ルーブ村
「着きましたよ」
というライニッツの言葉に反応する者はいない。
「マズいですね……」
ライニッツは口を小さく開けて短い呼吸を繰り返している二人の男子に目をやると、再び足に力をこめた。
移動中、風が吹くような吐息が耳をくすぶっていたのだが、体力切れで気を失っていたメリーならともかく、ディランとゼロがここで眠ってしまうのは非常に危険なのである。
***
ーー翠玉の森を抜けてその先にある何もない荒野の果て。標高600メートルほどの、ここら辺では少し低い山の麓にルーブ村という集落に近い村がある。
ライニッツはヘブンズ・クラムを卒業後、ライニッツともう一人でここの護衛をしていて、その時にたまたまゼロを拾い面倒を見ているうちにそのまま住み着いてしまい現在に至る。
鉄筋や煉瓦で作られ、栄えている街やヘブンズ・クラムとは違い、全てが一階建ての木材を使用した家しかない。
食料は何もかも自給自足。気候には比較的恵まれているため、村の面積の半分以上を占めている田んぼや畑は今年も新鮮な食物が期待できそうだ。
現在この村の住人は五十人程度しかいない。昔はもう少し多かったのだが、何しろ場所が場所だ。こんな人目に寄り付かない質素な村を好んで移住してくる者は皆無に等しく、逆に大人になって都会に出て行く者も多い。そのため五十人といってもその殆どが高齢で、所々にポツポツと若い家族がいるといった具合。
だがライニッツはこの村を出て行く気は一ミリもない。
なぜならライニッツはこの村が好きだからだ。
後先考えずにゼロの親代わりになるなどという無謀な宣言をしてしまったライニッツに、あれやこれやと一から子育ての仕方を教えてくれた村の人々。
自分一人だとどうにもできなかったと思い知ると同時に、ライニッツは村人の温かさを感じた。
まるで村全体が一つの大家族になっているかのように、誰かが困っていれば村人総出で手助けする。
ライニッツはこの村に住み始めてから助けて貰いっぱなしで、自分はこれといっていいほど何もしていない。たまに畑を荒らしにやってくる野生の猛獣を撃退するぐらいだ。ライニッツにとってこれぐらいは草むしりをするのと変わらない。
それでも村の人達が安心して暮らすために自分のことを必要としてくれている人達がいる。
それはライニッツがこの村で生活するのに十分すぎる理由だったーー。
***
ライニッツは村に入ると【光速移動】を使い、まず自宅ではなくその隣にあるライニッツの家より一回り大きい赤い煙突が特徴のドアの前で足を止める。
両腕が塞がっているため、少々はしたない行為、ましてや余所の家でこんなことをするのにはライニッツも躊躇いを覚えたが、緊急事態なので仕方ないと思いドアを足で蹴って開けた。
「うわっ!」と魚が跳ね上がったような可愛らしい声が聞こえ、ライニッツは「私です、上がらせてもらいますよ」と言いながら靴を脱いだ。
「……えっ!? ライニッツさん?」
挙動不審になりながら奥から出てきたのは、滑らかなクリーム色の髪を肩にかけた一人の女の子。夕食の支度をしていたのか、白とオレンジのエプロンを付けている。
「いきなりすみませんミラさん。お父さんとお母さんは今いますか?」
「えっ、二人とも多分畑の手入れをしていると思いますが…………。って、ライニッツさん!? どうしたんですか! その人たちは!?」
ミラはライニッツの両肩に乗っかって干されたように垂れ下がっている三人を指さしながら腰を抜かした。
「説明はあとでします。奥の部屋をお借りしますね。ミラさんもついてきて下さい。あなたの力が必要です」
ライニッツの只ならぬ気配を感じ取ったのか、ミラも無言で力強く頷くと急いでエプロンの紐をほどき始めた。
