帰還②
「あぁ」
ハダルは最小限の返事だけで済ませるとアミハルをユーリッドの隣に置き、瞼を閉じて眠る黒ローブの三人を見下ろした。
垂れ下がった金色の髪の間から覗く黒い瞳は心の底から悲しんでいるーー全員がそう思えるほど、どこか痛感させるものがあった。
「この方はハダルさんが……?」
ハダルの隣に移動してしゃがみ込んだライニッツは、アミハルの手足を撫でるようにして少しの治療を施しながら、念のための確認をとった。
念のためというのは、アミハルを見た瞬間、一体どういう経緯でこのような食パンを焦がしたかに見える状態になるのか、ライニッツはその方法の見当がついていたからだ。
それは普段なら絶対に浴びることのない、高圧の電流を身体が直接受けること。
「ちゃんと手加減はした。命に問題はないはずだ」
「まあ確かにちょうどいい感じの焦げ具合ですね……」
とライニッツが冗談じみた苦笑いを浮かべるが、実際は問題大ありだ。
「あいつ……親父の電撃をまともにくらったのかよ」
ハダルの恐ろしさを最もよく知る人物ーーディランが本気で身体を震わしていた。
もうそこに敵も味方もくそもない。あるのはただ一つ。
「こればかりはマジで同情するぜ」
無惨に黒く縮れたアミハルが今回一番痛い目にあったのではないかと、ディランはそう確信した。
「……ところで、どうしてハダルさんがこんな所に?」
「そうそう、俺もずっと気になってたんだよ」
「エフのやつに頼まれてな。愛する息子を失いたくなければルーブ村へ行けという伝言が届いた」
「何だ、結局お母さまもディランのことが心配だったんだね」
メリーが少し嬉しそうに手を口元に添えて微笑んだ。
エフというのが学長のエフリーナであるということに、ディランはメリーの言葉で気づいたが、それ以上に一つの大きな疑問が浮上する。
「何で親父が学長の名をそんなに馴れ馴れしく呼んでんだ?」
ただ思ったことを正直に訊ねたはずだったが……瞬間、なぜかハダル以外の全員がびっくりしたような表情でディランの方を見た。
多方向からの突き刺すような視線にディランがたじろいでいると、隣でゼロが言った。
「もしかしてディラン何も聞いてないの?」
「何が?」
「ハダルさんは学長と師匠の一つ上の先輩で、今のディランと同じ雷の五神帥だったんだよ。まあ僕も実際に顔を見たのは初めてだけど……」
「そっ……そうなのか!?」
見渡すと一同揃って頷いている。何とハダルは学園に通うものなら知っていて当然の名らしい。確かに学園の卒 業生ということは聞かされていたが、どうやらそのことを知らなかったのは息子だけのようだ。
「お、おい親父。何だよこれ、俺何も聞いてねーぞ!」
「言ってないからな」
「なっ……」
「まあまあそんなことはどうでもいいじゃない。形はどうあれみんな無事だったんだからもう素直に喜びましょう」
愕然とするディランを払いのけ、多少強引ではあったがメリーがこの場を収めた。
「とりあえず皆さんは村の奥にある集会所に行って下さい。私とハダルさんもあとから行きますので」
「……そうだな。行くぞお前ら」
にこやかに微笑みかけたライニッツの真意を見通したゼオンが、早くするように三人を促した。
ーーいろいろとすみませんね。
ライニッツが心の中で申し訳なさそうにゼオンに謝る。
ハダルがここに来てくれたことは、嬉しい誤算だった。
一刻も早く話しておく必要があったのだ。今回の事件、それを影で操っていた暗躍者について──
相変わらずディランはゼロとメリーの肩を借りなければ立つことも困難で、三人並んで前に進んでいる。それを引率するかのごとくゼオンが数歩前をディランにあわせてゆっくりと歩く。
本来ならここにもう一人加わるのだが、今は残念ながらいない。
ーーできれば彼らは巻き込ませずに終わらせたい。
ーーこれは私達の問題。
ーー私達が過去に犯した罪。
「ライニッツ」
「はい」
「こいつらのつけてるイヤリングに見覚えがあるか?」
「はい」
「どう思う?」
「リュウに会いました。思い出したのはついさっきですけど……」
「お前が忘れていたのは仕方がない……。それよりどうだった?」
