油断
「うっーー!」
ギリギリの所で身体を捻り、何とか腹部を掠める程度ですんだが、問題は別にある。
「何よ今の……」
ゼリーを切るようにいとも容易く突き抜けたレイミンの暗黒の槍。明らかに初撃と殺傷能力が異なる。
全力と豪語していたことから、ただ単に威力が増しただけなのかもしれないが、どのみち防げないことに変わりはなかった。
ーーどうすれば……。
たった一度の攻防で、メリーの中の勝敗を決する天秤の皿が大きく傾いた。
「もう打つ手なしって感じだね」
「……うるさいわね。今考え事してるんだから少し黙っててよ」
「考えるだけ無駄だと思うわ」
本来なら敵に向かって決して口にしないような台詞をのうのうと吐いたメリー。それに応じるレイミンもどうかと思うが、彼女の中には揺るぎない勝利の確信があるからなのであろう。
一番防御力の高い【滝の盾】が破られた今、レイミンの技を止める術はない。
だが、まだ勝つ可能性が消えたわけではない。
最後の切り札と言っても過言ではない、最大の攻撃技がメリーにはあった。
それを敵に喰らわせるためには、まず近づくことが必須の条件となる。
しかし距離を詰めようとすれば恐らくレイミンは【暗槍】を使用してくる。それをどう潜り抜けるかも、考えることが必要だ。
現在の体力から逆算すると、出せる技と回数はかなり限られ、長期戦になればどういう結末を迎えるか容易に想像がつくーー。
「……もうそろそろいいかな?」
「あとちょっと……」
ここからどう攻めるか考えがまとまらずに悩んでいると、
「待つの飽きた」
一人作戦会議終了の知らせが出た。
暗槍
空気を切り裂く風の音。槍の周りに漂う黒煙が渦巻いている。
段々と迫ってくる暗槍を凝視しながらメリーは、紙一重でそれをかわした。
「そういうことか……」
初撃との違いは耳に鳴り響く音にあった。今の一撃で、絡まっていた糸が解けるように、メリーの中の謎が解消された。
結論を言うと、槍の威力、スピード自体はそれほど変化していない。
ただそこに、回転が加えられたのだ。
放たれたときの槍の速度に比例して回転速度も上昇。一種のドリルと化しているため、貫通力が桁違いに跳ね上がったのも頷ける。
「なかなか器用なことをするわね」
メリーの得意顔でレイミンも察したのか、
「へえ、もう気づいたの。でもそうやって避けてるだけじゃ、いつまでたってもあたしを倒せないわよ」
暗槍
レイミンの両手に黒煙が灯る。槍を二本手に持つレイミンが、まず一本目を投げた。
これだけ強力な技を使いながら、息を切らさないレイミンに、妙な違和感を覚えるメリー。
さすがに四度続けて正面から来られると目と身体が馴れ、軽々と飛び上がって避け、反撃する。
水鉄砲
空から降る雨の弾丸。レイミンは後ろに飛び、それでも射程圏内に入っていたものは全て、もう一本の槍で薙払った。
「そんなこともできるなんて……」
最も隙を見せてしまう空中でメリーが顔を曇らせる。
「今度こそジ・エンドよ」
晴れ晴れとした表情のレイミンが、槍を上空に掲げて放つと、直後ドスッという鈍い音が轟く。
「勝った……!ーーーー!?」
勝利による喜びの顔から一切の感情が消失したのは、レイミンの頭に水が一滴垂れ落ちた時だった。
それは本来滴るべきである血ではなくーー水。それが意味するのは紛れもなくーー
「あんたの負けよレイミン。あれは水で作った私の残像。あんたが技に気を取られている隙にここまで移動させてもらったわ。最後の最後で油断したわね。敗因はあなたの慢心よ」
レイミンの真後ろで淡々と言葉を述べるメリーが【水縄】で、今度は不思議な技を使われぬよう全身を縛り付けた。
トンと、レイミンの頭に触れ、そして数歩後ろに下がるとーー
洪圧水竜
円柱型に凝縮された一万リットルの滝水が天空の雲の合間からレイミンに降り注いできた。
一つの塊が落ちてくる毎に、地面亀裂が走り、大地が大きく揺れる。
周辺の地形さえも変えてしかねないメリーの全てを賭けた切り札。
レイミンには悪いが、既に意識は刈り取られているだろう。
「ハアッ、ハアッ……」
巻き添えを受けないように後退を続けるメリーも、意識を繋いでいるので精一杯だった。
ーーあの女の視野がもう少し広ければ、絶対に無理だった。
ただ単に自身の力を過信しての油断だったのかもしれないが、それにしても戦い方がやけに機械的だった。同じ技をただ放ち続け、ゴリ押しするだけの戦術。
もう少し先の戦況を読んだり、最悪の可能性を考えるような保険をなぜとらなかったのかーー
メリーのなかには微かなつっかえが残ったが、今はあれこれ考えられるだけの余裕は皆無に等しい。
その艶やかな美貌は汗にまみれ、それでいて少しおぼつかない。
「ごめん……」
この技を使えば下手をすれば相手は死ぬ。発動するとき、かなりの抵抗を覚えた。
だが殺らねば自分が殺られてしまう。優先すべきは己の命だ。
返事が返ってこないであろうレイミンに向かって呟いたメリーの一言に、
「……誰に謝ってんのよ」
答えが返ってきた。
「そ……そんな……」
ボロボロになったローブの端切れを破り捨てながら、煙の中から姿を現したレイミン。彼女も相当の痛手を負っているはずだが、メリーに比べると何ということはなかった。
「まさかここまでやるとは思ってもいなかったわ」
「ハア……ハア」
言葉が何も出てこなかった。さっきの一撃で全ての体力を使い切ったメリーはもう、目の前にいるレイミンの姿の判別すら難しく、耳に入ってくる音も殆ど聞こえない。
ーー逃げなくては。
でも身体は動かない。
「形勢逆転ね」
暗槍
レイミンが一歩前に進むと、メリーの片膝が、そこだけ骨が抜けたかのようにガクンと崩れる。
それをあざ笑うかのように無情にもレイミンが槍を放った。
ーーみんな……ごめん。
徐々にブラックアウトしていく意識の中、槍が胸に突き刺さろうかという時に、後ろに倒れ込むメリーの背中が、ふわりと抱きかかえられたーー。
半開きになった震える瞼の奥でメリーが目にしたのは、黒い槍を素手で掴む腕ーーその手首には真紅の宝石をはめ込んだ腕輪。
「魂を売って得た、偽物の力を使う相手によくここまでやった。ーー遅くなってすまない。後は任せろ」
このタイミングで助っ人が来るなど、幻覚と幻聴が重なったとしか思えない。
それでもメリーは確かめるようにその名を口にした。
「ゼオン……さん……?」




