第20話 完全勝利
「俺は正義だ……! これは正義のために必要なことなんだ」
継戦不可能なダメージを受けたはずのダグラスが立ち上がる。
その身体から異様なオーラを昇らせる。
受けた傷があっという間に回復し、筋肉が一回り肥大化した。
「ォォォォ、……ォォォオオルァアアアアアアアアアアアアア!!!」
ダグラスは衝動のままに叫ぶ。
複数種類の違法薬物を大量摂取した影響で、大幅にパワーアップしていた。
「逃げろ、審判!」
「は、はいぃ~!」
リヒトの声で正気に戻った審判が悲鳴を上げながら逃げ出す。
観客席がざわつく中、ダグラスは雄たけびを上げながらリングを殴りつけた。
「ウォォォォォォガァァァァァァァァアアアアッ!!!」
ドガァァァァァンッ! と。
轟音が鳴り響き、リングごと地面が砕けクレーターができる。
ひび割れは観客席にまで及んだ。
観客席から無数の悲鳴が上がる。
「いけル……! いけるぞ! これダケの力がありゃ、人類の敵リヒトの凶行を止められる!」
自身の力を確認したダグラスは口角を持ち上げる。
リヒトに向かって邪悪に笑った。
「これガ正義の力だ! 見たかリヒト! 怖気ヅいたか!? 今からこの力で、お前とイう悪を討ち倒ス!」
「何が正義だ。正義だからって何をしても許されるわけじゃないぞ、ダグラス!」
「聞く価値ハ、ねぇッ!」
ダグラスは拳を大きく持ち上げ……。
リヒトに攻撃すると見せかけ、観客席に豪速で闇を放った。
(身体能力だけじゃない。やはり魔法の威力も強化されている!)
闇が向かう先にはルミナの姿があった。
今の彼女では違法薬物で強化されたダグラスの闇を防ぐのは難しい。
周囲に生徒たちがいる以上、ルミナが躱せば巻き込まれた彼らが致命傷を負う。
……下手したら死んでしまう。
ルミナがそんな選択肢を取るわけがない。
間違いなく自分の身を挺してでも皆を守ろうとするだろう。
だから闇よりも速く移動したリヒトが魔剣で無効化する。
「俺を倒すためなら無実の人間が死んでも構わないのかよ!」
「ソうダ! 必要な犠牲って奴ダ!」
ダグラスは生徒たちを庇ったリヒトに肉薄する。
左手で右拳を握り、渾身の力でリヒトを真下へ叩きつけた。
(これは躱しようがないな)
リヒトは素早く結界で自身を包む。
叩きつけられた勢いのまま地面に激突したが、衝撃を受け流すことでダメージを最小限に抑えた。
「ヌゥゥゥァァァアアアアアアアッ!」
闇を蹴って豪速落下してきたダグラスが勢いのままに拳を放つ。
リヒトはそれを躱し、ダグラスを蹴り飛ばした。
「グゥゥッ……! なぜ……ナゼ……ダメージが入る! 今の俺はサイキョウ……っ!」
「紛い物の力で強くなった気になるな。能力が強化されたところでお前の根本的な弱さは変わらないぞ、ダグラス」
違法薬物でA級最上位レベルの能力を手にしたダグラス。
だが、理性を捨てて力のままに暴れる相手など恐くない。
なんなら屍黒馬のほうが何倍も強敵だった。
「バーサーカーがなぜ強いかわかるか? 答えは単純、純粋な能力が自分より上だからだ。
自分と同格以下の能力しかない状態で理性を捨てた相手など、脅威ですらない」
「うルさい! ウルサイッ!!!」
暗に「お前は敵ですらない」と告げられたダグラスは怒りに呑み込まれる。
ルミナや他の生徒たちを人質に取ってリヒトが動きづらい状況を作るという当初の予定は忘れ、怒りのままにリヒトへ突撃した。
最大出力の暗黒魔法を纏って殴りかかる。
「死ネェェェェェェェッ!!!」
「だから言ったろ? 力のままに暴れる相手なんて脅威じゃないって」
リヒトは躱しながらダグラスの鳩尾に拳を叩き込む。
まさしく空気が爆発したかのような衝撃が発生し、大気がビリビリと震えた。
「がハッ……」
ダグラスは吐血し、白目をむきながらひっくり返る。
ワンパンKO。
リヒトとダグラスの実力差は圧倒的だった。
「リヒト!」
ダグラスの敗北を目の当たりにし再び静まり返る観客席。
その中からルミナがこちらへ走ってきた。
「ごめんなさい! あたしがもっと強ければあんたがあたしたちを庇って怪我することもなかったのに……!」
「大丈夫だ。大したダメージは受けていない」
心配して謝ってきたルミナを安心させてから。
リヒトは決闘の様子を見ていた教師たちに……特にそのリーダー格である担任に向かって問いかける。
「俺たちはどうなる?」
「……ダグラス君が負けたことは認めよう。だが!」
担任は渋々といった口調で認めてから。
討伐演習後の時よりも強い口調で糾弾してきた。
「貴様の存在を認めることは断じてできない! リヒト君……いや、リヒト。魔族に魂を売った裏切り者! 人類の恥! 汚物!
