それぞれの戦い
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ーー急がなくては……。
過去の記憶の檻から出てきたライニッツは、烈風の如く空中を駆けていた。
光の力で自身の体重をなくして【光速移動】と同じ状態にする。言わば【光速移動】の改良版。
その動力は体力と光。つまり、太陽が昇っている今、【光速移動】に制限時間は存在しない。尚且つスピードも格段に上がる。
さすがにこの技は知られていなかったと、少し安心した表情を見せるのも束の間、すぐに気を引き締める。
ライニッツがやるべきことは山ほどあるが、最優先ですべき事柄は、一秒でも早く村に戻ること。
敵は四人。そのうちの一人は【闇極穴】で体力を全て使い切ったと考えても、まだ三人残っている。
ルーブ村に戦闘員はいない。もしいたとしても間違いなく歯が立たないであろう。
ライニッツほどの実力者になれば、相手を一目見るだけでその力量が分かる。
「メリーさん一人では荷が重すぎる……」
ライニッツの見立てでは、メリーと敵の個々の力の差は殆どない。
だがそれは悪魔でも一人ずつで比較したらの話。三人同時に相手をすれば時間稼ぎにすらならなくなる可能性だってある。
「せめてあの二人が……」
昏睡しているディランとゼロの顔を思い浮かべたところで、ぶんぶんと首を横に振る。
「例え目を覚ましても絶対に戦わせませんけどね……」
傷を負った二人がこれ以上酷い怪我をすれば取り返しのつかないことになるかもしれない。
それに自分の身体を一番理解しているのは、他の誰でもない自分自身だ。
ディランは少し心配だが、制御役が傍についている。ゼロに限っても無茶なことは決してしないだろうと思っていた矢先のことであった。
ライニッツの見つめる先に林立している木々が、黒い突風と共に次々と薙ぎ倒されていく光景が飛び込んできた。
「闇音波……まさか……」
ライニッツの顔から赤みが消える。脳が思考を巡らせる前に、ライニッツは全神経の感覚を研ぎ澄ませて急いで確認した。
三方向に散らばった邪悪な気配。と、それに匹敵する力を持つ雷、水、闇のオーラ。
「洒落になりませんよ……」
空中で右往左往するように、首を左右交互に何度も動かすライニッツ。
三人はまるで三角形の頂点のようにそれぞれが全く別々の場所で戦闘を始めていた。
助けに行こうにも誰か一人しか選ぶことができなく、この距離だと戦況まで把握するのは難しい。
「全く……世話の焼ける子達ですね」
深い嘆息と共に再び飛び出したライニッツは、近づける所まで近づき、その時点で一番劣勢になっている人のところから行くことに決めた。
ーーこの数日間で絶対に寿命が縮まった……。としみじみと思うのであった。
***
「ハアッ、ハアッ、追いついたぞ……」
「ハアッ、ハアッ、オレのスピードについてくるとは中々やるじゃねーか」
ディランとコフ。両手を膝の上に乗せてゼーハー言いながら多量の汗を流す両者は既に疲れ切っていた。
罵倒に続く逃走。怒りに続く追尾。
ひたすら駆け回った挙げ句、行き着いたのは翠玉の森とよく似た薄暗い森の中であった。
翠玉の森と異なるのは、そびえ立つ木が全て背丈の十倍ほどあること。枝に葉も生い茂ってなく少し寂しい。伴って見晴らしはそこそこ良い。
風が肌を通過する度に身震いしてしまう二人だが、それは風が冷たいのではなく、汗をかきすぎているだけだ。
「お前さっきから聞いてれば随分と俺のことをバカにしてくれたじゃねーか」
「はぁ? 何もバカになんかしてねーよ。オレはただ事実を述べたまでだ」
ここまで他人にコケにされたのは生まれて初めてだと、顔を真っ赤にしたディランが額の血管を浮かび上がらせた。
「ボコられる覚悟はできてるんだろうな」
「けが人はおとなしく寝とけよ。そもそも手負いの状態でオレに勝てるわけねーだろ」
「お前バカか。ちょうどいいハンデだろが」
「……ボコられる覚悟はできてるんだろうな」
「俺と一緒のこと言ってどうすんだよバカ」
コフの中では、生まれて初めて自分より低脳の男にもっとも言われたくない言葉を放たれた瞬間であった。
それも二度ーー。
類は友を呼ぶという言葉を、果たしてこの状況で使ってもよいものだろうか。
「誰がバカだ! お前の方がよっぼどバカだろうが!」
黒の乱銃
「うるせえよ! 少なくともお前よりはマシだ!」
雷鎧
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「ユーリッドの所はもう始まったようね」
レイミンが遠見しながら声を洩らした。
波が打ち寄せるよう重々しい空気の波紋が二人がいる空間にまで届いていた。
村からの距離は一番近い、背丈が足首ほどの細かい草が風で揺れ動く穏和な大地。
じめっとした暑さの中、それ以上にこの場一帯には張りつめた緊張感が漂っている。
「あたしの相手があなたでよかったよ」
「どういう意味よそれ」
レイミンの顔をジッと睨みつけるメリーに、レイミンは両手に腰を当てながら答えた。
「あなたがあの三人の中で一番弱そうだから」
「なっ……」
予想外の返答だったのか、声を詰まらせるメリーを無視してレイミンは続ける。
