サウスの真実
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それは森の木の葉が芽吹き始めた日の夜であった。
日中は太陽の陽射しが暖かく照っていて一年の中でもかなり快適な温度なのだが、日が沈むと一気に肌寒くなるのも特徴の一つだ。
だが今日だけは、そんな寒波を吹き飛ばすような熱気が、このミヤレビ村にはあった。
「いよいよ明日からか、荷物の準備はすんだのか?」
「荷物て言っても最低教科書と寝巻きさえあれば問題ないらしいから大丈夫だよ、父さん」
夕食の用意が整うまでの間、サウスは向かいに座る父親──グルムと他愛もない会話をして時間を潰していた。
「それにしても私達の子供がヘブンズ・クラムに入学するなんて未だに信じられないわ」
台所の奥から声がしたかと思えば、母親のテーゼがミトンをはめた両手に大きな鍋を抱えてやってきた。
テーブルの中央に置いて蓋を開けると、中から真っ白な蒸気が一気に放出される。
「何を言っているんだ、俺の息子だからそれぐらいは当然のことだろう」
中をのぞき込んで鼻から息を吸んだグルムは、唇の両端をつり上げてにんまりと笑った。
「自分は落ちたくせに偉そうに言わないの、ほら、リアン、ラビ、ご飯食べるわよ」
テーゼは呆れ顔で嘆息すると、リビングでじゃれあっていた二人の子供にも声をかけた。
「「はーい!」」という可愛らしい返事とともに席についた二人。
トルマクト家は長男がサウスで、その下に八歳の妹リアンと七歳の弟ラビがいる。まだ多少の幼さは残っているものの、その分元気なことが取り柄の弟と妹だ。
父親のグルムは普段週に二、三回の頻度で町に働きに出かけ、それ以外の日は家の畑の世話などをしている。
「お兄ちゃん明日からどこかに行くの?」
事情をよく知らないラビが不思議そうに訊いてきた。
「ああ、勉強しに行くんだよ。ラビもそのうち行くことになるかもしれないぞ」
「兄ちゃんリアンは? リアンも兄ちゃんも一緒のところに行けるの?」
「そうだな、女子も何人かいるみたいだし……確か今年は学長の娘も入学するんだっけか。てっきり主席かと思っていたけど三番目だったんだな。それでも俺より一つ上だけど」
「マルコさん達にはもしかしたら首席がとれるかもしれないって言われてたのにね」
テーゼが皆の皿におかずを取り分けながら不満じみた言葉を洩らしたが、サウスは首を小さく横に振って苦笑した。
「まあ俺も期待してなかったわけではないけど、十分満足してるよ。追い越す目標があって丁度いいし」
それは本心だった。父母と違って蒼術の能力がずば抜けて高かったサウスは、一年ほど前からこの村を護衛していた双子の卒業生から手ほどきを受けていた。
それによって新入生の平均値を大きく上回ったのだが、上には上がいることを知り、更にやる気が出てきたのである。
サウスに蒼術を教えた者の名はマルコ兄弟といい、これまでの護衛の人達に比べて気軽に接しやすかった。
サウスが入学する前から実力を兼ね備えていたのは、この二人がいてこそ成し得たものと言って過言ではない。
「俺はまた夏休みになれば一旦帰ってくるから、それまでリアンとラビはマルコさん達に蒼術を教えてもらったらどうだ?」
「父ちゃんでもいいぞ?」
サウスの話に乗っかってグルムが親指で自分を指さしたが、リアンとラビは一瞬そちらに視線を向けただけで、すぐに揃って唇を尖らせて言った。
「ええー、僕はお兄ちゃんがいい」
「リアンもー」
「だそうよサウス」
すぐ側でうふふと微笑むテーゼ。グルムが無視されて傷ついていることは全員スルーだ。これは多々あることなので、勝手に立ち直るまで放っておくのがベストだとサウスもよく理解している。
「じゃあちゃんと教えてやるから、たまには父さんとも遊んでやれよ」
「はーい!」
「わかったー!」
「よかったわねあなた」
これだともう誰が父親なのか判別がつかない。だがこんな不思議な光景こそが、トルマクト家の日常だ。
今の生活に不自由がないといえば嘘になる。大雨などで畑が荒れ果て、食料困難に陥るときだってある。
