学園で
連日の猛暑。
まだ七月になったばかりだというのに、午前中の気温が二十度を大きく上回っている。
太陽が照りつけるこんな炎天下の中でも、この場所には多くの生徒達が毎日昼食を食べる広場として使用されている。
なぜそんなに人が多いかというと、ただ単に周りが五階建ての校舎に囲まれているため、日差しがそこまで入ってこなく、陰がたくさんあるから、というだけの理由だ。
およそ三十平方メートルある広場の地面は、全てが艶のあるグレーの大理石が隙間なく敷き詰められており、その中央にはいかにも高額そうな立派な噴水。
現在の時刻は正午過ぎで、上空には雲一つない青空が広がっているため、綺麗で可愛らしい虹が細かい水しぶきを浴びながら、噴水に浮かび上がっている。
その光景を近くのベンチから幸せそうに見つめている少年がいた。
その少年は、まだ未開封のミネラルウォーターが入っているペットボトルを右手で太股の上に立てて、少し前屈みで座っている。
風で、少し黒みがかかった、一本一本が上等な繊維でできていると言って良いほどの、サラサラとした栗色の髪の毛が後ろに跳ね上がるのも気にせず。
ただボーッと何も考えずに、目に映る七色の光を眺めていたが、後方から肩を叩かれ我に返る。
「待たせたな」
その一言だけで、すぐに声の主は分かった。
栗色の髪の少年が振り向く前に、声の主は、ベンチの背もたれの上に片手を置くと、「よっ」というかけ声と共に、高さ一メートルある木の板を軽々と飛び越えた。
地面に着地したかと思うと、そのまま足を大きく広げてどっしりとベンチに座り込んだ。
その様子を特に驚きもせず、さも当たり前のことのように見守っていた少年は、落ち着いたのを見計らって口を開いた。
「けっこう長かったね。どうだった? ……って訊くまでもないと思うけど……」
「まあ、確かに言うまでもないな。いつも通り説教されてきたぜ。……あと、主席の奴にそういうこと言われてもただの嫌みにしか聞こえないぞ、ゼロ」
「もう……、何回も言ってるけど、僕が主席になったのは本当にたまたまで、対人能力は絶対ディランの方が上だって」
ゼロと呼ばれた栗色の少年は苦笑いを浮かべながら、ペットボトルの水を隣で、タオルを首に巻いて汗を拭いている、黄金色の髪の毛をしたーーディランに差し出した。
ディランは一言お礼を言うとそれを受け取り、喉を潤そうとキャップに手をかけたとき、何かを思い出したように手の動きを止めた。
一度ペットボトルを置いて上半身をゼロに向ける。
「そういえば聞いたか? 例の‘闇属性狩り’事件。昨日も夜中に起こったらしいぜ」
‘闇属性狩り’という単語を耳にしたゼロの表情が、これまでの優しい穏やかさがなくなり、大きくて凛々しい目が一瞬にして瞳に憎しみを宿す憎悪の目に変わった。
「うん、それなら僕もさっきここに来る途中、他の生徒達が噂していたのがたまたま耳に入っ
てきたよ」
「そうか、なら話が早いな。実はその起きた場所何だが、ーーどこだと思う?」
「……そこまでは分からないな。もしかしてこの近くとか……?」
小さく首を左右に振るゼロに対して、ディランはゆっくりと縦に真っ直ぐ頷いた。
一拍間を置いてから言う。
「翠玉の森……だそうだ」
「翠玉の森!?」
ゼロの声が一オクターブ跳ね上がった。
それもそのはず。
これまでの事件は全て、ここから距離がある場所で起こっていたのだが、本当にすぐの所で、しかもまだ半日程度しか経っていないのだ。
だが、ゼロの過剰な反応にさすがにディランもびっくりし、後ろ倒れそうになったのを何とか持ち堪えた。
周りにいた生徒達は、「何事だ?」と言って、二人に大勢の視線が集まる。
「何だ何だ?」
「あれ? あいつらって確か学年一、二番コンビじゃねーの?」
「あぁ、本当だ。てか、よく見るとあの茶髪のゼロって奴かなりのイケメンだな」
多方向から二人に対する(特にゼロ)を誉めているのか、妬んでいるのか判別がしにくい言葉が飛び交う中、ディランはこれといった反応を示さず、お預けになっていた水をガブガブ飲んで、満足そうな表情を見せている。
対象的にゼロの方はというと、どこか気恥ずかしそうに背中を丸めて、他の生徒達の視線と、頭の中でリピートされ続ける自分の声に、顔を真っ赤に染め上げていた。
「シャイな所は相変わらずだな。お前は一応って言ったら悪いけど学年で一番強いんだから、もっと堂々としてていいんだぜ」
ディランはそう言い、最後の一口を飲み干した。
空になったペットボトルを広場の傍らにある、少し離れてゴミ箱に放り投げた。
きちんと中に入ったのを確認すると、ディランは続けた。
「それで、話を戻すが……そろそろ俺たちの出番だと思わないか?」
顔をゼロに近づけると、悪戯じみた笑みを浮かべる。
未だにさっきのことを引きずっていたゼロであったが、ディランの心中を一瞬で悟ると、顔つきが、数分前のそれに戻った。
背筋をピンと伸ばし、即座に冷たい言葉を浴びせる。
「ディランの性格からして、言いたいことはよく分かるよ。けど、僕は反対だ。まだ敵の人数や特徴さえ殆ど把握できていない僕達が、どうこうできることではないよ。……それに、勝手に外に出るのは駄目だよ。特にこんな事件が起きているときに……。ただでさえディランは問題児なのに……」
「うっ……」
ゼロの一言一言が、銃の弾丸となってディランのガラスのハートをを容赦なく打ち抜いていく。
それでも最後のはあまり関係ないだろーー
と、思いつつも、息を詰まらせるディランにそれ以上先の言葉は出てこなかった。
ーーゼロが口にした、ディランの言いたいこととは、無論、自分達で‘闇属性狩り’をしている者を倒すということだ。
ディランにはそれができるという確かな自信があった。
元々ただの自信家で、お調子者というのも一部含まれてはいるが、それは決して、自惚れなどではない。
すっかり憂鬱な気分になったディランは、生気を失った魚のような目で、何もない灰色の地面に視線を落とすと、この学園に入学するに至った過程を思い返していた。