どうやったら変わるんだろう
お話の主人公になるにはどうしたらいいのだろう。いや、べつにお話の主人公になりたいわけではない。
ただ彼らのように激しい感情に襲われて、感情に突き動かされるような日々を送りたいのだ。今の私には何もない。どんなに心配しようがしまいが、この日々は続いていく。私は健康だから事故にでも合わない限り、明日は当たり前のように来る。何を感じようが、思おうが、考えようが、明日は決まって来る。これが幸せなのかはわからない。
ただ目の前にあるやらねばならないことだけに目を向ければいいじゃないか、そうとも考えた。しかし、どうも、やる気が起きない。私はもっと刺激的な日々が欲しい。
その刺激は、きっと簡単に手に入るものなんだ。私は今19歳、大学2年生だ。今をきらめく19歳。望んでその気になれば、なんだってできてしまう、魔法使いのような19歳。日々がつまらない、何もない、明日が来るのが嫌だと思っていても実はまだ私にはエネルギーが有り余っているのだ。なんてったって若いのだから。でも、私はそのエネルギーの存在を実感できずにいる。
何かに打ち込みたい。誰かが何か打ち込めるものを私に与えてくれればいいのに。何か刺激が欲しいと思いつつも今の私は完全に受け身の姿勢だ。刺激とか、感情を突き動かす何かはきっと求めなければ得られないという訳ではないのを私はどこかでわかっている。それがいけない。積極的に求めて行動しない限り、私を生き生きとさせてくれる刺激は手に入らないものだと思っていれば、もっと努力のしがいがあったかもしれない。でも、私は知っている。感情を突き動かして私を飽きさせないでいさせてくれるものというのは、時に不意に簡単に手に入ってしまうものなんだ。
だから、今の私は可能性の海の中にいると言えると思う。その海の中には可能性が満ち溢れている。私はそんな海にいながら可能性の海水を掬うことができないでいる。可能性の海の中にいるのだから、自分の体の周りに可能性の海があるのだから、あとは掬うだけで簡単なことなのに、どうしてそれができないのか。簡単なことなのに動けない。ただ海の中にぼーっとしながら私は漂っている。
でも時々、海水の中にお日様の光が反射して綺麗にひかる貝殻の破片をみつけて不意にそれを手に取ってみようという気が起きる。いざ手を伸ばしその貝殻の破片をじっくり眺めてやると、光の当たり方が変わって、さっきまできらめいていたはずの破片が突然鈍い色に見える。するとやっぱりすぐに見飽きてしまって、再び私は両腕をぶらりとさせて海の中でぐったりと漂うだけになってしまう。
ぐったりと海の中を漂うだけで何もしていないようだけど、それでもずっとしていることがある。私は考えるのだけはやめない。海に揺られ感情がなくなっていくのと同じくして考えるスピードは落ちていって、どんどんと海の中で意識だけが考えなければと焦っていく。それでも私は考えている。焦りながらも、ゆっくりでも、考えている。
可能性の海の水を掬うと、海水が心に思考に染み込んでいって、心とともに動き進む思考は救った海水をエンジンにしてどんどん加速していく。つまり、何が言いたいかというと、海水を掬ったところで大事なのは、思考がぐるぐる回って加速し続けることなんだ。大事なのは心が混じりながら回っていく思考なんだ。だから、思考することだけはやめない。
海水は心とともにぐるぐる思考をして感情を生産するためのスパイスに過ぎない。スパイスがなくたって料理は作れるのだ。そう思って私は思考し続ける。海を漂いながら頭の中で料理をしている。料理をしなければなにも、美味しいご馳走なんてできないけれども、料理さえすればいつか美味しい料理ができるかもしれないのだ。漂いながらもこれだけはやめてはいけない、としがみつくように私は思考している。
でも、スパイスを入れた方が味にパンチが出て美味しくなることが多い。少しのスパイスで味が随分ちがうことがある。それもわかっている。わかっているけれども、海は大きく広がり過ぎて、スパイスは何種類もあり過ぎて、私はどれを掬いとったらいいのかわからないのだ。しかし、心を動かしてくれる何かを求めつつも動けずに海の中をぐったりと漂っているという内容を書き記しただけで、それが海水を掬うことになっているというのは不思議な感覚がする。