それでもサウスは幸せだった。例え貧しくても帰る場所が──一番の宝である家族が、そして村人が暖かく迎えてくれる。
自分がいなくてもミヤレビ村にはマルコ兄弟がいるので心配する必要もない。
だからサウスは村を離れ、学園に行く決心ができた。両親に自分のやりたいようにやれと言われ、小さい頃からの憧れであったヘブンズクラム、そして念願の友達ができる。
「──じゃあ行ってくる」
村人総出で見送ってくれたときにはどこがこみ上げてくるものがあった。
歩きながら何度も後ろを振り返るサウスの目に焼き付いた、家族や村人達のすがすがしい笑顔を彼は決して忘れないだろう。
学園に入ってからは驚きの連続だった。ゼロ・フォークス、ディラン・ラーシュ、メリー・フェンリル、自分より優秀だった三人だが、ハッキリ言って次元が違った。
入学してすぐに自分と三人を隔てる大きな壁があることを悟り、同じクラスなのに手を伸ばしても絶対に届かない──まるで今までの自分を全て否定されたような気分だった。
案の定その三人は一年生ながらも各属性で最も強い者と見なされる五神帥となり、努力しても意味がないということに気づき始める。
その原因の一つが、ディランの普段の行いであった。
実を言うとサウスは、席が近いからという理由でディランとはそこそこ仲が良かった。
授業自体にはほとんど顔を出さないが、たまに来たときに気怠そうにしているディランに話しかけるのは、自分が一番多かったと思っているほどだ。
「なあディラン、お前って何でそんなに強いんだ?」
「またえらくストレートな質問だな……」
「それじゃあ蒼術の修行はいつからやっていた?」
「うーん、気がつけばって感じかな……とりあえず親父に死ぬほど鍛えられたことだけは確かだ」
「なるほどな……」
──やっぱ生まれつきの才能……か。
この先追い抜ける日はもう来ないのではないかと半ば諦めかけたサウス。
だがこの時一つだけ、サウスは胸の内に、ある目標を立てたのである。
瞬く間に時間は過ぎていき、夏休み前日となった。
「みんなも家に帰るのか?」
「俺はそのつもりだ」
「僕も」
「あたしはここが家みたいなものだけど……」
一学期も終盤になってくると、この四人のメンバーが知らず知らずのうちに定着していた。
サウスは他にも友達はいたが、ここが居座っていて一番居心地がよかった。
聞くところによるとディラン達三人はつい数日前に壮絶な戦闘を行ったようなのだが、あまり詳しくは話してくれていない。
今はそれでもよかった。いつかその時が来れば、それは自分が認めてもらえたという証になる。
──そのためにもまず、夏休みは特訓だ!
久しぶりに家族に会えると高揚しながら、サウスはミヤレビ村へと帰還した。
***
「どうなってるんだ、これは……」
そこにあったのはミヤレビ村──ではなく、何かによって壊滅した集落の跡地のようなものだった。
一瞬、道を間違えたのか? と現実に背くような考えがよぎったが、サウス自身の目は真実を映し出していた。
「父さん……? 母さん……? リアン……ラビ……」
消え入るような声音で、壊されて扉のない家の中に入る。
「父さん……!」
血が飛び散った床に滑りそうになりながら、サウスは奥で倒れていたグルムに駆け寄ると上半身を抱き起こした。
──冷たい。
「そんな……」
両目から流れ出る涙が止まることはなかった。共に夕食を食べていたのが随分昔のがとのように感じる。この分だと村人全員がこうなったと考えるのが妥当かもしれない。
サウスは辺りを見回して他にいないか捜していると──
ピキッ──という木を踏みつけたような軋んだ音が耳に入った。
「──誰だ!」
「……君はこの村の人かい? ごめんね、僕が来たときにはもう手遅れで犯人は取り逃がしてしまったよ」
白いパーカーを着た黒髪の青年。男は目にかかる前髪を持ち上げると、フッと口元を緩めた。
「やあ、初めまして。 僕の名前はリュウ。突然だけど、死んでしまった君の家族や村人達を生き返らせる方法があるのだけれど──」
それは、全てが歪み始めた瞬間だった。




