学園最強の男
この世の全てに無関心のような、色の曇りが一切見あたらない落ち着いた瞳をしていが、その髪は自身の属性を象徴するかの如く紅玉に輝いている。
「ゆっくり休んでいてくれ」
メリーにゼオンと呼ばれたその男は膝を曲げ、丁寧にメリーを地面に寝かせた。
メリーはただゼオンに身を委せたまま最後に顔を綻ばすと、安心しきったように目を閉じ、スヤスヤとかわいい吐息をたて始めた。
「あと十分もすれば回復技を使える者が来るはずだ。それまでには終わらせる」
自分のブレザーを脱いで、メリーの上に毛布代わりにソッとかぶせる。
そして身体の調子を確かめるように肩や首を二、三度回すと、目にかかりそうな前髪をまくり上げながら、目の前に立つ黒ローブの女を見据える。
互いに視線が飛び交い、最初に興奮気味に口を開いたのはレイミンであった。
「ベストタイミングだったわね。もしかして狙っていたとか?」
「まさか。偶然だ」
首を竦めて否定したゼオンに、レイミンは少し違う話題を吹きかけた。
「……あたし、あなたのこと知ってるわよ? ゼオン・アルバート。ヘブンズ・クラム炎の五神帥であり、その実力は学園の中でもトップクラス。一言で済ますとなれば学園最強の男ーー」
レイミンの高評価に値する発言に、ゼオンはただ溜め息を吐きながら頭を振った。
「学園最強……か。残念だがそれは少し違うがな」
「違う……? どういう意味よそれ。あたしはあなたともう一人の三年の五神帥には気をつけろと言われたけど、あなたの方が強いと聞いたわ」
「まあ……それはそうだろうな」
小首を傾げるレイミンに、ゼオンは僅かに目元を吊り上げて質の悪い笑みを浮かべた。
先ほどからの遠回しの物言いに、レイミンが段々とイラつきを覚え始める。
「と言ってもあたしにとっては別にどっちが強いかなんて関係ないわ! この状況を見れば分かるでしょ!? 所詮五神帥なんてこの力の前では全くの無意味よ!」
横たえているメリーを指さし、荒々しく声をあげるが、
「ならもう一度確かめてもらおうか。お前の言う五神帥とやらの力を」
ゼオンはメリーの言動に顔色一つ変えずに目を瞑り、静かに息を吐いた。
ゼオンの周りに紅蓮の炎が逆巻く。手で操ることによって炎は思いのままに動かすことができる。
轟々と空気を燃やす音を立てて大気を熱風に変えているゼオンの紅い炎。
飛び散る火の粉を見やりながらレイミンは思わず息を詰めた。
「勝てない相手ではないはずよ……」
炎を己の手足さながらに操作する者ならすぐ身近にいる。力の根源の提供者である男だ。色自体は全く異なるが、どことなく炎の質や雰囲気が似ている。
戦いのスタイルは殆ど同じと考えて良いだろう。
まずはどれくらいの火力を持ち合わせているか見極めるため、小手先程度で攻める。
暗槍
両手に作り出した二本の槍を同時に放った瞬間ーーレイミンは自らの失態に気づいた。
その時は突然ゼオンが現れたことで気に留める暇がなかったが、よく思い出してみるとあの時ゼオンは確かに暗槍を素手で掴み、そのまま握りつぶして粉砕していたのだ。
そしてそれは、ただの見間違いではなかったーー。
ゼオンを取り巻く炎の一部がタコの足のようにうねると、暗槍を空中で捕まえ、跡形もなく焼き尽くした。
ーーこの技は完全に通用しないわね。
歯を軋らせて、地を這うようにゆっくりと後退を始めるレイミンと、眉を一寸も動かさず、その様子をただ黒い瞳で見つめているゼオン。
「どうした、本気できていいんだぞ」
「とことんムカつくやつだわ……」
本気ならとっくに出してるわよ! と思いながらも、まともな技の撃ち合いでは勝ち目がないことをレイミンは悟った。
遠距離系の技を得意とするレイミンにとって、間合いの読めない敵に近づいて戦う必要性はこれっぽっちもない。
後ろに飛んで、着地してはまた後ろに飛ぶ、を繰り返し前方にも細心の注意を祓いながら、レイミンは最初ゼオンとの間にあった距離を五倍以上にまで広げた。
「……なめられたもんだな」
小さくなっていくレイミンが足をピタリと止めたのを皮切りに、ゼオンが右手を胸の高さまで上げると、掌を上空に向ける。
灼火弾
浮かび上がった七つの赤褐色をした小さな火の玉。
ゼオンが腕を横に振ったのを号砲として、玉が互いに競うようにして飛び、レイミンの身体を取り囲んだ。
「何なのこの技は……」
何か赤色の球体がいきなり超スピードで飛んできたかと思いきや、瞬く間に逃げ道を封鎖されてしまったレイミン。
だがその目はまだ光りを放っていた。
夜の鎮散
七つの火の玉が時限爆弾のように一斉に爆発する。その爆風は遙か後方にある村にまで及んでいないとは言い切れないほど、凄まじい威力だった。
生身の人間なら肉片が吹っ飛んで、地面にバラバラになった人体がこびりつくように転がっているところなのだが──
「……何とか、持ちこたえたわよ……」
自分周辺の空間に闇の膜を張って、触れた蒼術を跳ね返したレイミンは、顔の前でクロスさせた両腕の隙間から得意げな顔を覗かせる。