「聞くところによるとあなたは学長の娘でありながら学年では三番手。そして五神帥の中でも実力は最低辺に位置するんでしょ?」
どうして外部にそこまでの情報が漏れているのか、驚嘆するメリーだが、それを顔には出さず堪えて、
「それがどうしたっていうの」
「要はあたしはあなたに全然負ける気がしないってこと」
「……」
何も言い返すことができないというのはまさにこのことを指すのであろうか。
レイミンの口から出た言葉は決して的を外していたわけではなかった。
メリー、ディラン、ゼロの一年生三人、そして三年生二人で構成される今年のヘブン・ズクラムの五神帥。
メリーと他の四人とでは異なるところがある。
ーー才能があるかないかだ。
三年生二人の戦闘能力の高さに関しては度々母親も口にしていた。
『あいつらは今のメリーでは相手にもされない』
同じ五神帥と言っても顔を合わせたのも数回程度で、そのうちの一人はディランを超える問題児で常に学園外を彷徨いているせいか、未だ会ったことすらなく名前だけしか知らない。
詳しい事情はメリーにもよく分からないが、それでも母親が五神帥に選ぶのには理由がある。
ーー強いから。ただそれだけだ。
いくら他の生徒が努力を重ねようが決して届かない領域に存在するのが、天才と呼ばれる部類に属する者達だ。
その才能をゼロ、悔しいがディランは持っている。
才能は生まれつきの一種の能力でもあり、人為的に作り出すのは不可能だ。
メリーの力は才能ではなく、幼い頃から惜しみない努力を積んできた先にある頂であり、努力というものの限界地点でもある。
全てにおいて完璧な母と比べ、何度も自らの弱さ、劣等感に苛まれた。
父親の血を強く受け継いだ運命を憎んだ日は数え切れない。
けれどもメリーは、頭のなかではちゃんと分かっていた。そもそも親の遺伝子をあてにする時点で、自分は所詮『こっち側』の人間なんだとーー決して『あっち側』には辿り着けないんだと。
何度も心が折れかけた。
対して才能を持つ天才に限界などただの幻想に過ぎない。
彼らはこれからもどんどん強くなっていく。
そして自分との力の差も開いていくーー。
必死にもがいてもがいて、一歩進むことができたかと思えば、彼らはその間に二歩、三歩進んでいる。
メリーはそれが一番怖かった。少しずつ遠ざかっていく背中。いつか自分だけか取り残されるかもしれない。
取り残されるだけならまだいいのだが、その間に自分を凌ぐ者が現れないとは言い切れない。
「あたしが弱いなんて、あんたに言われなくても自分で十分理解しているわ」
今は余計なことを考える時間ではない。
歯がゆい気持ちを押し殺し、入学式、翠玉の森での一件を頭に思い浮かべる。
言い表すならば、自分は何もしていない。
だがライニッツに言われた何気ない一言が、自然とメリーの心の支えになっていた。
「それでもあたしにはあたしのやるべき事がちゃんとある」
「なに……?」
難しくはない。簡単なことだ。
「あんたを今ここで倒すことよーー!」
水鉄砲
メリーが右腕を肩から大きく横に振り回すと、小さな丸い水の塊が散らばりあいながら鋭い勢いで発射された。
「ちょっ、いきなりはなしでしょ!」
慌てて上空に回避したレイミンが、下を通過する水の弾丸を見やりながらローブの袖で汗を拭う仕草を見せる。
「戦闘中に敵から目を逸らすなんて随分と余裕ね」
水縄
「あっ……」
延びてくる一本の水でできた太い縄が八つに分裂してそれぞれ違う方向からレイミンの四肢に絡みついた。
空中で身動きがとれないレイミンを見上げるメリーは、まだ浮かない顔をしていた。
ーーあとはあの技が決まればあたしの勝ち……けど何か……。
こんな簡単に思い通りになるわけがないと、メリーが念のために首も縛り付けようとしたその時、レイミンの耳元が光ったーーような気がした。
夜の鎮散
「何よこれ……」
想像を絶する巨大な力が、水縄を伝ってメリーも感じ取った。
内側から爆発を起こしたかのように弾け飛んだ水しぶきの中で、闇のオーラを纏ったレイミンが右手を差し出す。
暗槍
黒煙となった闇のオーラがレイミンの手元で漆黒の槍に姿を変える。
蒼術で気体を固めて作っただけだと侮ってはいけない。
貫通力は本物の槍とは比べ物にならない。
縄から解放されたレイミンは、地面への落下開始と共に思いっ切り右手を振り下ろした。
滝の盾
まだ冷静さが薄れていないメリーは、ゆとりを持って防御技を出した。
槍はメリーの前に立ちはだかる分厚い盾の前になす統べなく形が崩れて消えた。
「へえー、コフやユーリッドの技を防いだだけのことはあるね。思っていた以上に堅いわ」
「そういうあんたはどうなのよ。それが全力とか言わないでよね」
「……そう、そんなに出してほしいのなら出してあげるわーーあたしの全力」
暗槍
再び生成された黒い槍の柄を握りしめるレイミンが、そのまま真っ直ぐメリー目掛けて槍を放った。
「さっきと一緒じゃないの」
滝の盾
メリーも同じように対処をするが、槍の先端が水面下に直接触れた瞬間ーー水が無慈悲な音を立てて空気中を舞った。
「貫通……した……?」
何が起きたか分析しているひまではなかった。とにかくかわさなくてはいけない。
「残念だったわね」
レイミンの勝ち誇った声がこだまする。
無防備のメリーと、槍を隔てていた絶対障壁がなくなった。




