俺に歯向かうのか。じゃあ悪だな」
一度人を殺したことで吹っ切れたダグラスは。
行動の選択肢に「邪魔者は悪だから殺せばいい」が追加されてしまったダグラスは……。
その選択肢を簡単に実現できるだけの力を有しているダグラスは──
「お前も生きてる価値ねぇな」
なんの躊躇もなく母の顔を握りつぶした。
首から上を失った母の死体が血を吹き出しながら転がる。
ダグラスは無造作に手についた血を払う。
「だ、ダグラス……坊ちゃま……」
執務室の入り口からか細い声が届く。
殺人現場を目撃してしまったメイドは恐怖のあまり腰を抜かしてその場に倒れた。
「お前も悪か?」
ダグラスがギロリと睨むと。
「ひっ……いやぁぁぁぁぁあああああああああああああ!!!? 誰か! 誰か助けてっ!!!」
殺気をもろに受けたメイドは悲鳴を上げながら逃げ出す。
ダグラスは闇で彼女を拘束し、迷いなく首を貫いた。
さらには体内から闇を破裂させることで、彼女の身体に内側から無数の穴を開ける。
あっという間に惨殺死体ができあがった。
「正義の行動を理解できないとは愚かな奴だ」
「なっ……なんだこの状況は……」
轟音や悲鳴を聞きつけ、屋敷中の使用人が集まってくる。
惨状を目撃した彼らに向かってダグラスは淡々と告げた。
「騒ぐな。鬱陶しい。テメェらも俺の邪魔をするのか?」
「リュー! お前は助けを呼んで来い! 俺たちが時間を稼ぐから行けェーッ!」
「は、はい!」
リューと呼ばれた新人の使用人が全速力で走り出す。
その光景を見たダグラスは残念そうにため息を吐いた。
「それが答えか。まあいい、正義に犠牲はつきものだ。喜べ、テメェらは俺の正義の礎となれた」
全員殺した。
これまでと同じように躊躇なく殺した。
「もうここに用はない」
こうしてダグラスは。
──正義の皮をかぶった怪物は歩き出す。
向かう先は当然リヒトだ。
「待ってろよ、テメェは必ず俺が殺してやる。俺の人生を壊した大罪人が!」
完全に人の道を踏み外したダグラスだが、まだギリギリ理性は残っているようで王都外れの河川敷を歩きながら学園に向かう。
かなり遠回りにはなるが、学園の関係者に見つかって騒ぎになるリスクは低い。
リヒトと関係ない面倒ごとは極力避ける方針のようだ。
「痛っ!」
「あ?」
どん! と。
下を向いて歩いていたダグラスは通行人にぶつかった。
尻もちをついた相手は起き上がってから文句を言ってくる。
「どこ見て歩いてんだよ、お前! ちゃんと前見て歩──」
「お前も悪だ」
「は……?」
自分から貴重な時間を奪おうとした、つまりコイツは悪人だ。
ダグラスはそう判断し殺す。
「くだらねぇことで邪魔してくんな。カスが」
殺した相手には目もくれず歩き出す。
その時、背後から呼び止められた。
「キミ! ちょっといいかな?」
「なんだ、見てたのか。目撃者は不要だ。お前も正義の礎に──あ?」
──魔族だった。
ダグラスを呼び止めた者の正体は魔族だった。
見た目は褐色肌の女性だ。
黒いフードで隠してはいるが、よく見ると側頭部から角が生えている。
魔族の女はこっそり尻尾と羽を見せてきた。
「テメェ、悪魔か。なんで魔族がこんな所にいる? 殺されてぇのか?」
「ちょっと待ってよ! ボクは敵じゃないから! キミを呼び止めたのはね、いい話があるからだよ」
「話だぁ?」
ダグラスは怪訝に思うが、何を思ったのか聞いてみることにした。
「単刀直入に聞くけどさ、キミ殺したい相手がいるでしょ?」
「……なぜわかった?」
「顔に書いてあるもん。そこでなんだけど、ボクと〖契約〗してくれないかな?」
悪魔は上目づかいであざとく頼む。
それが通じたわけではないが、ダグラスは少しだけ興味を持った様子で尋ねた。
「〖契約〗して俺になんの得がある?」
「キミだから特別に教えちゃうけど、実はボクね明日討伐者の学園を襲撃するんだよ!」
「は!?」
「魔族からしたら討伐者の存在は目障りなんだよね。あいつらさえいなければ人類滅ぼせるのに! だから戦争開始の宣戦布告として学園を潰そうかなって。
あそこならそれなりの戦力がそろってるから潰した時のメリット大きいしね」
悪魔は前提情報を教えてから、核心を持ち出した。
「〖契約〗の内容はこうだよ! キミには学園襲撃のお手伝いをしてもらう。代わりにボクは、キミが殺したい相手を殺せる機会と力を与える」
そう言って悪魔は、懐から黒い液体の入った瓶を取り出した。
「それは──」
瓶から放たれるただならぬ気配にダグラスは息をのむ。
なぜか視線が釘付けになりソレ以外のすべてが見えなくなるほどの魅力を感じてしまう。
悪魔はその薬の名を告げた。
「──覚醒薬。飲むだけで他の薬物とは比べ物にならない力が手に入る薬だよ」
「こ、これが……」
覚醒薬の存在はダグラスも知っている。
知っているからこそ、その誘惑は計り知れないほど大きかった。
(認めたくはねぇが、リヒトには違法薬物を使用しても勝てない。どうやって殺そうか……それが最大の関門だったが、覚醒薬なら全部解決する……!)
すでに一度違法薬物を使用し、さらには殺人まで犯したダグラスに自制心や正常なモラルは残っていない。
悪い意味で吹っ切れたダグラスが誘惑に負けるのは必然だった。
「いいぜ。〖契約〗してやる」
「ほんと!? やった~!」
嬉しそうにはしゃぐ悪魔に向かって、ダグラスも情報を開示した。
「実は俺の殺したい相手は学園にいる」
「マジで!? 超絶ピッタリじゃんボクたち! Win-Winの極みだって!」
「ああ、互いの思惑は一致してるってワケだ」
「うん! 明日は頑張ろうね!」
悪魔は覚醒薬をダグラスに手渡す。
(負の感情をこじらせてる人ほどよく効くってこの薬をくれた人は言ってた。……あれ? そもそもこの薬って誰から貰ったんだっけ? 確か十歳くらいの小っちゃな女の子だった気が……。
ああ、ダメだ。思い出せないや。……でもまあ、思い出せないならそれほど重要じゃないってことだよね)
悪魔は一瞬だけ違和感を抱くが、すぐにそのことを忘れる。
「キミなら絶対に勝てるよ!」
「当然だ。俺は正義そのものなのだから負けるハズがねぇ!」
リヒトが一週目とは違う未来を歩み始めたことで、一週目からは考えられない展開が起きようとしていた。