「強かったです。完璧に蒼い炎を使いこなしていました」
「そうか」
「はい」
「俺達だけで話していても埒があかない。学園に行ってエフに会おう。それからだ」
「そうですね」
「最悪の場合、戦争が起きても不思議ではない。その時は全部説明することになるぞ。──もちろん、あの子のことも」
「気づいていましたか」
「見たら分かるさ」
「そうですね……。ひとまずこの子たちを何とかしましょうか。」
ライニッツの両手に光が灯る。
その手は最も生死が危ういアミハルへと伸びていった。
***
「ここか」
瓦を薄くのばしたような平べったい屋根が特徴の、村人全員を収容してもまだ広々とした空間が確保できるルーブ村の集会所。
ゼオンが横開きになっている扉に手をかける。
長年使い古されているせいか、これが予想以上に重くて、思わず腕に力をこめる羽目になった。
金属同士が擦れ合う軋んだ音と共に飛び込んできたものはーー
「ゼロ……! それにみんなも!」
扉の音でディラン達に気付いたミラが弾かれたようにこちらを振り向くと、長く伸ばしたクリーム色の髪を大きく揺らしながら駆けてきた。
瞳に涙を潤すミラは、有無を言わずにゼロの首に飛びついた。
「うわっ! ちょっとミラさん……」
勢いあまった拍子についつい肩にかけていたディランの腕を放してしまい、それに伴った突然の負荷にメリーも対応仕切れず、漬け物石を上から落とした音に匹敵する尻餅をつく音が響き渡った。
「痛ってえぇぇぇぇぇえ!!」
「あ……ごめん……」
ディランの怪我を意識してか、メリーが素直に手を差し出しながら謝った。
「ディランごめん」
遅れてゼロも申し訳なさそうな表情で見下ろすがそれも一瞬のことで、こちらはこちらでお取り込み中らしい。ミラの頭を撫でながらの謝罪は実に素っ気ないものであった。
「まあ所詮は俺だからな」
ディランがメリーに引き上げられながら呟いた。何が所詮なのかメリーにはさっぱり分からなかったが、
「あんたは十分頑張ったんじゃないの?」
メリーが気恥ずかしそうに目を逸らしながら、ディランの独り言に独り言で返事をする。
「へぇーお前でも人を誉めることがあるんだな」
わざとらしく後ろに束ねてある髪ををいじるメリーの顔を覗き込んだディランが、感心したように何度か頷いた。
「何よ、それだとまるであたしがいつも揚げ足を取ってるみたいじゃない」
「別にそこまで言ってねえよ」
「ならいいけど……ってあんた、顔、近いわよ!」
「ん?」
間近で金髪の男が自分を目視していることに気付いたメリーは、赤面しながら慌てて距離をとった。
とは言え何も動揺することはないのだ。普通に振る舞っていればいいだけの話。別に意識しているとかそういうのではない。
そもそも同い年の異性とこれだけ接近すればこうなって しまうのは自然のことだと言えよう。
だが逆に全くの無関心、無反応は、それはそれで少し傷つく……。
「うん、やっぱり所詮はディランよね……」
今し方まで何の意味も持ち合わせていなかったディランの嘆きが、メリーの現在の真意を映し出す形となった。
「だろ?」
ほらみろと言わんばかりのディランが思っていた所詮とは何だったのか、メリーが真実を知る日はとうとうやって来なかった。
「ねえディランメリー、ゼオンさんどこに行ったか知らない?」
ミラの締めつけるような喜びの歓迎から解放されたゼロがキョロキョロしながらやってきた。
「そういえば見てないな」
「あたしも」
見渡す限りこの中にはざっと50人の人々がいるが、そこにゼオンの姿はない。
赤い髪に学園の制服を着ているだけでもこの空間ではかなり目立つというのに、それらしき存在も一切見当たらない。
「困ったな……そろそろ村の人達を外に出してもいいかゼオンさんに確認をとろうと思ったんだけど……」
「トイレが我慢できなくなったとか?」
「あんたじゃないんだから」
「ちょっと待て、俺がいつそんなことしたというんだ」
「してもしてなくても、あたしの中のあんたはそういうやつなのよ」
「メリーあとで覚えとけよ」
