叫べ!転生!
世界の時間が止まった。
そう説明するしかなかった。
談笑するクラスメイトの声と動きが、教室を出たばかりの鎧崎さんの靡く髪が、隣の机から落ちかけたシャーペンが、その場で静止していたのだった。
「な、なんだこれ……。え、何何何!?」
あまりの奇妙な風景に僕は暫く固まってそう叫ぶしか無かった。
視界に入る教室での全ての景色がピタリ、と止まっていたのだ。
一体どうなってしまったのだろう?時計の秒針が動く音すらしないぞ……。
……僕の頭がおかしくなったのか?ストレスで?また?
――また?
僕は約1年前のことを思い出す。目の前で起きた信じがたい現象を。
隣のクラスに展開される魔法陣。荒唐無稽なことを喋る浮世離れした姿の女性。……異世界召喚の儀式。
消える生徒。都合の悪い事象を隠すかのように改竄された世界の記憶。それに取り残された自分。
知っている。
僕はこんな異常事態を確かに知っている!アレは僕の頭がおかしくなったんじゃない!
「そうだ、あの時と同じだ!世界がおかしくなってるんだ!」
「そう。この世界……正確に言えばこの街はおかしくなってるんだよね」
止まった世界の中で、僕の声に応えるように一人の男性が現れた。
片目を隠したロングヘア―。虹街有先生だった。
てっきり帰ったのかと思ったが、すぐに教室に戻ってきていたらしい。
この世界で動いているのは、どうやら僕と彼だけらしい。
「虹街先生……。何が起きているか知ってるんですか?」
「それは……。おっと不味い、時間だ」
「?」
ドオオオン!!
外で急に大きな衝撃音がしたので慌てて窓の方へ近寄ってグラウンドの方を見下ろす。言い忘れていたがこの教室は3階にあるので下の様子が全体的によく伺えた。
「……な、ななななな、なんじゃこりゃああああああ!?」
僕の眼下に映し出されていたのはにわかに信じがたい光景だった。
棍棒を持った小鬼や槍を構えて立ち上がった爬虫類のようなバケモノが、学校を破壊していたのである。
ファンタジー風のゲームやマンガなんかに出てくるゴブリンやリザードマン、そう呼ぶしか無いような外見の怪物が暴れ回っていた。幸いにもグラウンドに出ている人間はいないので被害に遭ってる者はいないみたいだが、これは……一体何だ?
本当に何が起きてる?
「結界内の異時間制御は成功している。本当は事前にもっと戦士を選んでいればよかったけど、この際彼一人に頑張ってもらうしか無いな」
「ゴ、ゴブリンにリザードマン!?何が起きてるんだ本当に!?いや、確かに1年前の異常事態が夢じゃないって分かったのはいいよ!?でもこれは流石に脳の許容範囲超えてるよ!」
「やはりこの学校に引き寄せられているか。雑魚ばかりが送られてきたのは今のところ安心だが」
「つーか時間が止まってるのは何!?ザ・ワールド!?ポーズ!?その上モンスター出現!?もうちょっと段階を踏んで徐々に異常起きて!?あ、徐々にとジョジョにってこと?いやいや何言ってんだよ僕は」
「この数なら彼一人でもなんとか出来そうだな。次までには数は増やしておきたいところだけど」
「はっ、待てよ。時間が止まっているということは……スカートの中とか覗いてもバレやしないんじゃ――」
「うおおおお!!うっせー!!」
「おぶふっ!」
パシーンッ!
適当なクラスの女子のスカートの中を覗こうと走り出す僕に平手打ちが飛んできた。
頬に強い衝撃を受け、ここでようやく僕は正気に戻る。
「……失礼しました。いや本当に。このことは時間が動き出しても黙っといてください」
「うるさい以前に教師として流石に見過ごせなかったよ今の行動は。……説明は後だ。とりあえずあのモンスターを全滅させない限りはこの時間は止まったままなんでね……これを」
虹街先生はそう言うと上着のポケットから小箱を取り出して僕に手渡した。
パカッと蓋を開けてみると、その中には銀のリングの中央に青い宝石が嵌められた指輪が入っていた。
「求婚ですか?」
「この状況でそんな小ボケかますかよ。君、落ち着いたら落ち着いたで変な子だな?もっとおとなしい子かと思ってた」
「そもそも無口な奴じゃないんですよ僕は。色々あって避けられてたから人と話す機会が少なかっただけで……。で、これ何ですか?」
とりあえず指に嵌めてみる。青い宝石が教室の窓から差し込む陽光を反射してキラキラと輝いている。……綺麗だ。
まるでこの世界の物じゃないかのように美しいと感じてしまった。
「これはあのモンスター達と戦うための力、天恵だ。これを使えば君の身体能力は遥かに向上し、あの程度のモンスターなら余裕で倒せるようになる。…………筈だ」
「最後ちょっと小声だったんですけど?あ、こら。目を逸らされると不安になる。とりあえず、これを使えばアイツら倒せるんですね?」
「……いいのかい?まだ大した説明もしてないが、戦ってくれるのか?」
「ええ。アイツらが異世界の怪物だってことはなんとなく分かりました。そしてアイツらを全滅させないと多分地球がヤバいってことも」
「……ああ」
「異世界なんて大嫌いです。異世界召喚なんて物が起きちゃったから、僕は学校で狂人扱い、灰色の学校生活を送ってきたんですよ」
異世界のせいで平穏だったはずの僕の生活はめちゃくちゃだ。……前から友達はいなかった気がするけど。
その異世界が再び僕に迷惑を掛けようとしている。許してなるものか。