三人をそれぞれ毛布の上に寝かせたあと、ミラはそのうちの一人を見て一気に顔が青ざめた。生気を失ったような声が洩れ、ゆっくりとライニッツの方を向く。
「えっ……? ゼロ……くん……?」
「……はい、そうです。あなたはゼロの治療をして下さい。この金髪の彼は私がやります。彼女の方は技の使いすぎでガス欠を起こしているだけで、体力さえ戻ればそのうち目を覚ますでしょう。三人とも移動中に応急処置を施しましたが、この二人はちゃんと治療をしない限りは直らないでしょう」
「わ……、わかりました」
ミラは、どうしてこんなことになったの……? と泣き叫びたくなるのを抑えながら、髪の毛を紐で止めて結い上げた。
まずはブレザーとその下に着ているカッターシャツを脱がす。特に右肩の傷口に当たらないよう極力注意をしながら丁寧に脱がしていく。右肩以外に目立った外傷はないが、あまりにもそこだけが酷すぎた。
横をチラッと見てみるとこちらも丁度脱がし終えたところで、怪我の方もゼロとは違い身体の至る所に擦り傷や打撲のあとが見受けられる。
「それでは始めましょうか。ミラさん、少しでも無理だと感じたらすぐに私に言って下さいね」
「大丈夫です。必ず治して見せます」
一心にゼロを見つめるミラの言葉には強い意志が込められていた。
「ゼロは任せましたよ」
ライニッツは最後にそう言うとディランに向き直った。
ーーこの子をここで死なせてしまうと、あとで私が殺されてしまいますからね……。
ミラとライニッツの手に光が灯る。ミラはその光を可能な限り収縮させ、ゼロの傷口に手をかざした。
ライニッツは手を小さく横に広げて光の輪を作る。その輪はディランの全身を包み込みやがて輪の中で細かい粒子がディランの傷を癒していく。
怪我を治療するということは、一見手をかざすだけの簡単な作業に思えるが、人の命に関わることだ、実際はかなりの体力と集中力を要する。
五つの属性の中で唯一‘治す’力を持つ光属性。闇属性同様に十人に一人いるかいないかの割合だ。世界の人口のうち八割以上が火・水・雷のいずれかの属性であり、残りの約二割が光、または闇属性。
この村で光属性の人間はライニッツとミラとミラの父親の三人だけである。
ミラはゼロと同い年で、幼い頃から仲もよかった。そのためゼロとライニッツの修行に混ざることも度々あったので、実力も今のヘブンズ・クラムにいたらかなり上位の生徒になっていただろう。
それでも、ーーぽとり、またーーぽとりと正座をしているミラの膝の上に汗が少しずつ落ち始めた。
まだ治療を始めてから数分しか経っていないが、早くも疲労困憊になりつつある。
中々傷口を閉じることができず、溢れ出てくる血に心が折れそうになると、ーーライニッツさんに比べたら自分は的を絞ることができるので、苦労をする必要はない。
と何度も自分に言い聞かし、治療後のゼロの元気な姿を思い浮かべることで、モチベーションを保った。
すると、ヒヤッとした冷たい何かが顔を掠めた。そしてトントンと撫でるようして誰かが額の周辺の汗を水で濡らしたハンカチで拭き取ってくれているではないか。
「あっ……お母……さん」
帰ってきたばかりなのか、泥の付着した服のまま優しく微笑みかける母の姿があった。
「ほら、あなたはゼロ君の治療に専念しなさい」
側にいるということだけで元気付けられたミラの顔に熱が帯びた。弱まりかけてた光が再び輝きを取り戻し始める。
「ライニッツさん! 嬢ちゃんの方は俺に任してくれ! すぐに元気にしてみせるぜ!」
「お願いします」
父親のいつも通りのパワフルな声も耳に入った。腕まくりをして気合いを入れる姿が目に浮かぶ。
それに答えたライニッツの声がややか細かったが、心配は無用と心の中で呟き、ミラはゼロに意識を集中させた。