「言ってるあんたこそゼオンさんをそんな風に見ているじゃない」
「それはだな…………」
「ちょっと二人とも……こんなとこまで来て喧嘩しないでよ」
いつも通りゼロが首を振りながら仲裁していると、新たに扉の開く音がした。ディラン達が一斉に振り返ってみると、
「何だ親父かよ」
「それに師匠と……あれ、ゼオンさんもいる」
「あぁ、俺は少し外の風に当たっていただけだ」
訊ねるよりも早くゼオンが三人の疑問を解消した。
「そういやあいつらはどうしたんだ?」
「私の家にいます。強力な結界を張っておきましたので大丈夫です」
「なるほど」
とりあえずハダルとライニッツも来たのでそれぞれ解散するかと思いきや、
「よし、今から学園に戻るぞ」
ハダルが扉に身体を預けながら首で外へ出るよう合図をする。
「いやいやいや、さすがに今すぐはないだろ。言っとくが俺にそんな体力残ってねえぞ」
「知っている。心配しなくてもライニッツが運んでくれるさ」
とライニッツに目を向けるが、当の本人は首を横に振った。
「まあ彼一人なら何の問題もありませんが、他の方には歩いてもらうことになりますよ」
「それは困るわね……」
深刻そうに悩んだ表情を浮かべたのはメリーだ。
どうやら彼女は本気で歩くのが嫌らしく、それはどうも一人だけではなかったようで。
「師匠、何人までなら可能ですか?」
「ここから学園までなら……二人ですかね」
「なら俺ともう一人だな」
さも当然のことのようにディランが悠々とライニッツに近づこうとすると、身の毛がよだつような冷たくて低い声がディランを呼び止めた。
「ちょっと待ちなさい」
「どうしたんだよメリー、そんなに怖い顔して」
「ここは公平にじゃんけんでしょ」
「はい?」
「そうだよディラン。疲れているのは君だけじゃないんだから」
「えっ、いや、そこは普通に考えて俺が優先……だったり……しないのかなあ……?」
恐ろしかった。とにかく恐ろしかった。
二人の鬼のような威圧感に鬼気迫るものを感じたディランが思わず控えめな態度をとった。その目には米粒程度だが、涙が浮かんでいた。
ーーじゃんけんといっても確率は三分の二。負ける可能性の方が低い!
と心の中で無理矢理士気を高めるが、なんかこう、やる前から勝負は決まっていたというかなんというか……。
気合いの入れ方が違うというかなんというか……。
結果だけを言えば、ディランが負けた。
「じゃあお先に」
「ディランも早く来てね」
メリーとゼロが笑顔で手を振る姿をディランは、ただ呆然と眺めていた。ライニッツに抱えられた二人が去ってしばらくして、
「親父いぃぃぃぃい!」
「やめろ抱きつくな、みっともない」
「ゼオンさあぁぁぁぁん!」
「何だお前、気持ち悪いぞ」
ひたすらハダルとゼオンにしがみつきながら泣きわめき続けたという。
***
「あーあ、全員やられちゃった」
アミハルに治療を施すライニッツを木の上から見下ろす一人の男は上空を軽く仰いだ。
ゆらりとたなびく白いパーカーに、飛んできた木の葉が何枚か付着する。
「でも相手が相手だったから、しょうがないと言えばしょうがないかな」
そしてライニッツの隣にコフを抱えたハダルがやってきた。大方ライニッツに捜しにいくよう頼まれたのであろう。
「本当はイヤリングを回収しに行きたいんだけど……これはさすがに死ににいくのと同じだからな……」
ライニッツだけでも今の自分では全く歯が立たなかったというのに、そこにハダルが加わるとなるとまさに鬼に金棒だ。
「さて、回収が無理だと分かった以上僕はそろそろ帰ろうかな。そのうちバレそうで仕方がない」
呑気に身構えているが、あの二人に対してこうして気配を殺すのはかなりの至難の業なのだ。
汗でこめかみを濡らす白パーカーの男はそう言ってパーカーの内ポケットから手に収まるほどの小瓶を取り出すと、コルクを抜いた。
「まだ誰も気付いていないようだけど、既に僕の仕掛けはちゃんと動き出している。彼らは上手く見つけることができるかな?」
そして黒い煙に覆われた白パーカーの男は帰るのであった。
主であるーー覇王の元へと。
第一章終了です。