しかしその余裕もたった一秒で、嘘のように消える。
「何だ……大口叩いていた割にはあまり大したことないな」
ゼオンに両手首をがっしりと捕獲されたレイミンは、腕が左右に開かされて、朧気な光と共に目に入ってくる、残念だったなと、言いたそうなゼオンの瞳に表情を凍り付かせた。
「うそ……どうして、いつの間に、そんなところに……」
「ついさっきだ。気づかなかったことは敵ながら関心しないが、誉めてやろう。よく今の技を防いだな。正直驚いたぞ」
「なに? もしかしてあたしにビビってたりするわけ?」
「全然。俺が言いたいのは、それで思いあがるなということだ」
なぜか説教じみたことを言い始めたゼオンの言葉に、どこかで聞き覚えがあるような気もするが、レイミンは手を振り払おうと必死にもがく。
「無駄だ。いくら何でももう体力は殆ど残っていないだろう。それに……最後に一ついいことを教えてやろう。今の技、俺は本気の半分も出していない。もしもお前の体力が無尽蔵だったとしても、その程度の力では防ぎきれやしない」
「……同じ五神帥でもここまで差があるのね……」
力量の違いを知り諦めたのか、脱力したレイミン。
ゼオンは何も言わず、少し虚ろげな目を見せた後、
「殺しはしない、だがそれに近い状態にはなってもらう」
炎熱地獄
メリーが作った地面の亀裂から炎が噴き出し、全てを飲み込み、全てを燃やし尽くした。
***
目を覚ましてまず視界に入ってきたのは、空一面を覆い尽くしている灰色の分厚い雲。いつ雨が降り出してきてもおかしくない。
「気がついたか」
隣の方で男の声が聞こえたのでメリーは顔を右にずらした。
「あっ……」
そこには片方の足を片方だけ伸ばし、涼しい顔でメリーを斜めに見下ろすゼオンが微かに口元を緩めていた。
「とりあえず怪我の治療は施したが、疲労はかなり溜まっているはずだ。しばらくはそのまま安静していろ」
メリーは黙って頷くと、横になっている身ながら身体が思ったより軽いことに気づいた。
多少の気怠さこそ残ってはいるが、とても体力を全て切らした後とは思えない。
「あの、ゼオンさん……あたしどれくらい眠っていましたか?」
「十五分程だ。ついでに言っておくが、お前の治療をした者はもう別の所に向かった。礼なら帰ってから言うんだな」
まるで自分は何もしていないと思わせるような悠々たる態度をとるゼオン。
汗水一滴垂らさず、外傷はもちろんのこと、服の汚れすら全くない。
だがメリーを助けたのは紛れもなくゼオン本人だ。
「ゼオンさん……」
「何だ?」
「ありがとう……ございます。助けていただいて……」
メリーは心の底から感謝の言葉をひ弱な声量ながらも伝えた。
メリーの強い視線を感じながらもゼオンは照れる素振りも全く見せずに、
「俺に礼など不要だ。学長に頼まれて当然のことをしたまでだからな」
「お母様に……!?」
メリーがここ一番の驚愕を浮かべる。その裏返ったハスキーボイスにゼオンの肩も一瞬ピクッと上下に反応した。
「す、すみません……」
最初にこの調査は数日を要するかもしれないと口にしていたのは母親自身だったが、まさか一日で応援を派遣してくるとは、いろんな意味で驚きだ。
それも今の学園が出せる最高戦力を差し向けてくれた。
自分の想像以上に母親は自分たちのことを心配していたのか、と思ったりすると、妙に嬉しさと気恥ずかしい気持ちが入り混じる。
ほんわかと、普段見せないまどろんだ面もちのメリーは、喜びに浸っていたがふと思い出したように、一度瞬きをするとゼオンに訊ねた。
「ゼオンさん、ディランとゼロが……別のとこで戦ってるはずなんですけど……」
「その事に関しては大丈夫だ」
「いや……でも……」
ゼオンがここにいるということは、二人の元に彼らより強い者がいる可能性は除外される。
不安にかられるメリーを落ち着かせようとしているのか、ゼオンが珍しく純粋な笑みをメリーに向けた。
「正直俺もよく分からないんだが、ルーブ村には役に立つゴキブリが一匹住み着いているから、ゼロはそのゴキブリとやらに任せておけば問題ないとか何とか……」
「ライニッツさん……」
名前がなくともメリーが思い当たるのはその人しかいなかった。
これだけでも、学園時代ライニッツがどんな目にあってきたのかが窺えてならない。
メリーが同情の溜め息を漏らしていると、更にゼオンが冷め切った表情になって続けた。
「あとディランのことなんだが……」
風の吹く音だけが耳を通過し、数秒の沈黙の後、ゼオンがぽつりと呟いた。
「あいつは気合いで何とかするそうだ」
どこか遠い一点を見つめるゼオンは、一体この時何を思っていたであろうか。
無表情でそう言いはなった彼の背中は笑いを堪えているようにも見えたが、メリーは何も見なかったーーということにした。
「そう……ですか」
激しく引きつった苦笑いを浮かべるメリーはライニッツ以上に、そして、初めてディランに同情した。
二人の会話がそこで途切れたのは言うまでもない。