「陰口だって毎日のように叩かれてイライラしてたんだ。アイツら全員ぶっ飛ばして、ストレス解消してやる。これまでの灰色の人生全部異世界のせいにしてやる!これの使い方教えてください!」
「……なんか動機が真っ当でない気がするが、すんなり戦ってくれるならまあいいか。宝石の台座部分を右に回すんだ」
言われた通りに指輪の台座を動かす。
『Get Ready?』指輪からそんな機械音声のような声が鳴った。特撮番組や変身ヒロイン物に出てくる変身アイテムみたいだな、と思った。
すると宝石が脈打つように輝く。力の解放を待つかのように、力強く。
「宝石を押すんだ。そうすれば君は変われる!」
変わる。
――変わる。
本当は異世界のせいで暗い学生生活を送ってきたなんて、そんなこと違うんじゃないかって分かってるんだ。
変な噂を否定もせず、他人と関わるのを面倒臭がってそのまま放置した自分のせいだって。
噂を広められるのも、陰口を叩かれるのも本当は嫌だって分かってるのに、そのまま放っておく選択をしたのは自分だ。僕は自分を取り巻く環境を変えようと思わなかった。
他人と関わるのが嫌で、面倒臭くて。
周りに流されるままの方が楽だから。自分で行動するのが面倒で……怖かったから。
だが、そんな自分と今度こそ決別する時が来たんだと思う。
ロクな説明は受けていないが、眼下で群れている怪物を倒さなければこの世界が危ないのだということは理解出来る。この世界が。この学校が。
僕に話しかけてくれた白雪恋と鎧崎彩羽。
今日一日、一瞬だけどちゃんと僕の目を見て関わってくれた彼らの顔が脳裏に浮かんだ。そして次に母と、義理の父と、義妹と。
それだけの人間の顔しか浮かばなかったけど、僕の力で、僕の世界を守れるなら。
やってやろうと思った。そう強く思った。
そして、宝石に指を当てる。
変わるために。
何もしない自分から、生まれ変わるために。
「――転生!!」
バシィッ!と鋭い音が鳴り響いたと思うと、僕の身体は変わっていた。
服装は先ほどまでの学生服と違い、青を基調とした騎士風の制服に変わっていた。そして腰には鞘に納められた長剣が携えられている。
まるでファンタジー風の作品で華々しく戦う勇者のような恰好だな、と思った。
「よし!適合成功か!それにしても――」
変わった服装を色々と眺める僕に向かって、虹街さんがコホン。と咳払いして言った。
「さっきの何?転生!ってやつ……。あの、別に言わなくていいからね?変身!とかエマージェンシー!みたいな掛け声。特撮ヒーローじゃあるまいし」
「…………え」
やっべ。声に出てたのアレ?
「まあ個人の自由か。そのくらいの年頃なら舞い上がって何か言いたくなっちゃうのも分かるよ。ボクも小さい頃見てたしねー。ナントカライダーとかナントカジャーとか」
「あの、すみません。忘れてもらっていいですか」
「でも、変わる。変わる。とかブツブツ呟いてたのはちょっと怖かったな~……。何?何かの詠唱?そんなノリノリだとは思わなかった」
「あのモノローグ全部声に出してたの!?やっべー……。音読癖あるっぽいな自分……。もしかして今までも心の声とかちょいちょい漏れてた?周りから避けられてたのってこれも原因なんじゃ……」
「あー、もう。一人反省会してる暇があるなら早く行ってきてくれ!頼む!」
虹街さんは頭を抱えて蹲る僕の頭をポンと叩いてから、窓の外を指差した。
相変わらず異世界のモンスター達は群れてグラウンドを荒らし回っている。何が目的なのかは分からないが、何か邪悪な意志のような物は感じた。
奴らを放っておくと危ないのだろう。
「っしゃあ!行ってきます!」
僕は教室を飛び出し、階段を下りてグラウンドへ向かおうとする――。
「窓から飛び降りた方が早いよ?」
背を向けて走り出そうとした僕を虹街さんが呼び止めた。
窓をガラガラと開けている。
「え、そんなことしたらケガしちゃうじゃないですか。ここ3階ですよ?」
「身体能力が強化されてるって言っただろう?そんなことくらいでケガしないよ」
「じゃあそうします」
え、でも3階ってたけ―……。
恐る恐る窓の下を覗き込むが、さっきから身体がやたら軽く、何でも出来る気がしたので多分大丈夫だと思った。
「じゃ、改めて行ってきます」
とうっ!と僕は窓の外へ飛び降りる。
流石身体能力が強化されていると言うだけあって全然恐怖を感じない。重力に従って勢いよく僕の身体は落ちていく。
あ、そうだ。どうせならアレやってみたい。両足と片手の三点を地面に着けて着地する三点着地。
所謂、スーパーヒーロー着地というやつだ!
衝撃を一切殺さない体制と勢いで地面に着地し、ズドオオオオン!!と大きな地響きが鳴り響いた。
そして。
「いってえええええええええ!!」
普通に膝が痛かった。痺れるような痛みに僕は蹲る。
骨折してないだけ凄い。これが身体能力の強化によるものか!
「人選、間違えたかなぁ……」
3階の窓からそんな声を聴きつつ、僕は改めて立ち上がって腰の剣を抜く。
地響きの音で僕の出現に気付いたのか、数体のモンスターが一斉に僕の方を向いた。
もう後戻りは出来ないなと感じた。だが、不思議と恐怖や不安は無かった。
身体能力の強化の実感が湧いて自分に自信が湧いたのだろうか?
――望むところだ。かかってこい。
「かかってこい」
そう啖呵を切っていた。
やっぱり心の声の音読癖あるなと思った。