ディラン・ラーシュ③
鬱憤を全て晴らして空っぽになってしまったのか、ディランが落ち着きを取り戻したのだ。
ハダルの答えを待たずして去ろうとするディラン。
ハダルは咄嗟にいつも通りの太い声で呼び止めたのだが、内心では相当の焦りを感じていた。
このままでは今までの全てが水の泡になってしまう。それだけは避けなければいけないと思ったハダルは、作戦を変更し、最後の切り札を投入した。
「いくら束縛されるのが嫌いと言っても、俺にはお前がそこまでヘブンズ・クラムに行きたくない理由がさっぱり分からんな。……もしかして……、プライドの高いお前のことだ。入ってから同年代で自分より強い奴に出会うのが嫌なだけではないのか?」
「……今、何て言った」
ディランは戸から手を離すと、顔だけハダルの方を振り向いた。その瞳は既に怒気を帯びている。
それを見たハダルの口元が紐がほどけるかのように緩んだ。
「お前、世界がどれだけ広いか知っているか? 実は俺も知らないんだ。ヘブンズ・クラムには、世界中の人々が蒼術を学ぶためにやってくる。それでも入れるのはたった百人のみ。俺は正直お前なら合格するぐらいは余裕だと思っていたのだが、それもただの思い過ごしだったみたいだな。まさか落ちるのが怖いからって、受ける前に逃げ出すとは、さすが悪知恵の貴公子ディラン。これなら誰も同年代で自分の上をいく奴がいるって証明できないからな」
最後にわざとらしく口を大きく開けながら笑声を付け足す。今の言葉には少し大袈裟過ぎる部分もあったが、ハッキリ言ってやりすぎだった。
縦に歪んだ唇。眉を大きく吊り上げて、血管がはちきれそうなぐらい浮かび上がっており、顔は茹でダコそっくりに真っ赤になっている。
よく目を凝らしてみると湯気が見えてきてもおかしくない。
雷鎧【ライトアーマー】
変わりにディランの身体からは、バチバチと静電気のような音が立ち、ディランを取り囲むようにして髪と同じ色の光が、コンマ一秒毎に点いたり消えたりしだした。
それは、まるで電気を身に纏っているかのようにーー
ディランは右手の掌に電気を集めると、そのまま拳を握りしめた。電気は細かい粒子となって蒸発していく。
「親父、確か俺がこの技をマスターした時、普通の奴ならあと五年はかかるって言ったよな? 俺だって世界の広さなんて知らないし、見当もつかない。けどな、これだけは自信持って言えるぜ。ーー俺と同い年の奴で俺より強い奴は存在しない。」
ディランは身体ごと振り向くと、目を大きく開けて続ける。
「逃げ出すだって? 笑わせるなよ。俺がその気になれば、……ならなくてもだが、首席を取ることだって楽勝なんだよ。だからそんな餓鬼のお遊戯広場みたいなとこに行ったら逆に弱くなっちまう」
「なら、受けたら首席が取れるんだな?」
「あぁ、そんなの朝飯前だ」
自信たっぷりにそう言ったディランの言葉を聞いたハダルは、ゆっくりと腰を上げた。
ーー決まったな。
とにかくこれが聞きたかった。‘首席が取れる’。
ハダルはまだ雷鎧を解除していないのにも関わらず、ディランに歩み寄った。
一メートル手前まで来たところで、ハダルは右腕を軽く前に伸ばした。
ディランの雷鎧は、自分を中心として半径30センチ以内にある物体をディランの意志とは関係無しに電流を浴びせるという、雷属性の技の中でも上位に中る技なのだが、ハダルはお構いなしに尚もその手をディランの顔に近づけ……。
ハダルがやろうとしていることに気づいたディランが「あっ」と声を洩らしたときにはもう既に遅し。
ハダルの腕は焼け焦げることなく、虫を祓うかのように手首だけを横に振った。
瞬間。
空気が豪快な音を立て突風を巻き起こす。それに伴いディランの首が後ろに吹っ飛ぶ(ちゃんとくっついてはいる)更にディランが纏っていた電気も風で飛ばされ、同時に光りも消え、元の姿に戻った。
「ほう、この距離からでも身体ごと飛ばされないか、半年前とは違って雷鎧もかなり強化されているな。」
最後に、ハダルがディランに今と同じように手首一振り、をしたのが約半年前。その時も今回同様、半ば不意打ちでしたのだが、何の抵抗もなくディランは見事に後方へと宙に浮いた。例えるなら、半年前が風船で、現在は岩。
ハダルは床に視線を落とし、ディランの足下を注意深く眺める。畳の擦れた後がくっきりと浮き出ているのが見て取れた。これはちゃんと踏ん張って堪えたという証。
普通に判断すれば、本能的な防衛反応。だが修業を怠けている者が半年でここまで成長するのは、本来ではあり得ない。
となると考えられるのは、ディランが生まれながらして持つ、闘いの才能。