貴様に人権はもうない! さっそく人とは扱われないと思え!」
担任の言葉に全員が同調する。
リヒトは平民で、糾弾する者たちの中には貴族が多数いる。
状況は絶望的だった。
リヒトだけでは覆しようがない。
いよいよ学園内での立場がなくなった……どころか人として生きていけるかも怪しくなってきた。
(ただ結果を出しただけで……未来を変えようとしただけでここまでひどい展開になるとは思いもしなかった。
これは討伐局まで逃げこんでグレイ様に事情を話して匿ってもらうしかないか……?)
リヒトがどうしようのなさに歯がゆさを覚えた時。
予想外の声が響いた。
「そこの教師」
落ち着いた大人の男性の声だった。
担任は邪魔されたことに腹を立てる。
「誰だね、君は! 邪魔をするとは無粋なやつだ!」
「静かにしてくれ」
「なんだと!? いったい私を誰だと思っている? 侯爵に口答えするな、ど……!?」
偉そうに文句を言う担任だったが、声の主を確認した瞬間青ざめた表情で腰を抜かした。
「……どうしてっ、ここに貴方がいるのですか!? ──グレイ様」
噂をすればまさかの本人が登場。
これにはさすがのリヒトも驚愕した。
討伐局トップにしてウォーレン公爵家の現当主。
この場で一番位の高い人間の登場に、誰もが言葉を失う。
公爵に「静かにしてくれ」と言われて反論できる者などいなかった。
「私はただ討伐演習で気に入った者たちの普段の様子を見に来ただけなのだが……どうしてここまでろくでもないことになっているんだ」
グレイは呆れた様子で呟く。
それからグレイは──唯一ダグラスや担任の発言に対抗できる地位を持っている彼は問いかけた。
「お前たちは犯罪に手を染めるような人間の言葉をそのまま鵜呑みにして信じるような、自分で考えることすらできない馬鹿なのか?」
威力の高い正論にほとんどの人間たちは言葉を詰まらせる。
そんな中で、担任だけはなんとか反論した。
「……だ、だがダグラス君の推理には穴がない! 納得できてしまう! 証拠が出ないのが最大の証拠だと私たちも考えているのですよ!」
「お前たちのソレは推理じゃない。偏見と思い込みで構成された、ただのレッテル貼りだ」
グレイは真っ当な意見をぶつける。
が、真っ当じゃない人間が真っ当な意見で納得するはずがない。
担任はなおも食ってかかった。
「これは貴族である我々が対処しないといけない問題なのですよ、グレイ様! 我々には貴族の責務がある! ダグラス君の意思を継ぎ、人類を裏切ったリヒトに制裁を加えねばならないのです!」
「私たち貴族はなんのために存在するのか? なぜ特権を得ているのか?」
貴族としての理屈をこねくり回して自分たちに都合がいいように捻じ曲げる担任に向かって、グレイはきっぱりと告げた。
「私たち貴族は国の、たくさんの民たちの未来を背負っている。特権はその責任の対価だ。特権の大きさは責任の重さだ。
──断じて、不当に他人を貶める行為を罷り通すための特権ではない」
貴族としての在り方を説き、命令した。
「私の管轄ではないが……まあいい。学園に対してウォーレン公爵家の現当主から命じる。リヒトとルミナ、この二名に対する不当な扱いを禁止する!」
公爵家の権限を以って二人への追及を止めたグレイは、二人の前に移動した。
「心より感謝します、グレイ様! 窮地を救っていただきありがとうございました」
