黒の雷
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身体に痺れが残っている。だが不思議と痛みはそれほど感じられない。
──よし、骨は折れていないな。
地面にうつ伏せになっていたディランは指先に力をこめて起きあがろうとした。少し動かすだけで汗水が髪の毛の先からこぼれ落ちる。
「ふーっ、制服がボロボロだ。けっこう高いんだぞこれ……」
元々は白を基調としているはずなのだが、目立っているのは黒く縮れた箇所ばかりである。
強風が吹いたりさえすれば、すぐに灰と化すのではないかと思いながらディランは丁寧に土を払い落とし、視線を前方に向けた。
「……元気そうだなサウス」
「それはこっちのセリフだぜディラン、完全に意表をついたと思ったんだがな……」
「あれはさすがにビビったぜ。本当に死ぬかと思った」
「けどお前は生きてる。あの距離をかわすとか洒落になんねえよ」
苦笑いを浮かべて賞賛するサウスだが、ディランとしては素直に喜ぶことはできなかった。
なぜなら、全く覚えていないのだ。一体どのようにしてサウスの【迅雷剣】から逃れたのかを。
気がついたら身体が勝手に反応して自分でも信じられないぐらいの驚異的なスピードで回避していたのだ。
それは死に直面した際の突発的防衛反応が働いたのか、はたまた内に眠る別の力なのかは分からない。
ただ一つだけ明らかになっていることは、それこそ全身が鉛になったみたいに四肢を動かすのも辛い状況だということだ。
それとは別に、サウスの身体の方も既に限界を大幅にオーバーしていていつ意識を失うかは時間の問題、最悪の場合は死もありえる状態だった。
先ほどから咳き込む度に吐血を繰り返すサウスの手と足場周辺は真っ赤に染まっている。
今のサウスの実力では体力が万全のときに本気の【迅雷剣】を一発放てるのがやっと。
本来ならばその後すぐに身体を休ませて回復に努めなければならないはずが、構うことなく二撃目を撃ってしまった。
これは体力や実力どうこうの問題ではなく、サウスの中の強い意志と直結して成しえることができたのであろう。
「サウス……もうこれぐらいにしておこうぜ」
「どうしてだよ」
「これ以上俺達が戦っても意味がねえだろ。今回は引き分けってことで続きはまた今度だ」
もしこのまま続ければどちらかが死ぬことになるとディランは確信していた。
サウスはディランにとって数少ない友人の一人。こんなどうでもいいことで変なわだかまりができるのは嫌だった。
だが、そんな甘い考えで戦いに臨んでいたのはディランだけであって──
「何寝ぼけたこと言ってんだよディラン、まだ戦いは終わってねえぜ」
嘲るような口調でゆらっと顔を上げたサウスは微弱ながらも放電を始めた。
「お前何やってんだ……」
これにはディランも唖然とする他なかった。徐々にだが、激しさを増していく電気に後退をするディラン。
──どうすればいい。
様々な選択肢が頭の中で渦巻く。
──恐らく今のあいつには何を言っても無駄だ。力尽くで止めるか?
それが最善の策だとは思うが、上手くいく自信はなかった。どこからそのような力が沸き上がっているのか不明だ。
一体何がサウスを衝き動かしているのか、ディランは知る必要があった。
──どうしてあいつはあんなにも悲しそうな目をしているんだ……。
それは決して戦闘中に見せるはずがない潤んだ瞳。
ずっとディランを見据えていた黒い瞳が、不意に横にズレた──
少し遅れてディランも気づく。自分達以外の者が現れたのだ。
背後に出現した人の気配にディランが振り返って確認すると、それはよく見知った者達であった。
「君達は……」
「こいつらがやったのか……?」
ライニッツとヴァンがそれぞれ辺りを見回しながら、変わり果てた地形に驚愕していた。
「ライニッツさん、それにヴァンさんも……」
何から話せばよいのかとディランが口ごもっていると、ディランとサウスを見やったライニッツは大凡のことは理解してくれた。
「なるほど、とうとう動きだしましたか」
「ライニッツさん、サウスの様子がおかしい理由を知ってんのか!?」
ディランはすがりつくような眼差しでライニッツに詰めよった。
人前でこんな情けない表情になるのは初めてだと自覚しながらも、それ以上に自分ではどうすることもできないという己の無力さを受け入れていた。
「彼はあなたを倒すか、誰かに倒されると元通りになるはずです」
ライニッツが告げたのは原因、理由ではなくてそれの対処方法。
「倒すか倒されるか」
「オレが手を貸してやろうか?」
ヴァンが肩を回しながら訊いてくる。
──この人はただ単に戦いたいだけだろ、と心の中で突っ込みながらディランは首を小さく横に振った。
確かにヴァンが加勢してくれれば簡単に終わらせることができるだろう。だがそれだと意味がないような気がした。
「これは俺とサウスの戦いだ。二人は手を出さないでくれ」
「……チッ、しゃあねーな」
「気絶させるだけで構いません。その先のことは私が何とかします」
ライニッツはともかくヴァンが少し心配だったが、納得してくれたようだ。
背中を向けてサウスに向き直ったディランにライニッツは治療しようかと提案したけれども、ディランはそれを断った。
「それだと勝っても全然勝った気にならねえからな」
拳を胸元で強く握りしめたディランも、サウス同様に金色の電気を身体中に迸らせた。
※※※
「本当にやらせていいのか?」
二人が戦っている真の理由を知っているヴァンがライニッツに訊ねた。
「彼は何も考えずにがむしゃらにやるのが一番よいのです。──それに、私達にもやるべきことはちゃんとありますよ」
ライニッツは赤い空を仰ぎながらぽつりと呟いた。
「どうせどこかで見ているのでしょう、リュウ……」
※※※
「サウス、今すぐにそのイカレた頭を元に戻してやるぜ」
吹っ切れたせいか身体が軽く感じる。今なら何をやっても上手くいく気分だ。
「それでこそディランだ。俺はそんなお前に憧れ、ずっと越えたいと思っていたんだ。けどな──」
サウスは空気中に拡散させていた電気を一度弱めると、ブレザーの内ポケットから小さな豆粒のような物を取り出し、そのまま口に放り込んで飲み込んだ。
「俺は勝たなければいけないんだ、例えどんな手を使ってでも──!」
──刹那、サウスの周りに漆黒の煙が立ち込み始めた。黒い砂嵐が巻き起こり、その中で電気の発電する音だけが響いている。
「何だこれは……」
目映い閃光が煙を弾き飛ばし、中にいたサウスの姿が露わになる。
初めて目にするその光景に、息を呑むディランの背中に一筋の冷や汗が伝った。
「父さん……母さん……リアン……ラビ……村の皆……もう少しだけ待っててくれ」
片手を振り払うだけで高圧の電力が鋭い音を立てて突風を生み出す。
ディランはサウスが纏う電気を見て、喉の奥から声を絞り出して言った。
「黒の……雷……」