ーー全く恐ろしい奴だと、嫉妬が入り混じった溜息をつくと、ハダルはディランに声をかけた。
「ちゃんと首は引っ付いているか? もし後ろに曲がって元に戻らないようなら今度は逆からやってやるぞ」
「引っ付いているに……ゴホ、決まってんだろ。ゴホゴホ……、俺を誰ゴホッ、だと、思ってんだよ……」
どうやら風が喉仏に直撃したらしく、喉元を手で押さえている。やがて咳が収まるとディランは、目の前で楽しそうに半笑いを浮かべている男に、疑念の眼差しを向けた。
「相変わらず訳の分からん技を使いやがって……。それに毎回思うんだが、本当にそれ雷属性の技なのか? 風属性とかじゃないだろうな」
「何が風属性だ。そんな物存在するわけないだろう。……だがまあ、今の技の正体を見破れないようでは、ヘブンズ・クラムで鍛え直すしかないな」
「……まさか、そのために俺を攻撃したんじゃないだろうな……」
まだ痛みが残っている喉をさすりながらディランは言った。唾を飲み込むのも辛い状況だ。
雷鎧を吹き飛ばしたのは紛れもなく、ハダルが起こした風。そして纏っていた電気、ーー鎧が剥がされた。
それだけでもディランにとっては屈辱的だった。のにも関わらず、ハダルの風はディランに襲いかかった。細かい刃で切り刻まれるのではなく、金属バットのような鈍器で殴られた感覚。
「今のお前ではいくら考えても無駄だ。それと、さっきのはお仕置き。無断で家の中で蒼術を使用した罰だ」
「……」
黙り込むディランを見て、ハダルはようやく本来の目的を遂行し始めた。
「一つ賭けをしないかディラン?」
「賭け? 何のだ?」
「もしお前がヘブンズ・クラム適性試験でトップの成績。ーー即ち、首席合格が決まったらお前はもう学園に行かなくていい。俺が責任を持って入学を取り消してやろう。その後は好きにするがいいさ。何も口出しはしない。だが、万が一お前が首席を取れずに合格した場合は、そのまま通ってもらう。どうだ?」
相槌を打ちながら中々面白そうだなと思っていたディラン、いや、悪知恵の貴公子は、この数秒で究極の秘策を編み出した。
「よし、その賭け乗った」
ーーだけだった。もしかして親父って他人の心を読むことができるのか? と思ったのはこの時が最初だった。
ハダルは部屋から出る際に、ディランの肩に手を置くと耳元で囁いた。
「分かっているとは思うが、合格できませんでした、とかいう結果になったら、今度は喉が痛いでは済まさないからな」
早くも究極の秘策を打ち消されたディランは、指先をピクピクと震わせながら片手を上げて答える。
ハダルから出る、冷気のような威圧感にビビって声が出なかったのは、さっきのせいで喉の調子が悪くなったからだと、心の中で醜い言い訳をしながら……。
ハダルが廊下に出たのを確認するとディランは、唇を噛みしめながら空中で汗を垂らして小刻みに震えていた腕を胸の前へと持ってきた。
「絶対に首席をとって自由になってやる。俺がこの年代で最強だってことを証明できて、尚且つ誰からの邪魔も受けずのびのびと過ごせる。一石二鳥だな。フフフフフフ」
ニヤニヤしながらイヤらしい笑い声をあげるディランだが、一つだけ不安要素があった。
それは、今回の賭けを父親の方から提案してきたということ。
今までにも似たようなことは何回かあった。事ある毎にハダルは、ディランに賭けを挑んできて、負けた方はペナルティーを食らう、というのを繰り返してきた。
もちろんそれの逆もある。それが今回の不安要素。実は二人の賭けで、ハダルの方からの勝負で、ディランは一度も買ったことがないのだ。
条件は比較的公平、むしろディランは自分の方が有利だと思っているときもあるのだが、ハダルは予め自分か勝つことを前提としているため、最初からどちらが勝つかは決まっているのだ。
少しずつそれに気づき始めたディランは、何があっても向こうからの勝負には乗らないと決めているはずなのに、ついつい乗ってしまう。
今回だってそう、条件を出してきたのは相手の方なのに、自分が圧倒的に有利だと思ってそのまま条件を飲み込んだ。
簡単に言えば、ディランはハダルに一種のマインドコントロールを受けていたと言っても過言ではない。
だがそれは、この二人だからこそ成し得ることができるのだがーー
「……今回は俺が勝つ。親父が何を考えているかは知らないが、俺がもし受験した場合、首席で合格する。これはもう決まっていること。いくら親父でも物事の事象に干渉することはできない」
静かに意気込んだディランは、拳にいっそう力を込めた。
その拳の行き着く先が、どこにあるかも知らずーー