「助けてくださりありがとうございます」
精一杯の感謝を示すリヒトとルミナ。
二人に向かってグレイは優しく笑う。
「そうかしこまらなくていい。改めて言うが、ぜひ君たちの力を討伐局で発揮してほしい。来てくれるか?」
「はい、もちろんです!」
「ぜひお願いします!」
「そうか。前向きな返事ありがとう。では、君たちの加入手続きを進めておくよ」
グレイは改めて二人をスカウトする。
こうして近いうちに二人は討伐局に加入することとなった。
◇◇◇◇
同日、夕刻。
ジェスター侯爵家にて。
「ここから出してクれ、父上!」
ダグラスは屋敷の地下牢に幽閉されていた。
違法薬物は未だ抜けきっていないが、それなりに理性を取り戻し会話できる状況にはなっている。
そこにダグラスの父親……ジェスター侯爵家の現当主が現れた。
現当主は疲弊した表情でダグラスに問いかける。
「なぜ違法薬物なんかを使ったんだ、ダグラス……。そもそもそれを手に入れるためには犯罪者との接触が不可欠。どうして……」
「違うんだ父上! 俺は正しいことをしようとシて……! 魔族に与したリヒトを止めるためには仕方ないことだったんだ! 俺は正義ノタめに強くならざるを得なかった!
──そのための手段なら正義だろう!? そうだよな!? 父上!」
ダグラスの救いようのない言動を目の当たりにした現当主は悲しそうにため息を吐いた。
「……たとえ正義のためだろうと間違った手段を用いればそれは悪でしかないのだよ、ダグラス。ずっと……ずっと教えてきたじゃないか。
常に正しい人間など存在しないと……。正義は簡単にねじ曲がってしまうからそれを律せるような強い人間になれと……」
「強い人間だ? 何を言ってるんだ、父上! 俺は強いだろウが!」
「今のお前にはまだ理解できないか……」
それからダグラスに処遇を伝えた。
「お前は今日を以ってジェスター侯爵家から廃嫡する。学園の退学手続きも今日してきたよ……。
違法手段を用いてしまったお前には然るべき処分を受けてもらう」
「嘘……ダよな……? なぁ、父上……冗談だよな?」
「お前を育ててきた親として、私にも責任がある。ダグラス、絶対にお前のことを見捨てないから更生してくれ。罪を償ってくれ……!」
「おい……。おイ……! 父上! 正気か!? 本気デ言ってんのカ!?」
ダグラスは信じられないといった表情でうわ言のように呟いて……。
時間をかけて何度も咀嚼して。
ようやくすべてを呑み込んだところで、受け入れられず発狂した。
「なぜ! なぜなぜなぜなゼなぜナゼナゼナゼッッッ!!! 俺は間違ってイない! 間違ッテナい! 俺ハ絶対に正シイ存在で間違ってルのはリヒトでワルいのは全ブあいつぁいつぁァァぁああアアアアアアアアああああああああいつさえいなければアイツさエいナケレばァァァァぁァユルサナイ許セねぇユルセェェェェェェァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア──」
怒りと憎しみ。
ただでさえ違法薬物の影響で脆くなっていた精神にごちゃ混ぜになった負の感情が流し込まれて、ついにダグラスは壊れた。
決闘での勝利。
グレイによるリヒトたちへの不当な扱いの禁止。
然るべき処分を受けることになったダグラス。
最終的にはリヒトの完全勝利に終わった。
……と言うには不穏すぎた。